YayakoSuzuki

ここは四万十川が流れる高原台地、高知県中土佐町大野見。 そこにあった生活、ここにある暮…

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ここは四万十川が流れる高原台地、高知県中土佐町大野見。 そこにあった生活、ここにある暮らしの記録。 昭和43年から続く大野見の広報誌の文字起こし。

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春よ、来い

いただきますをする前の味見ってなんであんなに美味しいんだろう。 寒さ極まる冬に感じる春の暖かさが嬉しいのもそんな類なのかもしれない。 春になったら、夏の猛暑を予感して、暖かさへの期待はどこかに飛んでいくのに。 ここ一週間、春を予感させる暖かさが続いた。 おかげで、春の訪れを待ち望んでいる自分をはっきりと自覚した。 そりゃあ田舎の人が、春になったら山菜採りに行きたくなるのもわかる。 知り合いに 「高知に来て2回の冬を越そうとしてるんだけど、 大野見寒すぎて、わたし春をめっ

    • 古今東西エロオヤジ

      昭和43年から続く大野見の広報誌に編まれている、 「村ざかい物語-大股の巻-」。 物語の舞台の大股は、旧大野見村最北に位置し、沈下橋がかかる地域である。 大股の北の果ては高樋の部落であり、ここが村ざかいである。 この高樋の山に、山神皇神社が鎮座まします。 さんしんおう神社とよぶ。 山の神様で、祭神は大山紙(おおやまずみ)の命(みこと)である。 記録によると元禄六年(1693年)の勧請とあるが、これより百年前の天正地検帳(1588年)にその名が見えるので、この宮は四百年前

      • 人参の恩義

        別に嫌いでもないけど好きでもない野菜ってないですか? 「いただきます」のあと、一刻も早く胃に運んでお皿から取り除くような。 ソースとかドレッシングをドロドロにまとわせて 「美味しい!」って乗り切るような。 嫌いな食べ物は?って聞かれて、その場で出てこない程度の。 私にとってそれは給食で出る牛乳と、人参だった。 特にファミレスのハンバーグに添えてある柔い 人参グラッセなんかはもう救いようがない。 裸の味に、着せる服がないもので。 じゃあ残せよ、って思うけれど、おそらく残して

        • 炭焼きという貴族のたしなみ。

          これは、今からおよそ100年前に生きた炭焼き職人の話。 昭和53(1978)年の大野見の広報誌に編まれている。 炭焼きの歌 炭焼きは、汗と涙の仕事。山小屋でとまり、夜明けと共に、木をきり、日が暮れてからおく(おく:終わらせる)。そんなに働いても儲からない。 かつてふる里の山あいからは、薄紫の煙が、もうもうとあがっていた、そこには、窯と小屋と炭を焼く、たくましい人々がいた。 雪の日も、風の日も、まっ黒く、 よごれながらも、泣きごとを言わない山の男がいた。火は何時しか、一つ

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        春よ、来い

          凍てつく新春、田んぼで無駄を愛している

          田んぼ仕事は、米を収穫して終わりではない。 秋、米を収穫。冬、稲藁を粉砕して田んぼに還す。 それを土の肥やしとし、また来たる春に備えるのだ。 睦月の冬日和、朝8時半。 まだ霜が田んぼ一面を覆っている。 何処其処に積まれている、稲藁の山が今日の敵だ。 長靴で踏み込む一歩一歩に霜がこすれる音が後追いする。 山にかくれた太陽はまだ出てこない。 藁を粉砕するのに、押切り(わら切り)という農具を使う。 テコの原理で、まとめた藁や干し草、野菜等を切る道具で、 昔から続く農家にはだいた

