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海棠金鶏図

安永4年(1775)頃
絹本着色 軸装
70.0×30.0cm

岩上に止まる金鶏とその背景に海棠をやや上から見下ろすような視点から描きます。体力と気力がともに充実した応挙40代の作品です。画面下から順番にみると、緑色の濃淡で草を、墨色で岩を、そして極彩色で金鶏と海棠を巧みに描き、簡潔な表現のなかにも奥行きを見事に表わしています。何よりも金鶏の羽に施された赤、青、黄の三色のコントラストが、この画を引き締めて効果的です。右下に施された落款から安永4年、応挙43歳頃の作と知ることができます。

ARTIST

円山応挙 款
(享保18(1733)-寛政7(1795))
丹波国桑田郡穴太村(京都府亀岡市)に農家の次男として生まれました。円山派の創始者。本姓は藤原、のちに源、姓は円山、字は仲均、仲選。通称を岩次郎、左源太、主水。号は一嘯、夏雲、仙嶺などを用いましたが、1766年(明和3)名を氐から応挙に改めて以後、没年までこれを落款に用いました。はじめ、内裏の御用絵師であった石田幽汀に学びました。眼鏡絵の制作に従事し修行を続け、精緻な写生と大胆な構成で新時代の京都画壇をつくりました。63歳で没。

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