見出し画像

4期鬼太郎を全部見たので語る(前編・キャラクターについて)

いやぁ、タイトルの通りです。ゲ謎を観て、ちょっと自分の妖怪遍歴をまとめたnoteを書いた後にhuluに課金!初めての動画配信サービスへの課金だぁ!フッフゥー!(※ニコ動プレミアム会員は除く)
テンション上がりすぎて都度都度TwitterとBlueSkyで呟きまくってしまった…。そのまとめはとりあえず以下に。

…と、本当に視聴と並行して感想言いまくってたけど、これは文脈もへったくれもない叫びの集合体なのでここいらでサクサクっと語りたいと思います。


なんで4期から見たのか

他に書いた自分のnoteでも何回も話題に出していることなんだけど、「私の中の原初の鬼太郎が4期だったから」に尽きます。
あの落ち着いた松岡鬼太郎くんの声と「はい、父さん」のセリフがずっと頭にあって…。あと、一反もめんとぬりかべのお声も記憶に残ってました。一反もめんの「鬼太郎ど~ん!」を聞いたときの安心感と懐かしさがハンパなかったです。

あと、ちょこっと消極的な理由を言ってしまうと3・5・6期は自分の中の人知識で、聞いているうちに高確率で別作品のキャラクターが脳裏をよぎりかねないので敷居が高くてな…。でも今これを書いている時点では4期観終わって次何見ようかなってわくわくしてますからね!絶対見ますよ!!!!

キャラクター

鬼太郎

私が記憶している紳士そのままの鬼太郎でした…松岡鬼太郎くん…。でも、ちゃんと見た目年齢相応な明るい声もちゃんと出てました。13話の「妖怪屋敷へいらっしゃい」も明るい声が出ててよかった。行動面で年相応って言うと10話でトランプで遊んでるところかな…と思ったけど、運動会が妖怪の世界全体でのお楽しみって言われていたり、だるま回で砂かけ婆と子泣き爺が待っている間に遊び始めてしまったり、さら小僧回で演奏会しているあたり、妖怪という生き物は全体的に娯楽が好きなやつが多いので、人間価値基準の「子供っぽい」はあまり当てはまらないのかもな。

娯楽よりも他者のための行動や弱いものを守る行動を率先して実行する鬼太郎は一般妖怪から見て『コイツ、なんか変』っていう目で見られることも多く、それが作中の「鬼太郎は人間の味方ばかりしている、妖怪の面汚し」というそしりが飛んでくる要因になってしまうように見える。
そんな松岡鬼太郎くんがしんに「子供」になるのって、目玉の親父殿に甘えている瞬間しかないと思う。水虎回の「ぼくは父さんの子ですよ」とかは誇らしさと「ねぇ褒めて褒めて!」みたいな感情が見えて、これが鬼太郎の「甘え方」なんだなぁ…と感慨深くなったりした。
個人的にはひでり神回の「乾いてるからよく燃えますよ!」のセリフも「やっつけましたよ!褒めて褒めて!」の感情に、妖怪特有なのか鬼太郎特有なのかよくわからないクレイジーな価値観が上乗せされて、感慨深くなるの通り越して色々とヤバいな…とか思いました。
このクレイジー価値観、妖怪ラリー回の車で突っ込むノリに似たものを感じるのでもしかしたら鬼太郎特有のものなのかもしれない。

でも松岡鬼太郎くんは目玉の親父殿に対して息子らしく甘えるだけじゃなくて、奥方みたいにしっとり接することもあるので、唐突にそういった場面が展開されると脳がめっちゃバグったりなどするのよね。51話の年末回の冒頭パートの「もうじき今年も終わりです」っていう目玉の親父殿との一連のやり取りなんかを見た(というより優しそうな松岡鬼太郎の声を聞いた)あとなんかは完全に宇宙猫になりましたもん。あれ…私…今何を見た??何を聞いた???って感じ。

