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狼がいた頃の夫婦遍路の悲しき末路

 もし、あなたが他人にうけた不親切が理由で、想像も出来ないほどの悲しみに逢ったとき、その人々をうらみに思わないだろうか。

 野老野(ところの)から日野地(ひのじ)に越える、昔の通路の高峠に、小さな祠がある。人々はこの祠を高の峠様と呼んでいる。 

現大野見地区の地図

夫婦遍路、峠を越える。

 数百年の昔の秋の夕暮どき、この径(みち)をいそぐ夫婦づれの遍路があった。妻は身ごもる体であったため、今日は山を越す事は出来ないと思い、日野地部落で、 宿を乞うた。

しかし里人にことごとく断られて、遍路は仕方なく、 野老野へ向うべく、山越えにかかった。秋の陽落ちは早い。里はとっくに暮れ、峠にさしかかる頃は西の空の残照もすっかり消えてしまった。

 さらに悪い事に、女遍路 は峠で陣痛をおこし、動けなくなった。目の下には野老野の里の明りが見えるのに、、、。山で夜を明かす事は危険だといって妻を動かすわけにはいかない。

夫は仕方なく、妻を残して里へ灯と、お産に必要なものをかりに降りていった。 産気づくと山犬(狼)が現われるという昔からの云い伝えから、夫は妻に鏡を渡し、「もし山犬が現れたら、 山犬の方にこの鏡を向け、よく身体を守る様に」云い伝えた。

暗やみの山路を急ぎかけ降る遍路の心はいか様であったろう。里に降り着いた夫は、灯と用具をかりてさわぐ胸にせかれつつ峠にかけ登って行った。

峠に残されていたもの。

 と、どうであろう。そこには妻の元気な姿はなく、無残にも食いちぎられた妻の遺骸があった。

あまりにも凄惨なこの場の有様に気も転倒、しばらく自失し涙も出なかった。心だのみの鏡はみじんに破れ、月の光を反していた。翌日気を取り直し、涙ながらこの地に妻を葬り、形ばかりの弔をすませて、再び遠い旅にたって行った。


 なぜ女遍路は山犬に食いちぎられたのか・・・・・・。恐しさの余り木へ登った女遍路は、木の上から落し割ってしまった。あるいは、山犬に向って、鏡を投げつけたら、木へ登ってこないだろうと思い山犬に向って、投げたところ、鏡がうつ伏せになって、山犬の姿が映らなかった。とか、色々な説がある。


しかし陣痛をおこして動けなくなった者が木に登る事が出来るだろうか。 これが伝説のあいまいな点であろう。この出来事は周辺の部落に話し伝えられた。


その後、日野地部落の人々に、病人、けが人が続出。他部落の人々はあのあわれな女遍路の「たたり」であるとうわさした。 そのたたりは長い間続いた。そこで日野地の人々は、道路が災難に逢ったところに小さな祠を建て、 女遍路のめい福を祈った。 すると次第にたたりはなくなったという。  

高ノ峠にある女遍路を祀る祠。(2023年2月)

それが年代を経るにつれ、 鏡を奉納し願をかけさたら、安産がかなえられるといわれだし、安産の神様になってしまった。今なお続く俗信の強さ、 それは夫遍路の悲しみの大きさに外ならない。

【出典】
1969年9月1日 第42号 広報 大野見
(発行 大野見教育委員会/編集 大野見村広報委員会)



女遍路の歩いた道を歩いてみる。

狼に食い殺されて死んだ女遍路を祭る祠が、安産祈願になっているとは
なんて皮肉だろう。
しかし、臨月にもかかわらず峠を越えるという大胆不敵な行動を、
なぜ夫遍路も止めようとしなかったのか。
いや、舗装された道路もなかった時代、「峠を越える」ことは当時は、
「学校に行く」と同じくらい、「ちょっとそこのコンビニに行く」くらい、日常的な行為だったのかもしれない。

高ノ峠に続く夫婦遍路が歩いたであろう山道。(2023年2月)

昔の人々が2時間歩いていた山道は、20分で走れる舗装道路に入れ替わった。こうして、遠くの町との行き来を可能にし、近所の山は生活の場としての存在感を失った。
どの木がよく燃えるのか、食べれる植物はどれか、そこに訪れる野生動物の習性とか、そんなことより、日本とほかの国の関係、遠くの国の言葉、お金のこと、現実にはない仮想の世界を知らなければならなくなった。

高ノ峠に続く夫婦遍路が歩いたであろう山道。(2023年2月)

さらに、この話はニホンオオカミがまだいた頃なので130年以上前。
食物連鎖の頂点捕食者に、狼がいた時代のこの景色を、女遍路はどう見ていたのだろうか。
日常的に自分が襲われる潜在意識を持って暮らすことは、自然界に対する畏怖を抱かざるを得ないと想像するが、そのような「死」との距離感の近さは、人間の動物的本能を鋭く研ぎ澄まさせたに違いない。
“イヤホンしながら歩きスマホ”なんてご法度だ。

ちなみに、舞台となっている高ノ峠の日野地地区では、毎年、高ノ峠へ続く山道を地元住民が清掃している。「高峠様」と呼ばれるこの祠の存在は、それだけ今も、日野地地区の人々の中に当たり前に生きつづけている。


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