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【地下室のヘンな穴】男と女の悲劇と喜劇【映画感想文】

まさかの!?フランス映画No.1ヒット 引っ越した家には12時間進んで3日若返る奇妙な穴がありました。

公式ホームページより

 このあらすじを初めて知った時、私の脳みそは大興奮して、いくつかの考えがまるで走馬灯の如き速さで駆け巡った。(幸い、走馬灯はまだ見たことないけれど。)

  • 訳わかんない系SFが来たぞ……!

  • チャーリー・カウフマン meets フランスSF
    チャーリー・カウフマンは、『マルコヴィッチの穴』や『エターナル・サンシャイン』や『もう終わりにしよう。』など、摩訶不思議なようで(本人的には)筋が通っている物語を書く脚本家。私は彼の作品が大好きだ。

  • ラファティみあるなあ
    R.A.ラファティについてはこちらの読書感想文にて。

 ところが、実際に『地下室のヘンな穴』を鑑賞し終えた私の頭の中は、意外と穏やかなものだった。イロモノ枠かと思いきや、この映画、実は正統派なフランス映画だ。そして同時に、誰に勧めたらいいのかよくわからないまま時が流れた。
 でも、結構好きな映画で多分忘れがたいものになったので、感想文を綴ろうと思う。

 なお、この感想文には『地下室のヘンな穴』のネタバレと、映画内にあった程度の下ネタを含むのでご了承いただきたい。この映画に含まれる「哀しみ」を感想文でしたためるには、どうしても必要な要素だからだ。


突き詰めると究極の「男と女の喜劇/悲劇」

あらすじ
緑豊かな郊外に建つモダニズム風一軒家の下見に訪れた中年夫婦のアランとマリー。購入すべきか迷う夫婦に怪しげな不動産業者がとっておきのセールスポイントを伝える。地下室にぽっかり空いた“穴”に入ると「12時間進んで、3日若返る」というのだ。夫婦は半信半疑でその新居に引っ越すが、やがてこの穴はふたりの生活を一変させていく……。はたして、この不思議な穴がもたらすのは幸せか、それとも破滅か。人生が激変してしまった夫婦がたどる後戻り不可能な運命とは…。

公式ホームページより

 『地下室のヘンな穴』は、確かにコメディタッチな表現が多くて、クスッと(時に声を上げて)笑ってしまう。BGMも、お馴染みのお洒落フレンチ・ポップとは一線を画した、その……なんかこう……気の抜けた感じがする……。うん……。

 しかし、「シュールな笑い」に包まれているからこそ向き合える「哀しみ」がこの映画にはたっぷり込められている。もしこれが、「哀しみ」に寄り添うテンションの映画だったとしたら、たった74分間の上映時間だったとしても苦しい気持ちになったと思う。

・哀しみの男、ジェラール

一番右の男性がジェラール。(公式ホームページより)

 いきなり主人公夫婦ではない(=地下室のヘンな穴とは関係のない)ところから攻めて申し訳ないが、作中で一番コミカルな役割を演じ、最も哀しみの男として描かれ、『地下室のヘンな穴』という映画を体現していたのはこの男だと思う。
 彼はアラン(写真左)の勤務先の社長且つ友人で、アラン夫婦が引っ越して来た家のご近所さんだ。

 彼の笑えるポイントは、「電子ペニス」に集約されている。

 なにそれ。

 このくだりは本当に「なにそれ」の極みだし、彼が手術を受ける日本の描写もシュール過ぎる。挙句の果てに、ジェラールは車の運転中に股間が爆発して(多分)事故死する。コメディとしか言えない。

 しかし、劇中のジェラールを振り返ると、彼はひたすら「男性性」にこだわっていて、それは執着とも強迫観念とも言えるものだったことがわかる。
 彼の趣味はわかりやすく、「いい車・銃・若い妻(写真中央のジャンヌ)」という、男性性の象徴をずらりと並べたようなものだ。彼にとって、男性性とはそれほどまでに重要で、魅力的で、且つ失いたくないものなのだろう。
 彼が、スマホで操作出来る電子ペニスを選択したのは、割と切実な男性性への憧れだったに違いない。彼の年齢を見るに、身体の衰えを感じるには十分だ(お腹周りを見ると、健康面に気を遣っているようには見えないし)。男性性の象徴である若い妻を迎えたことで、かえって自分の男性性への不安が加速したことも想像出来る。
 彼は「衰えない男性性」を追い求め、その気持ちが空回りしちゃったんだろうな……下手にお金があるから実行出来てしまうってのがまた……。と思うと、彼に哀愁を感じずにはいられない。

