見出し画像

将棋

しょうぎ

20枚の駒を駆使して競う盤上遊戯

2人で勝負を争う盤上遊戯。81マスの盤にそれぞれが定位置に20枚の駒を配置し、交互に駒を動かしながら相手の王将を取ることを目的とします。駒は王将、飛車、角行、金将、銀将、桂馬、香車、歩兵の8種類があり、それぞれ動きが異ります。相手からとった駒を自らの駒として使用できる持ち駒のルールがあり、これが西洋のチェスや中国のシャンチーといった2人用の盤上遊戯と将棋が大きく異なる点です。将棋の原型は、チェスなどと同じく、古代インドのチャトゥランガと考えられ、日本には奈良~平安時代に中国より伝来し、独自の発展を遂げたとされます。古くは大将棋、中将棋、小将棋など駒の種類や数、盤面が異なる将棋が存在しましたが、16世紀の後奈良天皇の時代に、小将棋を改良した現在の将棋に近い形が定着したとされています。現存する最古の棋譜として、慶長12年(1607)の大橋宗桂(そうけい)と囲碁棋士の本因坊算砂(ほんいんぼうさんさ)の対局譜が残されています。このふたりはそれぞれ江戸幕府から俸禄を与えられ、宗桂は将棋所(しょうぎどころ)の初世名人となりました。以後は、宗桂の後継者である大橋本家、大橋分家、伊藤家の3家が家元となり、何れかが名人を輩出しました。明治時代に入ると江戸幕府からの保護を失った将棋は一時衰退するものの、明治32年(1899)頃に『萬朝報(よろずちょうほう)』の新聞将棋が人気を呼んで、再興。大正13年(1924)には、現在の日本将棋連盟の前身となる東京将棋連盟が誕生しました。

竹菱葵紋散蒔絵双六盤  江戸時代・文化13年(1816)  東京国立博物館蔵

参面は碁盤・将棋盤・双六盤のセット。三つの遊びの歴史は古く、江戸時代にはゲームの基本とみられたものか武家や公家など富裕層の結婚に際して誂えられた婚礼調度の中に一式として見られます。中でも囲碁と将棋は、現在まで根強い人気が保たれています。


この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?