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塩は「買うもの」だという幻想を壊してみる

塩を作りたくなった

ただの庶民の塩作り備忘録。
専門家でも職人でもないので悪しからず。
でも塩は、農民でも農民じゃなくても
貴族でも貴族じゃなくても
伯方の塩でも伯方の塩じゃなくても
本当は誰でも作れる。

時間さえあれば。

時短機能や、要約コンテンツや、人力を肩代わりしてくれる家電に溢れてる世界で、原始的な塩作りは、片隅に追いやられるべくして追いやられた非効率極まりない生産活動である。

一縷の望みがあるならば、そこには本当の価値が宿っていることなんじゃないかと。

そんな深く考えていたか、いなかったか、わからないけれど、塩を作りたくなった。

「今週の日曜日、塩を作ろう。」

なんでもない、けれど久しぶりに日差しが照りつけた清々しい日曜日。
私は、塩も自給してしまう変人な有機農家(敬意を込めて。)と近所の海へ向かった。


高知県のど真ん中より数センチ西寄りの海辺に
私と変人な有機農家(以下、中里自然農園)の住む町がある。

最寄りの海

塩作りに必要なものは、綺麗な海水と火と時間だけ。

塩の作り方はいたってシンプル

20Lのタンクを持って海水を汲みに行く。

唐突に海に浸かり始めた。

塩作りついでに海水浴。

海から戻り、かまどに薪を焚べる。

ここから6〜7時間、火を絶やさないように薪を焚べつづけながらひたすら待つわけだ。

側面に塩が現れてきた

朝10時頃から焚き始めて、夕方5時頃、ここまで海水が減ってくると、やがて塩が浮かんでくる。

できた塩をザルにすくう。
20Lの海水からおよそ600gの塩が出来上がる。

水分をまだたっぷり含む塩を、天日干しかフライパンで炒って完成。

スーパーで最安値の塩から想像するような
どぎつい辛さは一切なく、まろやかで優しい。
海水から作った塩は塩辛くない。

塩のレシピは以上だ。至ってシンプルである。

塩は作れないという幻想を壊す


作った塩に値段をつけるとするなら、火を焚くための薪割りにおける肉体労働と、薪を乾かす3ヶ月以上の時間が、その大部分の価値を占めるんじゃないかと思う。

さらに、山では塩は採れない。
大野見のおばあちゃんたちの話によると、車がなかった時代は、早朝に家を出て半日かけて海沿いの町まで下りていき、塩を買って(あるいは山の幸と交換して)、また半日かけて歩いて帰ってきていたそうだ。

やがて近代化を迎え、機械化、化石燃料の利用、インフラの整備などによってより速く、大量に、廉価な塩を生産することが可能になった。

こうして、いつの間にか塩は庶民が「作るもの」から「買うもの」へと変化していった。

多分に漏れず、私も中里自然農園の二人に出会うまでは、塩はどこかの大きな企業しか作れないという幻想をなんとなく抱いていた。


だけど、本当は誰でもできる。


その感覚は自信となって、台所で腰を据えている手製の塩を見るたびに、
味わうたびに、私の身体の一部になっているような気がするのだ。

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