          凍てつく新春、田んぼで無駄を愛している

          優しくなれと言われて優しくなれるほど優しさは易しくない。

          スマホの画面が光り、電話が鳴った。 家の向かいのおばあちゃんからだ。 「野菜あるけどいらん?いっぱいあるき、とっていきー」 翌週、焼いたお菓子を持っていったら、 「昔の古いもん好きやろ?うちにいくらかあるき見てかん?」 おっと、お返ししに来たんじゃなかったっけ。 家の前の小さな畑で水菜の種をまいていると、 隣の家のおばあちゃんが現れた。 「この前、サツマイモ置いちょってくれたね。ありがとう。 いるもんあればうちの畑にあるもん勝手にとってきやー」 サツマイモの苗を分けてくれた

          優しくなれと言われて優しくなれるほど優しさは易しくない。

          鹿の血を浴びた時、私は山に溶け込んだ

          たった今、鹿の体内をどくどくと流れていた血は、私の服と顏に飛び散った。 まだ生暖かった。 あまり嫌な気はしない。 鹿が罠にかかったのは、罠を仕掛けて2か月以上たった日のことだった。 そのあいだ、幾度となく「けもの道」を見回った。 「見回る」とは、足跡や糞の硬さ・大きさ、木々に残された泥の跡、山の植生や周辺環境から獣の動向を探ることだ。そうして罠を仕掛ける。 もっと言うと、鹿や猪の行動パターンや生態を同じ目線で正確に読み取りながらも、それを獣に悟られてはいけない。 だから、

          鹿の血を浴びた時、私は山に溶け込んだ

          【イタドリ探訪記②】旬に従うと地に足がつく

          〈イタドリ探訪記①の後半。〉 「イタドリとの思い出はある?」 健一「20年ばぁ前の話よね。愛媛の方はイタドリを採って食う習慣がないから、イタドリがあるからゆうて、愛媛の方へ採り行ってた。ここから1時間ちょっとかけて、軽トラに一杯くらいを年に5回くらい行ったろうかね。」 私「なんでそこまでするの?」 道子「山の中をごそごそ這ってね、採るのがおもしろいの。一か所見つけるとたいてい10本くらいそばにあるのよ。宝探しみたい。」 建一「そうそう、ほんで、春先に一番、、一番とは

          【イタドリ探訪記②】旬に従うと地に足がつく

          【イタドリ探訪記①】不味くはないけど美味しすぎもしない。

          村は人々の何でもない日々の集積である 「イタドリを持っていくき、それでなんか料理作ってや~」 「かまんで。夕方うちに来いや。」 この二つ返事で【イタドリ探訪記】は始まった。 高知県の郷土食である山菜・イタドリを携えて大野見の村人を訪ね、 それを使った料理を囲みながら、彼らの暮らしや人生の断片を含味する。 そんな図々しい試みを【イタドリ探訪記】と名付けた。 日本の輪郭は、いつも歴史の教科書やメディアに載る強者によって 引かれるが、大野見という規模に拡大すると、 別に功績

          【イタドリ探訪記①】不味くはないけど美味しすぎもしない。

          変わりゆくかつての村に立って。

          人の生き様を保存する 「選挙フェス!」という映画を観た。 2013年7月に行われた参議院選挙に立候補し、落選候補者最多の17万6970票を獲得したミュージシャン・三宅洋平に密着したドキュメンタリー映画。 彼は、音楽と演説を融合させた“街頭ライブ型政治演説”を「選挙フェス」と称して全国ツアーを行う前代未聞の選挙活動が、路上に多くの観衆を集めた。 選挙活動という姿を帯びた三宅洋平のエネルギーが、映画というタイムカプセルに残され、10年後、それを開けた私は彼のエネルギーを感じ

          変わりゆくかつての村に立って。

          塩は「買うもの」だという幻想を壊してみる

          塩を作りたくなったただの庶民の塩作り備忘録。 専門家でも職人でもないので悪しからず。 でも塩は、農民でも農民じゃなくても 貴族でも貴族じゃなくても 伯方の塩でも伯方の塩じゃなくても 本当は誰でも作れる。 時間さえあれば。 時短機能や、要約コンテンツや、人力を肩代わりしてくれる家電に溢れてる世界で、原始的な塩作りは、片隅に追いやられるべくして追いやられた非効率極まりない生産活動である。 一縷の望みがあるならば、そこには本当の価値が宿っていることなんじゃないかと。 そんな