あとはそうだな…鬼太郎が怒るときの話。
今回の全話視聴前の記憶がおぼろげな状態でも『松岡鬼太郎は怒らせるとヤバい』という認識はバッチリ残ってて、全114話+劇場版3本の中で何回ヤバい怒り方している鬼太郎が見られるかなと思っていたのですが、案外恐怖を覚えるような怖い怒り方をしているのは蛇骨婆回くらいでしたね。あとは穴ぐら入道回や鉄パイプ回のような " 義憤ぎふんに駆られる " 感じの怒りが多かったと思います。穏やかさが強調されるので印象として挙げられることは少ないけど、やっぱり松岡鬼太郎くんも『ヒーロー』なんだなぁって感じです。んでもって義憤に駆られる怒り方のほうが回数としては多く、それとセットで最終的には相手側が改心したり問題が解決するパターンも多いので、松岡鬼太郎のキャラクター性を体現しているのは「理不尽に対する怒り」がキーワードなのだと感じました。
さてそこを踏まえて、SNSで流れてくる『怒ったらヤバい松岡鬼太郎』として真っ先に挙がる蛇骨婆回ですが、これはどちらかというと松岡鬼太郎の「アニメ主人公としてのキャラクター性」よりも「1つの意思を持つ個人」として見た方がいいやつだよな…と個人的には思った次第。蛇骨婆回は鬼太郎個人に対する攻撃がことの発端であり、理不尽に対する怒りでもなく、鬼太郎以外の第三者に迷惑かけたわけでもないので、鬼太郎の怒り方にヒロイックなものを一切感じないのよね。「何回も突っかかってきてうざったいからいい加減にしろ」みたいな…こう、普通の人間だったら誰でも持ち得る癇癪に近い怒り方をしているような気がする。目玉の親父もその場にいないので、いい子ぶらず、取り繕わず、生々しい未加工の原初の怒りをぶつけている…ある種、松岡鬼太郎の例外であり、深い深い本質だと思った方がいいのかも。
こういった本能のままに怒るのは1期2期原作のほうが多いのかな…?ちゃんと見たらまた考えたいなと思います。

最後に松岡鬼太郎のキャラクター性について総括。
「原点回帰」を掲げられて作られた4期鬼太郎なわけですが、バブル崩壊後の不景気さや閉塞感、怪奇ブーム真っただ中の人間と妖怪の境界の曖昧さ、一刻堂回で概念を捉えられてピンチになってしまうエピソードも存在していることも相まって「秩序の擬人化」っぽい側面が強い気がします。
個人的な思い出の印象で恐縮なんだけど、同時期のぬ~べ~が小学校教師で「教え・導く」ことが多かったことから、松岡鬼太郎くんにも似た属性を感じました。3期の戸田鬼太郎くんが速攻元気ゼリーコラボでモーレツ(社畜)サラリーマン概念がちょいちょい存在しているみたいですが、松岡鬼太郎くんが人間社会で一定の立場とか職を得るとするならば教師とか研究者とか作家とかがしっくりきそうですね。比較的最近の都市伝説と無理くり関連付けるとするならば「時空のおっさん」をもっと優しくして親しみやすくしたっぽい感じもある。人間と妖怪の世界の中間に立ってうまいこと行くように調整する役をこなし、どちらかに異様に肩入れしていたり、毛嫌いするような感情をもっていたりすることも無く、双方の言い分を聞いて倫理や人情も判断の材料にして最終的な行動指針を立てる…歴代の鬼太郎の中で一番「中立」と言っていいと思います。
しかし、目玉の親父やねこ娘、ねずみ男といった身内判定したファミリーに対しては本当に特別扱いをしたり、情状酌量が甘かったりするので、その部分が「鬼太郎は無機質な秩序の番人なんかじゃなくて、1つの意思を持った個人なんだな…」と思わせる要素になっているように感じる。" 公 " と " 私 " が完全に切り分けられていて非常に安定感と安心感があるキャラクター性をしているな…というのが総括です。
最近の作品は主人公自身が葛藤とか苦悩を抱えていて、それを軸に作品が転がっていくことが多いので見ていて疲れることがある(※個人の感想です)のですが、松岡鬼太郎くんはノイローゼ回以外でそういった面を見せることが少ないので省カロリーで視聴できる作品の主人公の代表格になるのかもしれないですね。

目玉の親父殿

4期鬼太郎におけるヒロインといっても過言ではない存在。

「はい 父さん」のセリフが頭にこびりついてしまっているためか、存在そのものが松岡鬼太郎くんとセットで紐づいてしまい、ゲ謎のゲゲ郎とは紐づけられずに視聴出来ました。まぁ、いんたーねっつ界隈でたまに見かける「これから目玉の親父をどんな目で見てアニメシリーズを観たらいいんだ…」みたいな困惑はあんまり発生しなかったと言っておきます。

アニメのキャラクターとして4期目玉の親父を捉えるにあたって、「尋常じゃない程度に父さんのことが大好きな」4期鬼太郎の存在が前提に在ると思う。親が無くては子供は存在しないものであるのは因果上 " それはそう " っていう話だが、アニメ作品の中のキャラ確立的な面で見ると、あの穏やかでほんのちょっぴりドライな松岡鬼太郎くんに尊敬されてあんなに好かれるような "父親" は " 4期の目玉の親父 " しか居ないなのではないか…としか言いようがない。

