仏の玉
僧伽羅国とは、今でいうスリランカのことである。僧伽羅という商人が建国する前は羅刹の住む島であったらしいが、その辺りの話はまた別の機会にしたい。その頃は天竺の一部という地理的感覚であったらしい。今も上座部仏教(小乗仏教)が盛んで、釈迦の頃の遺風を色濃く残しているかもしれないが、とまれ太古この国に、一つの小さな寺院があった。
小さいとはいえ歴とした先の王の御願寺で、仏堂には、その王に似せた金の仏像が安置されていた。金も十分に貴重ではあるが、仏の三十二相の一つである肉髻には、拳大ほどもある宝玉が埋め込まれ、その価は限りなかった。
ここに一人の貧しい男がいた。痩せっぽちで背の小さな男には、決まった仕事も無く、その日家族に食べさせるものにも困窮していた。貧しさは、多くの人間を悪人にする。この男もその例に漏れなかった。ついに男の心に、
「あの寺の仏さまの玉を頂戴しよう。あの玉さえあれば子々孫々、何不自由なく裕福に暮らしていけるではないか。こんなひもじい思いをしなくても済むぞ」
という出来心が萌し、雨後の筍のように急成長した。
また、貧しさは人間を行動的にもするらしい。男は、早速その夜寺院に出向き、周りをうろうろしてみた。門の前には屈強な門番が何人も立っており、所用で出入りする者にも、その名前や目的を一々厳しく問い質している。
「ちぇっ。なんてこったぁ」
男は舌打ちをし、空を仰いだ。普通ならば、ここで諦めるであろう。自分は何て馬鹿げた妄想を懐いていたのだと。
ところがこの男は違った。門番に見つかったらどうしようという恐れもなく、築地の綻びている箇所を木片で何時間も掘り続け、自分が辛うじて入れるくらいの穴を開けて、とうとう中へ入ってしまったのである。
そして仏堂の屋根から天井裏へ、遂には仏が安置されている内陣へと滑り下りた。盗人の素人であるこの男が、なぜかくも上手く侵入できたのであろうか。もしかすると、この時既に、仏の加護が働き始めていたのかもしれない。そうでなければ屋根から天井裏などへは、そう易々と入れよう筈もない。
とにかく、男は安置された仏と向かい合った。立像の丈は、男より五寸ほど高いだろうか。
「ふうん。先の王はこんな背丈だったのか。こんな大層な顔をしてたんだな」
それにしても仏像の金剛不壊の身体と、自分の貧相なそれとを比べるとどうであろう。そんな惨めさを少なからず感じながらも、男の視線は仏の頭頂部へと向けられた。
そこには灯明を受け、鈍く緑色に光る肉髻がある。宝玉は翡翠であろうか。男は静かに仏の側面へと廻ると、そっと手を伸ばした。知らず汗が吹き出てくる。ところが、どういうわけか男は肉髻に触れることができなかった。男は焦った。
「どうしてだ?」
汗が背中を伝い、尻まで滴り落ちてくる。男は手を引っ込めると、もう一度仏と対面した。
「あらっ」
男の口は、ぽかんと開いたままになった。仏の背丈が伸びている気がする。いや、気のせいなどではない。確実に伸びている。男は驚きと怖れを感じたが、同時に意地にもなった。その辺りから踏み台を持ってきた。
「これなら届くだろう」
それに乗って再び手を伸ばし、玉を掴み取ろうとした。ところが今度は目にも明らかに、仏が「じわじわっ」と首を伸ばしている。男も台の上で爪先立ちになり、手をいっぱいに伸ばしたが、伸ばせば伸ばすほど、あともう少しの所で玉は手からすり抜けていくのである。
男は、「仏までが俺を馬鹿にするのか」と腹が立ち、涙さえ出てきた。またまた仏と向かい合い、掌を合わせ地面に額付いた。
「なあ仏さまよ。仏さまがこの世に出てこられ、菩薩道を行じなさるのは、俺たち衆生に慈悲をお垂れなさるためでございましょ。聞けば仏さまは、そのために命さえお捨てになるっていうじゃありませんか。鳩の身代わりとなり、虎の餌になり、盲いた波羅門に眼の玉まで呉れてやるんでしょ。そんな大層なことさえなさるのに、頭の玉ぐらい呉れたっていいじゃありませんか。どうして惜しみなさる。貧しい者を救い、下賤の者をお助けになるのは、正しくこの時です。玉が手に入らなければ、俺は心ならずも生き永らえ、世の中を恨み嘆いては、数限りない罪障を作り続けていくことでしょう。なぜそのように背を高くして意地悪なさる。ただただ心外にございます」
と、屁理屈をこねた。しかし、屁理屈でも妙な説得力があった。もはや捨て鉢の理論であろう。
すると、どうやら男の願いが仏に通じたようである。といっても、背が元に戻ったのではなかった。背は伸びたままで、仏は「ぐいっ」と深く首を垂れたのだった。
玉はちょうど男の目の前にある。まるで、「さあ取るがよい」とでも言わんばかりに。
男が恐る恐る玉に触れてみても、もう逃げなかった。いとも簡単に、果実のように”ころり”と取れた。男はそれを懐へねじ込むと、大急ぎで闇に消えた。
その後、男は何も考えずに市で玉を売ろうとした。ところが、みすぼらしい男が、高価な翡翠の玉を持っているという不自然さや、その挙動も不審であったことなどから、市の商人たちや客などから怪しまれ始め、
「これはきっとあの寺の仏の玉だ」
と誰かが叫んだ。天下に隠れもない玉を見知っている者もいたのである。とうとう男はその場で捕らえられ、獄で尋問された。
「仏さまが玉を呉れただと。そんな馬鹿げた話、誰が聞けるものか」
獄吏は鼻で笑っている。
「偽りではございませぬ。試しに仏堂の中を一度お確かめいただきとうございます」
男は額を地面に擦り付けながら頼んだ。
「確かめるまでもない。直ちに素首を切るまでじゃ」
獄吏は白けた顔で取り合おうともしない。
「後生でございます。嘘ならその場で首を切っていただいても構いませぬ」
男は必死になり、地に額を何度も何度も打ち続け、血さえ流れ始めている。
「良かろう。偽りかどうか確かめてから首を切るのも興あろう。引っ立てよ」
ついに獄吏は男の必死さに根負けした。男を仏堂まで連行すると、その扉を開いた。
「これはっ」
二の句が継げなかった。何と、仏は男に玉を与えたままの格好で立っておられたのである。
皆はその有難さに落涙した。そして、このことはすぐ王の耳にも達した。
「ここで余がその男を罰すれば、仏の御慈悲に反することになるのではあるまいか」
王は男の縛を解かせ、おまけにこの玉を想像できないほどの高値で買い取ったのである。
大金を受け取った男はその使い途に困ってしまった。また、仏や王の慈悲に対し、有難くも恥ずかしくも思い、ほとんどを貧しい者に施したのだという。これもまた慈悲行、菩薩行の一種なのだろうか。
そして仏はというと、やはりその後も、ずっと首を垂れたままでいらっしゃったという。
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