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紅葉狩

もみじがり

紅葉(こうよう)を鑑賞する意で、能の曲目などとしても有名です。

秋の野山に出かけて紅葉を鑑賞する行事・風習。古くから宮中などで行われていましたが、江戸時代になると庶民の間にも広まって、下谷の正燈(しょうとう)寺、品川の海晏(かいあん)寺や東海(とうかい)寺など、江戸の紅葉の名所として著名になりました。

能の曲目としても取り上げられ、室町時代後期の観世信光(かんぜのぶみつ)の作で五番目物(江戸時代の1日の番組編成基準に基づく五番立分類で、第5番目に置かれる)。曲目の内容は、鹿狩に出た余五(よご)将軍と呼ばれた平維茂(これもち、能ではワキ、すなわち脇役)が、紅葉狩の美女たちに酒宴に誘われ、酔って眠りに落ちます。女は実は戸隠山(とがくしやま)の鬼神(シテ、能の主役)で、維茂の眠りを見て姿を消します。そこへ石清水八幡の末社の神が現れ、維茂に太刀を授けて身の危険を知らせます。目覚めた維茂が待ち構えていると、鬼神が正体を現し、格闘の末に退治します。前段の美女たちの優雅な舞が、後段の壮絶な格闘場面に転じるところに演出の特徴があります。

浄瑠璃(じょうるり)、長唄(ながうた)、などにも多くの作品があり、「平維茂紅葉狩」は、万治元年(1658年)刊で、のちに近松門左衛門の『栬狩剣本地(もみじがりつるぎのほんじ)』などに影響を与えました。また、歌舞伎舞踊「紅葉狩」は、新歌舞伎十八番の一。河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の作詞で、明治20年(1887)に9世市川団十郎らにより初演されています。

海晏寺の紅葉狩  勝川春潮筆  江戸時代・18世紀  東京国立博物館蔵

勝川春潮は生没年不詳の江戸時代中期の浮世絵師です。その作品の大半は鳥居清長(とりいきよなが)に影響された美人画で、とくに三枚続きのものに傑出していました。海晏寺(かいあんじ、東京都品川区)は紅葉の名所として知られます。


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