話の展開上の役割としての目玉の親父は「知恵袋」と「ヒロイン」の二極化といえるのではないかと思ってる。

牛鬼回や吸血鬼ピー回なんかは浄化ヒロインっぽいし、八百八狸回の親父殿inお花畑は松岡鬼太郎くんへの誘惑の対象としての有効打になりうるという扱いだし、劇場版大海獣はどんなに姿が変わっても理解してもらいたい相手だし、劇場版まぼろしの汽車では目玉の親父が究極のピンチであるところに助けに入るタイミングなんかがもうメタ的に制作スタッフからもヒロイン扱いされている証拠だろコレ…と思ってしまう程度のヒロイン力である。

知恵袋としての役割は、まぁ毎回「それは○○の仕業かもしれんぞ」「○○?なんですかそれは?」というやり取りが定番なので言わずもがななんだけど、枕返し回の攻略法をさも当たり前のように知っていたり、マンモスフラワー回でもマンモスフラワーを実際に知っていたりと…『何かを知っている』のレベルが視聴者の想像の何段階か上を行ってて、スキルとして確立しているレベルに達してて本当に凄い。これは松岡鬼太郎くんにも尊敬されるという説得力にもつながっててキャラ造形が上手い。

あとはそうだな…4期目玉の親父とゲ謎ゲゲ郎を並べてみると、4期目玉の親父の中(松岡鬼太郎くんの中)での「水木」は極端に存在が薄いか、下手すると登場していないのではないか…と感じる。だって、入る隙が無いくらいの親密な親子関係過ぎて、「水木が居ない状態で4期アニメシリーズが始まる経緯」の辻褄を考えるのが比較的楽なんだもんな…。
墓場から鬼太郎が生まれて、誰にも頼らずドドドド根性で目玉一つで松岡鬼太郎くんを育てて(もちろん松岡鬼太郎くん自身が早いうちから賢く目玉の親父の意思をくみ取って助け合いながら生活していった)、松岡鬼太郎くんの性格がアニメシリーズ開始くらいまで完成された時期くらいにねこ娘や砂かけお婆や子泣き爺と交流を持つようになった…と言われても何も驚かないぞ私は。
でも流石にガチで目玉一つで育て上げたっていうのは色々と物理的に無理がありそうなので、ねずみ男の助けもいくらか借りてそうではある。がんぎ小僧回でねずみ男側の証言もあるし、あんな奴でもそこはかとなくねずみ男を頼りにしている様子を見るに、低頻度ではあるものの目玉の親父が鬼太郎を育てる過程でちょくちょくねずみ男とやりとりはしていそうではある。

ねずみ男

さて、目玉の親父のところでねずみ男について触れたのでそのままシームレスに行きましょう。

やっぱりおぼろげ記憶のなかのちょっと厄介者扱いされるというイメージのままであることが多かったものの、SNSでよく散見される「4期はねずみ男人情噺が凄い」という評価に恥じない泣かせっぷりでした。
普段の冷たくされ具合とのギャップと、演じられている千葉繁さんの実力に裏打ちされたキャラクター造形を感じる…。

こればかりはここで私が語っても、実際に千葉さんの演技を体感すること以上のことはお伝え出来ない気がするものの、「人情」に重きを置いた4期ねずみ男のキャラクターは、114話という長い時間を要してじっくりじっくりやっていかないと完成し得なかったのではないかと思います。
あかなめ・白うねり回や陰摩羅鬼回、がんぎ小僧回、折りたたみ入道回で見せた、「寄る辺の無い者が真に自分を頼ってくれた時の他者に対する姿勢」や、天邪鬼回での「1人で生きていくことのポリシー」が本当に一貫していて、そのブレなさがねずみ男の生きてきた時間や経験を濃密に感じさせるものとなっている。
百目回なんかは「あれ?百目の子に優しくしないんだ」と思う視聴者も居そうではあるが、これは百目の子にちゃんと親がいることを知っていて、潜在能力があり、いつか必ずそれが花開くことが高確率で保証されているというやっかみであまり優しくしないんだな、という目で見ると、ねずみ男の中の線引きをきちんとアニメ制作的に設定しているのだなという風に感じる。ねずみ男に対するキャラクターの丁寧な作りこみに本当に舌を巻いた。

