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はじめまして

山崎亮と申します。コミュニティデザインという仕事をしています。地域の課題を地域に住む人達が解決するためのお手伝いをしています。まちづくりのワークショップ、住民参加による総合計画づくり、利用者の意見を反映させた公共空間の設計などに携わっています。

noteを始めようと思ったきっかけは、新型コロナウイルスの流行です。僕が携わっているワークショップというのは、ひとつの空間に集まって、親密な関係性を築き、対話を繰り返していくというものです。ウイルスが流行すると、開催させてもらえなくなるような集いです。だから、この半年くらいは自宅に閉じこもって、いろいろ考えていました。

そのうちのひとつが「対話について」です。最近、改めて「対話ってなんだったんだろうな」ということを考えています。僕はワークショップですぐに「対話しましょう」なんて言ってしまうのですが、対話ってお互いの顔が近づいている印象です。ウイルスが伝播しそうな響きがあります。もちろん、「書物との対話」とか「自分との対話」など、ウイルスが広がらなさそうな対話もあるでしょう。でも僕が考えていたのは、顔が近くて、息が吹きかかって、つばが飛んできそうな対話でした。

そもそも対話しようと思うと、自分が頭の中で考えていることを相手に伝えなければならないわけですね。側頭部にUSBメモリを差し込んで、考えている部分をコピーして、相手の側頭部にUSB経由でコピーするなんてことは、おそらくまだできない。だとすると、頭の中に思い浮かべたことを「何かに変換して」相手に伝える必要があります。何に変換すればいいのか。

思いつくままに挙げてみると、①声、②身振りや踊りや歌、③絵や図表、④立体物あたりでしょうか。理解しあっている人たち同士の対話なら、どれかひとつに変換すれば通じ合えるかもしれませんが、なかなか伝わらないとなると複数の方法を組合せることでしょうね。イラストを描きながら説明したり、踊りながら叫んだり。

ところが、ウイルスによってこうした方法を対面で行うことが難しくなりました。対面ではなく、オンラインで伝えなければならないことが増えたわけです。①声は文章にして、②身振りや踊りや歌は動画にして、③絵や図表は画像にして、④立体物も画像や動画にして。。。それらをネット経由で伝えることが求められるようになりました。

そんなことを考えていたら、自分はこれまでどんな媒体を使ってきたのかが気になってきました。①声は文章に変換し、フェイスブックに投稿してきました。③絵や図表や立体物は画像に変換し、同じくフェイスブックに投稿してきました。動画に変換して伝えるという努力は怠っていました。しかし、ウイルスによって対面で伝えるのが難しい時代、なるべく多様な変換技術を持ち、それらをオンラインで伝えることができるようになっていたほうがいいと考えるようになりました。

そこで振り返ってみると、フェイスブックでは長い文章をほとんど書かなくなっていることに気づきました。仮にしっかりまとめた長文を書いてみても、タイムラインを流れる大量の記事に埋もれてしまうことがわかっているからです。日記程度に、その日の出来事を短い文章と写真で表現するばかり。その繰り返しになっていることに気づいたんです。

それと、個人のフェイスブックに上げた記事は、フェイスブックのアカウントを持っている人しか閲覧できないそうですね。だからグーグルの検索でもひっかからないんだとか。そうなると、ますます長文を書こうという気持ちにならない。タイムラインで流れ去るわ、フェイスブックユーザー以外は読めないわ、グーグル検索しても見つからないわ。そのうえ、若い人には「フェイスブックっておじさんしか使ってないですよねー」と言われるわ。何か違う場所に長文を載せて、自分の思いを伝えなければ。。。

そんな経緯でnoteを始めました。noteであれば、上記のようなことを乗り越えられるのではないかと思ったので。オンラインで自分の考えていることを伝えられるのではないかと思ったので。

ちなみに、頭で考えたことを文字に変換しないという方法についても検討中です。と、文字で書くとややこしいのですが、つまるところ「YouTubeをやろうかな」と思っている、ってことです。頭で考えたことを文字に変換するのではなく、声と身振りに変換してお届けする。この伝達方法にはどんな可能性があるのか。それを体感してみたいなぁと思っています。

ウイルスの流行で、これまで考えてこなかったことを考えるようになりました。試してこなかったことを試すことにもなりました。どんなことになるのか楽しみです。よろしくお付き合いください。

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