村の少年探偵・隆 その11 汚染
第1話 憂鬱の春
I街道の左右に、小さな商店街が軒を連ねていた。I川を渡って山道に入ると、千足村の入り口までは、出会う人は希だった。
子供たちは道草しながら、帰宅した。植林された杉が大きくなり、道の下手のものは子供たちの背丈くらいに育っていた。
春先には、重く垂れた杉の枝を棒で叩くと、パーッと煙が立った。杉花粉である。意味もない遊びではあるが、子供たちにとっては春の風物詩のひとつだった。
通学路の周囲に、杉林が広がっていった。
隆の家の奥にも、杉林はあった。それは昔からのものだった。下草が刈られ、枝打ちがされて、よく手入れされていた。後は雑木林が延々と広がっていた。
この雑木林に、人の手が入った。村人は山林の所有者から許可を得て、木を伐り、炭を焼いた。木炭は貴重な現金収入となった。
伐採されてハゲ山になった後に、杉が植林された。一本いくらと報酬が出たらしく、隆は小学生のころ、苗木を山奥まで運ばされた記憶がある。重労働だった。
こうして、四国の山地だけでなく、日本中が「緑化」されていった。わざわざ、枝を叩いたり揺すったりしなくても、ちょっとした風で花粉が大量に飛ぶようになったのである。
戦後の復興に膨大な量の木材を必要とした。しかし、成木になるには、およそ40年の年月を要する。この点に限っても、あまりにも場当たり的だった。
修司の母親は春が嫌いだった。いや、嫌いになったのである。
春になると、しきりにクシャミを連発する。目を真っ赤に腫らしている。
「もう、目ん玉取り出して洗いたいくらいや」
などと、恐ろしいことを言っている。
修司の父親・勲おじさんには、原因は分かっていた。
「そこらじゅう、杉林にしたんやから、健康に悪いわ。だいたい、自然界のバランスは崩したらいかん」
おじさんは怒っていた。
第2話 夏休み
雑木林は子供たちに、夢を与えてくれた。
いろいろな木の実を食べに、鳥や獣たちが集まってきた。雑木林のお客さんは人間にとって、時にタンパク源となった。隆は洋一に連れられ、よくワナを仕掛けに行ったものだった。
小学校の夏休み。隆は洋一に起こされた。朝早く、裏山に昆虫採集に行くのである。
昆虫のいる木は決まっていた。クヌギだった。分厚い樹皮の裂けめにカブトムシやクワガタ、玉虫などが集まる。濃厚な樹液の匂いが漂う。
木の下に行き、ドンと蹴る。昆虫がバラバラと落ちてくる。立派なものだけ、虫かごに入れて持ち帰る。夏休みの日課だった。
年々、昆虫の採集量が落ちてきた。
雑木林が杉林に変わっていったのだから無理もなかった。樹液に群がる昆虫そのものが、減ったようでもあった。
たんぼのカエルもドジョウもゲンゴロウも、あまり見かけなくなった。イナゴやトンボも少なくなった。
ホタルが夜、電気の点いていない部屋に迷い込んでくるようなことも、なくなった。
たんぼの岸に、大きな青大将が2匹いた。
先日、隆の父親が農薬を撒いた後で、噴霧器には少量の白い液体が残っていた。隆は洋一と液体を水で薄め、青大将にかけてみた。青大将は動かなかった。
異臭に気づいたのは、権蔵爺さんだった。
「石垣で変な匂いがするで。臭うてかなわんな」
もしや、と思い、隆は見に行った。
石垣の隙間に入り込み、ヘビが息絶えていた。
隆の犯行であることを申し出た。洋一に手伝ってもらい、火箸で死骸を引きずり出した。死臭が鼻に残った。隆の罪悪感と共に、いつまでも消えなかった。
「ワシらがクスリかける前に、あの青大将は弱っとったんと違うか」
洋一の言うとおりだったかもしれない。いずれにしても、農薬もまた環境を激変させていた。
第3話 常飲
隆と和子のクラスメイトが、父親を亡くした。
秋口になって体調を崩し、入院した。年末まで持たなかった。ガンだった。
和子は、悲しみに暮れる女友達をなぐさめた。小学5年の時、事故で父親を亡くしているだけに、辛さが分かった。
「谷の近くで炭焼きしながら、元気で働いとったようやで」
和子は友達の話を伝えた。
「谷の水で粉ジュース溶いて『こんなにうまいものはない』って、喉が渇いたら、いつも飲んどったんやって」
隆は聞いていて、テレビのCMを思い出した。その粉ジュースを一、二度、買ってもらったことはあった。ただ、あんな甘ったるいものを、毎日飲む気にはなれなかった。
「ひと夏、飲み続けたから、村の衆も心配しとったらしいで」
和子の母親・富江おばさんは、勤め先の農協で、そんな話を耳にしたのだろう。
「体に悪いものがいろんな形で出回るようになったから、気をつけんといかんなあ」
妹の富江おばさんが出したお茶を飲みながら、勲おじさんが言った。
「そうや。富江、風呂の石鹸あるか?」
富江おばさんは風呂場に行った。
第4話 隠し芸
「まあまあ。古いのはネズミが齧ってしもうとるわ」
富江おばさんは小さな古い石鹸を捨てようとした。
「捨てたらいかん。それ洗うて」
頼まれた富江おばさんは、台所で石鹸を洗ってきた。
「よう見ておけよ」
隆と修司、洋一の一家に石鹸を見せ、勲おじさんはいきなり口に放り込んだ。
隆は、おじさんは吐き出すものと思っていた。ところが、おじさんはむしゃむしゃと食っていた。呆気に取られていた富江おばさんが、急いでコップに水を入れてきた。
「びっくりしたやろ」
おじさんは残った石鹸を、吐き出した。
「ネズミが食うても死なんものは、人間が食うても死なん。その、齧られてないものは、ワシ、よう口に入れんわ」
以来、石鹸を齧ることは洋一の隠し芸になった。もちろんネズミのお下がりだった。
第5話 沈黙
隆はそんな洋一を見て、笑う気にはなれなかった。
休日に、勲おじさんを訪ねた。
「もしかして、大事件が起きようとしとるんじゃないですか。これから、社会はどうなっていくと思いますか?」
疑問をぶつけた。
「分からん。アメリカではとうに農薬の害に気づいとる。女性の学者が『沈黙の春』という本を書いたんや。環境汚染によって、鳥がさえずることのない春がめぐってきた、という書き出しや」
隆と洋一、修司は言っていることが分かる気がした。
「難しいなあ。現に起きとる現象から、目をそらしたり耳を塞ぎたがる者もおる」
勲おじさんは考え込んだ。
「そうや。みんなで沈黙の春に会いに行こうか」
少年探偵団を連れ、勲おじさんは暗い杉林の中に入って行った。
まるで山火事でも起きているかのように、花粉が棚引いていた。
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