キャラクターの深層的な話をしましたが、表層的なトラブルメーカーとしての役割も考えていきましょう。
長いシリーズ、結構笑えないやらかしも両手の指じゃ数えられない程度にはおそらくやっていたと思うのですが、千葉さんの気風きっぷのいい演技で全く気にならなかったなぁ。声質や演技も相まって、こっからやらかすんだろうな~と思いつつも、露天商をやっている時の口上はウキウキワクワクのほうが先立つし、逆に元気のない状態での露天商の口上が聞ける旧鼠回なんかはそのギャップも相まって悲壮感が凄かった…。
youtubeなんかの反応集で見たんだったか、「ねずみ男は昭和の時点で情報商材で儲けようとするタイプなので、SNS時代になると危険度爆上がりする」みたいな考察があった。4期の1996~98の年代だとWindows95が発売直後で、企業にはPCが普及してたけど個人には普及しておらず、ケータイもアイモードがあるかないかくらいのアレなので、どちらかというと対個人より対企業のほうが危険度高かった時代なんじゃなかろうか。
世相反映を織り込んで考えると、姑獲鳥回の託児所ビジネスや、三匹の刺客回の人材派遣サービス仲介料ピンハネあたりが4期ねずみ男のハイリターン事業にあたるのではないかと思う。(輪入道のダイヤ販売あたりなんかはいつの時代でも通用する、元手軽微で高く売る転売ビジネスなので特筆するほどじゃない感じ。)

鬼太郎や、鬼太郎ファミリーとのつながりについて。
これに関しては本当に「腐れ縁」以外の形容のしようがない感じだな~と思う。
WikiやPixiv百科事典なんかでも、4期は鬼太郎ファミリーからのねずみ男の扱いがかなり冷たいとの評価なんだが、普段の冷たい扱いがあるからこその、その裏でどう思っているかが見えた時のギャップが凄い。
天邪鬼回はねずみ男のポリシーの吐露に目が行きがちだけど、冒頭の手紙でお呼ばれして、素直に善意を受け取ろうとする松岡鬼太郎くんの姿勢から形容しがたい関係性を感じてあーっ!ってなる。旧鼠回のねこ娘との関係性もです。いや、マジで言語化不可能ですよこれは…。

ねこ娘

ビジュアル以外の記憶がおぼろげなところに持ってきて、二次創作での幼女感増し増しのほうに寄ったイメージを持った状態で視聴開始したので、意外と姉御感強いし、かなり自立してんじゃん!と驚きました。
ねこ娘は5期6期の二次創作のほうが「お姉さん」「自立した女性」としてイメージされていることが多く、4期ねこ娘は唯一鬼太郎より身長が低いことも相まって過小評価していた模様。やっぱり実際に見るのが一番ですね…。

ラクシャサ回はねこ娘そのもののキャラクター性以外にも語りたい要素が多いため後回しにするとして、人食い肖像画回の母性や、閻魔大王回の母親に寄り添う娘からの尊敬と思慕しぼの描き方が凄く丁寧でした。
松岡鬼太郎が「秩序」、千葉ねずみが「人情」ならば西村ねこ娘は「無償の愛アガペー」がキャラクター性の軸とも言えそう。鬼太郎もねずみ男も愛がある場面はあるんだが、ねこ娘はそれよりももっと大きく、おおらかで、母性的な印象を受ける。バブみでオギャるなんて俗っぽい言い方では表しきれないもっとでっけえものを感じたぜ…。

あとは…ポジションとして形容するならば「マドンナ」が一番しっくりくると思う。
鬼太郎ヒーローへの気持ちや立ち振る舞いなんかはヒロイン、妹、相方…色々言えると思うんだけど、鬼太郎から見たねこ娘、目玉の親父から見たねこ娘、ねずみ男から見たねこ娘、それ以外のねこ娘と友人関係を保っているねこ社会から見たねこ娘…これらの像を総合すると「マドンナ」が一番しっくりくる。
猫町回なんかが一番わかりやすい「マドンナ」扱いですね。あとは…旧鼠回のねこ娘は、学園社会でつまはじき気味なはねっ返り(ねずみ男)と面倒見のいい姉御的マドンナ(ねこ娘)だし、鬼太郎の関係も、しっとりした紳士とその手を取るマドンナと形容するとしっくりくる。二次創作思考回路で申し訳ないんだが、成長松岡鬼太郎を大正時代書生風の和装、ラクシャサねこ娘を大正ロマン風女学生の袴姿、ねずみ男をバンカラ学ランの姿で想像するとすごくビビビと来るんですよ…。目玉の親父もそんなしっとりした関係性を実の息子と保っていたら義理の娘として庇護して関係性に適切な距離でアドバイスしてあげたりしたいだろう(ラクシャサ回の「男の子~」発言)っていう解釈も見えてくる…。