          塩は「買うもの」だという幻想を壊してみる

          つながりが断たれる心地よさ、つながりを感じる安堵感

          悲劇の神童 庄三郎①に続く後半。 奇才がゆえに皮肉にも、悲運を辿ってしまった庄三郎の最期はどうなるのか。 そして、改めて思う、「何でもない土地」に昔話が残っている愛おしさを言葉にしてみた。 逃げ続ける庄三郎が見たもの  どこをどう行ったのかただ夢中であった。 喘ぐような庄三郎のはく息と落葉をふみしめる音が交差しながら、上へ上へと登って行った。 どれだけたったかはじめて振り返った時、神母野の人家の灯は視界になかった。 無性にのどがかわき、昨夜からの疲労がどっと彼の五体をつつ

          つながりが断たれる心地よさ、つながりを感じる安堵感

          嫉妬深さに向き合う

          昭和43年から続く大野見の広報誌に編まれている、 昔話「悲劇の神童 庄三郎-前半-」。(後半はこちら) たかが昔話、されど昔話。 人間の嫉妬の恐ろしさを伝える、ある少年の悲話である。 13歳の少年、盗みを犯す 落合の橋を渡った時一ばんどりが鳴いた。 静寂の空に星が桑田山(そうだやま:中土佐町の東に位置する標高770mの山)にむかって走っても今朝の庄三郎は少しも恐怖をおぼえなかった。彼はただ夢中で依包を通り包ノ川ぞいにカサガ峠の坂をかけのぼっていった。  峠についた時夜はし

          嫉妬深さに向き合う

          生きるための狩猟と楽しむための狩猟。

          現在、人口1000人を切る旧大野見村にも、かつて狩りの名手がいた。 狩猟を生き甲斐とし、狩猟を愉しみつくしたその猟師の姿は 現役の地元猟師にも重なる。 狩猟を経験している私自身の感触とともに、 娯楽としての狩猟を、どうとらえたらいいのか考えてみた記録。 幕末の土佐藩主に認められた猟師  東の空が白みかけた朝まだき、凍てつくような霜柱を「サク、サク」ふみしめながら、西に向って進む狩り姿の一行があった。この一行は、ときの藩主「山内豊範公」に召されて、土佐の山野からはせ参じた狩人

          生きるための狩猟と楽しむための狩猟。

          人と自然が豊かな関係を築くために刃物が必要であるわけ

          昭和43年から続く大野見の広報誌に編まれている鍛冶屋の歴史。 鍛冶屋は、都市で生活しているとあまりにもなじみのない職種のように見えるが、数十年前までは町に鍛冶屋がいる光景が当たり前だった。 大野見にもかつては鍛冶屋がいた。その頃の人と刃物と自然が築いていた豊かな関係性にもう一度、目を向けてみたい。 日本における鍛冶の伝来鉄の文化の起源については明らかでないが、おそらくアルメニヤ地方におこったものであろうといわれている。前十五世紀以降急速に伝波したものであろうとされている

          人と自然が豊かな関係を築くために刃物が必要であるわけ

          農民にひかれた生産技術が文化を作る

          私は大野見に来てから米を作っている。 およそ半年、手塩に掛けて主食を自給するのは、野菜を育てたり、 野生動物を狩るのとはまた違う気持ちよさと安心感がある。 と、同時に米作りが他とは違い、いかに協働的な活動で、 地域のつながりを要するか思い知らされた。 それが心地よいか悪いか。 ともあれ、昔からこの村で脈々と営まれてきた稲作が この土地の雰囲気や村民性を構成する濃い要素なのではないかと実感した。 大野見の文化を作ってきた稲作の記録が、 昭和43年から続く大野見の広報誌に

          農民にひかれた生産技術が文化を作る