 もう一つ印象深いジェラールの行動は、主人公の家で手術したことを告白してから、やたらと「アラン夫婦は感動していたか?」と気にしていたところ。本当の自己満足のためなら、自慢してそこで終わりにすればいいのに、ジェラールはそう出来なかった。
 男性性/女性性を追い求める人が満たされるには、相手が必要だ。異性にちやほやされる、賞賛される、求められる、同性から憧れを抱かれる……。相手の反応によって、ようやく心が満たされる。
 実際、ジャンヌが若い男性とイチャイチャしてた様子を見ると、もしかしたらジェラールは彼女からの愛情が冷え始めているのを察して電子ペニスにしたのかもしれない。
 「電子ペニス=衰えない男性性」という最高のはずのものを得たジェラールは、結局ジャンヌから満足いくほど賞賛を受けられなかった(愛されなかった)のだろう。だから、アラン夫婦の反応を気にかけていた。ジャンヌで満たされなかった分を、必死に友人で補おうとした。
 彼はやっぱり、哀しい男だ。


・哀しみの女、マリー

主人公夫婦、アランの妻・マリー。(予告編より)

 さて、ここでようやく話は地下室のヘンな穴の話題に移る。劇中で、地下室のヘンな穴との出逢いのせいで最も狂ってしまったように描かれているのは、マリーを置いて他に居ないだろう。

 「12時間進んで、3日若返る」
 そんな穴があったら、貴方は何に使うだろう。待ちきれないほど楽しみにしているライブが12時間後にある人なら、穴を通ってライブ会場に駆けつけるかもしれない。風邪を引いて具合の悪い人ならば、3日前の体に戻れば風邪が治っていることになるかも……? と期待して、咳き込みながら穴に潜るかもしれない。

 そしてマリーは、ヘンな穴を若返りに使った。劇中で彼女が明確に発言した理由は、「モデルとして活躍したい」だった。
 しかし、先述のジェラールの若い妻・ジャンヌとの遭遇や、一瞬だけ描写される通学途中の子どもへの視線、「(この家は)2人では広すぎるかな」というアランとの会話や、「子どもはとっくに諦めた」というジェラール&ジャンヌへの受け答えから察するに、「モデルとして活躍したい」というのは氷山の一角で、マリーが若さに抱く憧れは幾重にも層をなした並々ならぬものだったのだろうと思う。

 実際、彼女はたった9日間しか若返っていない体で夫・アランの前に現れて胸を触らせ、「もう変化が出てる」と発言している。

 いや、わかるわけなくね?

 正気であれば、それくらいの判断は出来るはずだ。ヘンな穴がない家に暮らしている私であれば、多分、自分の体が勝手に9日前に戻っていたとしても気付かないだろう。それが他人の体であれば余計に。
 しかし、病的なまでに穴の出入りを繰り返すマリーには、体の変化=若返りが全てだ。彼女は「優れた女性性=若くて美しいこと」という考えに取り憑かれていた。ジェラールと同じで、相手の反応がなければ満たされないものを満たそうとしていた。

 幾重にも層をなした若さへの憧れの中には、きっと、「アランに愛されたい」や「子どもが欲しい」もあったのだろう。これが、彼女の場合は酷く痛々しく描かれている。ジェラールの場合はコメディだが、マリーの場合は完全に狂気だ。
 だって、正気であれば、9日間で胸がそんなに変化しないことだってわかるだろう。穴を通った腐った林檎のように、外見だけ若返って中身は老けたまま蟻でいっぱいになるかも……なんて不安に駆られて病院まで行かないだろう。

 最終的に彼女は、20代まで若返る。そのために費やした時間を計算した人がTwitterに居た。

※映画公開前のツイートのため「寿命が減る」と書かれているが、映画内の描写を見るに、「現実世界から失踪する」と言った方がイメージは合うだろう。

 約3年4か月失踪し、20代の体を手に入れたマリーだが、モデルとしては鳴かず飛ばずだったことがわかる。彼女もジェラールと同じように、「優れた女性性」を手にしたはずなのに報われず、満たされなかった。
 最終的に精神を患い入院してしまった彼女を見るにつけても、あのまま自然に任せて加齢しながら、アランと共に生きた方がずっとよかったよなあ、なんて思ってしまう。

 だけど、それは私たちがヘンな穴と関係ない場所に居るからだ。もし自分があの穴のそばに居たとしたら、どう行動しただろうか。アランのように、あっさり関心を失うだろうか。はたまた、マリーのように狂ってしまうだろうか。このありきたりな問いは、観客の価値観を問うていると言っていい。

 ヘンな穴ををのぞく時、ヘンな穴もまたこちらをのぞいているのだ。

 まさにこれ。

 私が若返りを期待して穴を使うなら、多分、肩こり腰痛のない体になりたいな……という願望によると思う。これは自分にしかわからない効能だから(見た目は変わるだろうけど主目的ではない)、実行したら勝手に満足出来るお手軽なものだ。そう思うと、マリーは本当にいばらの道を進んでしまったと思う。

 だけど、スクリーン越しに見ていたからわかる。
 あなた、今のままでも十分アランに愛されてましたよ……?