総括すると、ねこ娘は何というか「家族単位」「社会単位」での愛のやり取りを感じさせるマドンナといったキャラクター性をしている…。
そこから「女性」「母親」「家族」「自立」「愛」といった色んな切り口で4期鬼太郎の世界観を語ることを可能とする重要な役割であると思う。

砂かけ婆・子泣き爺

一言で言うと「家族」。もうちょっと詳しく形容するならば朝ドラとかに出てくる「メインキャラクターがたむろする飲食店に集まるいつもの面子」っぽさもある。(ちなみにここで私は朝ドラの あまちゃん の喫茶リアスを思い浮かべている)

家族っぽさが強調されるのはやっぱりほうこう回でしょう。自分がどうなってもいいから鬼太郎を助けようとするさまは本当の祖父と祖母のようだった…。
砂かけ婆や子泣き爺個人にフォーカスが当たるようになる話が出てくるのは5期以降だという噂はチラっと小耳にはさんでいるのですが、野づち回やひでり神回もそんなにガッツリ掘り下げないものの、意外と情報量はある気がする。

朝ドラに出てくるいつもの飲食店にたむろする面子感に関しては、妖怪アパートの存在が欠かせないでしょうね。多分5期の妖怪横丁に繋がる要素だと思うのでここでのガッツリ語りは避けますが、大首回の爆発物宅急便事件や妖怪ラリーのTV宅配のくだりなんかはまさにそんな空気感で見ていて思わずニッコリしてしまった。

5期6期でこの雰囲気が強化されるのであれば、これ以上ない楽しみだと思います。(色んなキャラがわちゃわちゃしている状態が大好きオタクなので…。)

一反もめん・ぬりかべ

この子たちはキャラクターがうんぬんというより、個人的なへきにより結構贔屓目で見ちゃったな…って感じです。
自分の趣味嗜好として、無機物が自分の意思を持ったかのように動くさまが本当に好きでですねぇ…。ポケモンなんかでもネンドールとかドータクンとかシャンデラとかニダンギルとかクレッフィとかポットデスとかヤバソチャとかがもうメッチャクチャ大好きでして…。化け草履回で鬼太郎の下駄が自分の意思をもっているかのようにねずみ男と意思疎通しているシーンとか本当にもうツボでツボでしゃーないんですよ…。
そんな癖がある人間が、一反もめんとぬりかべを見たので…Twitter(現:X)で「木綿どん!」「ぬりちゃん!」って幾度となく叫ぶ羽目になりました。後悔はしていません。だってかっこいいんだもの。

実際に見ていただけると分かるのですが、ぬりかべと一反もめんは本当にマジのマジで鬼太郎ピーーーーンチ!っていう場面で颯爽と助けに現れてくれたり、ぬりかべだけでなくひらひらな一反もめんも身を挺して鬼太郎を守ってくれたりするので「これは惚れる」ってなる。冗談抜きで。

ぬりかべは4期においてほとんど喋らない(5期6期は4期よりもうちょっと喋るらしいけど詳細はまだ知らない)けど、たまに「ぬ~り~か~べ~」以外の単語(「えへっ」とか「ぬっりー("オッケー"のイントネーションで)」)を喋っているところを目撃すると「か゛わ゛い゛い゛」ってなる…私がおかしいのか…?

一反もめんはぬりかべに比べるとそれなりに良くしゃべるし、八百八狸回ではクレバーな単独潜入奇襲を見せてくれました。カッコイイ!
あとは、人型のキャラクターや丈夫なぬりかべと比べると、ビリビリボロボロになるシーンが多いし、ボロボロ具合が見てるこっちが「はわわ…」ってなる程度にヤバさを感じるので掻き立てられちゃうんですよね、庇護欲。鬼太郎も同程度にボロボロ描写が多いですが、鬼太郎は食われたり人間の形状を保てなくなるのは一種の勝利フラグなので庇護欲が発生しないんですよね…。個人的には八百八狸回レベルの活躍をもっと増やしてほしかったな…っていうのが正直な感想…。他の期ではどのような活躍を見せてくれるのかめっちゃ楽しみです!

まだまだ語りたいけど

まだまだ語りたいけどこの記事ではこんなもんで…。(長くなってきたし書いててそろそろ力尽きそうになってきたので…。)

キャラクターではなく、話の構成や演出についても語りたいことはたっぷりあるので、それはそれで別記事をまた書こうかな~と思います。

それではまた、記事を読んでいただけることがありましたら、その時はよろしくお願いいたします。

後編記事書きました

他記事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?