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横丁暮色 その5~出会い、別れ~

 


 
 私が人世横丁に漂着したのは、38、9歳の時だった。きっかけは、入っていたビルが火災に遭ったことだった。

 ◆創業のビルは灰に

 元号が改まった1989年、8月の土曜の夜だった。寝る準備をしていると、携帯が鳴った。
「あんたとこのビル、燃えてるよ」
 懇意にしている、会社の近所の印刷屋からだった。初め、何を冗談いってるんだ、と思った。しかし、緊迫した声は、私を現実に引き戻した。
 タクシーで池袋に急行した。着いた頃には、すでに鎮火していた。建物はビルとは名ばかり、木造モルタル2階建てだった。なんとか原型を保っていたものの、全焼状態だった。
「燃えてるところ、見なくてよかったよ」
 印刷屋の社長が慰めてくれた。

 貧乏大学のクラブ棟みたいな建物だった。トイレは共同。1階に大家さんと仕立て屋、2階にいくつかの会社が入っていた。
 私が入居したのは1984年晩秋、その翌秋、阪神タイガースがセリーグで優勝、日本シリーズ制覇という空前にして絶後の戦績を上げた。神宮球場でヤクルトと引き分けた瞬間、取引先の若手と小躍りして喜んだものだった。リノリウムの床か軋(きし)んだ。火事になると、火の廻りは間違いなく速い。

 ◆現場検証

「夜の池袋で火事」
 翌日の新聞の社会面にショッキングな見出しが躍っていた。急いで私の事務所に電話を入れてくれた知り合いもいたらしい。
「日曜に話し中であるはずがない。やっぱり火事に遭ったんだ」
 残念ながら、その推理は当たっていた。


 会社の前で、女性スタッフの一人と待ち合わせた。旦那さんも一緒だった。
 ともかく焼け跡を確認することにした。旦那さんと二人、床を踏み抜きそうになりながら、やっとの思いで2階の部屋にたどり着いた。ベニヤ板の壁は完全燃焼、事務机の上に焼け焦げたワープロが数台、惨めな姿をさらしていた。建物が炎上しているのを目(ま)の当たりにすることなど、耐えられなかっただろう。

 

 ◆業火を生き延びて

 近くの公園で途方に暮れていた。
 女性スタッフの話では、編集していたある機関誌のテキストデータは前日、印刷会社に入稿していた。しかし、写真類はまだだった。改めて写真を集めるとなると、発行予定日にとうてい間に合わない。がっくりと肩を落とした。

「写真、どこに置いていたの」
 少し引っかかることがあったので、訊いてみた。
「私の机の上の本立て」
 彼女の机の上の書類や本は、焼け焦げていた。触ると、ボロボロと崩れたが、中までは燃えていないものもあった。
 コンビニで懐中電灯を買い、夕闇せまる焼け跡に向かった。果たせるかな、写真は業火の中でほぼ無事だった。運の強さに感謝するしかなかった。

 感謝と言えば、たくさんの人にお世話になった。この時も、知り合いの業界紙編集長が「うちの事務所に空いてるスペースがあるよ」と声をかけてくれた。親切に甘えて、細々と食いつないでいたが、燃えたビルの反対側、サンシャインシティの西に手ごろなマンションが見つかり、我らは安住の地を得たのだった。
 繁華街を抜けて通勤した。途中に飲み屋街があった。火事は人世横丁と私を、限りなく近づけてしまった。

 ◆世の中せまい


 目を使う仕事だった。一日中、ワープロの画面を見ていることも多かった。
 1992年初夏のある日、眉間に激痛が起きた。たまらず近くの眼科に行ったが、視力検査もできない状態だった。後日、視力を測り、医者は眼鏡を処方してくれた。しっくり来なかった。片方の目だけで世の中を見ている感じだった。
「眼鏡というのは、そういうもんですよ」
 と、医者は気にかけていなかった。

 取材に出かけ、地下鉄の駅で通行人の足を踏んでしまった。立派な身なりをした紳士だった。公衆の面前で叱られた。謝りながらも、私の頭の中は
「なんであれが見えなかったのだろう」
 という思いでいっぱいだった。

 何か予感するものがあったのか、おそるおそる地元の眼科医を受診した。ていねいに診察し、送られた先は大学病院だった。おぼろげな不安が的中してしまった。
「あなた、失明しますよ。今の仕事を続けることより、リハビリを受けて転職することを考えなさい」
 医者は妻と9歳の長男、5歳の長女を前に告げた。視野狭窄から失明にいたる、とされる網膜色素変性症だった。

 

 ◆ノーリターン


 フットワークよく、視覚障害者の会の活動を続けた。仲間たちは私に
「あなたの場合、一生見えてますよ」
 と言ってくれた。
 しかし、視野狭窄が進んでいることは、隠しようがなかった。いつしか
「東洋医学もまんざらではないな」
 と、思うようになっていた。

 鍼灸マッサージの専門学校入学を前に、2001年3月末、東池袋のかんぽヘルスプラザで感謝の集いを開いた。おっかさんの寂し気な姿がひときわ目に付いた。
 その夜はかんぽで泊まった。
「今なら、まだ、引き返せるのでは・・・」
 寝返りばかり打ちながら、増幅する弱気と戦っていた。


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