 では、マリーが穴を降りていた間、アランは何をしていたのだろう。


・正気という狂気の男、アラン

左がアラン。ジェラールに連れられて射撃場に行くが、乗り気ではない様子。(予告編より)

 彼は何もしなかった。いや、多少は行動した。時々はマリーに声を掛け、穴に執着し続けるマリーの様子を見かねて、穴を塞ごうと試みた。
 しかしそれ以外は、ごく普通の生活を続けた。それが何よりも狂気だと、私は感じた。

※余談だが、「家の様子が明らかにおかしいのに一人だけ正気を保っている狂気の男」と言えば、映画『ハイ・ライズ』の主人公、ロバート・ラング(トム・ヒドルストン)が想起される。

 ラングも、どんどん荒れ果てていく高層マンション、狂っていく住民たちを意に介さず、ジムで筋トレをするなどの日常を繰り返していた。
 J・G・バラードの名作SF小説が原作の映画で、なかなかに見るのが大変な映画だった記憶がある。


 さて、話を『地下室のヘンな穴』に戻そう。
 アランは穏やかな性格の人物として描かれている。フランス映画の割にアランとマリーの口論の回数が少ないのは、彼の穏やかさがゆえだろう。(とは言え、激昂する場面は何度かある。)
 彼はジェラールとは真逆でいい車にも銃にも食い付かないし、ジャンヌからの誘いにも靡かずむしろ怯えたような反応をする。ちょっと頼りない彼なりに仕事では(ゲームしている時もあるが)努力するし、(内覧の約束をすっぽかしそうになるが)マリーと過ごす時間を大事にしているように見える。

 ただ、アランはそうした日常を、マリーが穴を通り続ける間もずっと貫いていた。
 先述の9日間だけ若返ったマリーの体の変化を「わからない」ときっぱり言う正気を保ちつつ、「体の中が蟻だらけになるかも」と不安を訴えたマリーに付き添って病院へ行った。その間も、仕事の契約書に悩まされたり、晩御飯を作って一人ぼっちで食べたりしている。
 この絶妙なバランスは、正気だろうか。それとも、彼もまた狂っていたのだろうか。

 物語の最後、マリーは入院してしまい2人は離れ離れになる。それがどれだけ遠い場所なのか、どれだけの時間なのかはわからない。しかし、離れていても2人はそれぞれ、目の前に居ないお互いに話しかける。
 目の前に居ない時でも相手に思いを馳せるって、愛じゃないならなんなのさ。

 しかしアランは、穴を通り続けるマリーに「愛しているから戻って来て」とは言わなかった。彼女の中にぽっかりと空いた虚無の穴、満たされない心を埋めようとはしなかった。
 劇中の様子を見ると、普段からあまり愛情表現をするタイプではなかったようにも見える。口論の描写が少ないのも、穏やかさというよりは「自己表現や相互理解に対する無気力さ」を表現しているのかもしれない。一緒に過ごす時間を心地よく思っているのも、マリーが居てくれたらと思っているのも本当のことなのに。
 日本に居るとあまり実感が湧かないが、多分、フランスみたいな国で愛しているのに口に出さないなら、愛など存在しないに等しいのではなかろうか。

 つまり、アランは今までずっと何もしてこなかった。
 その事実が、とても哀しい。


実は正統派なフランス映画『地下室のヘンな穴』

 こうして見ると、『地下室のヘンな穴』はかなりフランスらしい映画だとわかる。曖昧模糊とした、しかし確かにある哀しみをフルスロットルなシュールさとコメディ、トンデモ設定で包んでいるから、「よくわからない」とか「笑える」といった感想に行きつく映画に仕上がっている。
 それ故、誰に勧めたらいいかわからない。お洒落なフランス映画が好きな人に向けてはあまりにも下ネタが過ぎるし、シュールSFが好きな人にはちょっぴりSFが足りない。

 だが、そこがいい。それでいい。

 この映画の哀しみは、この形でしか表現出来ないものだったし、これが最善だったのだと心の底から思う。

 だってそうじゃなかったら、自分の股間が爆発したのを見て悲鳴を上げながら交通事故死する男やら、体の中に蟻が住み着いたりしませんか? と真顔で医者に質問する夫婦が出て来て、74分間の最後(体感)5分くらいがへっぽこBGMで処理されるような映画で哀しみを感じることなんて、きっと出来なかったはずだから。



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© 2022 Aki Yamukai


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