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喧嘩してるのはワシとこだけやないか!その理由と果報。

1週間程、当てもない旅に出るべえ、と韓国に行こうと思いきや,気
がつくと東京へ旅に出てしまった。

ホテルに着き、寝るか本を読むだけで、空腹になっても外に出るの
が面倒で、我慢した。2日目は、ホテル下の安い食堂に行った。

3日目は、北九州のプロボクシングの後輩で、日本タイトルに2度
挑戦した白石君と、熊本県の苦労人プロボクサーで、今は大塚の角
海老宝石ボクシングジムの名トレーナー、奥村健太君が祠に来た。

歌舞伎町

2人に共通する事は、ボクシングを悔いなくやり切った事だ。

やり切って、違う世界にいく者は、話していて気持ちがいい。

3人で歌舞伎町で遊び、コーヒーを飲みに行き、角海老宝石ジムで
世界タイトルを奪った元世界フライ級チャンピオン、小林光二さん
と昔話に花が咲いた。やはりボクシングは良い。

北九州だのボクシングだの教育だのと言いながら、55年間突っ走
ったが、この国は自分の利益しか考えない者が、政界を牛耳る限り
もうアウトだろう、と思う時がある。

教育が悪くなった原因は、明治維新以降で、これはエビデンスがあ
るから、歴代総理すら何も言えなかった。

言えない上にやらなかったから、エビデンスを示し、滔滔と日本の
教育を語った安岡正篤氏にこの頃の政治家は頭が上がらず、自分の
事だけを相談し、頭を下げ教育と道徳を放棄した。

私は前以て言っておくが、暴力団と付き合わない男で有名で、特に
それは27歳から顕著になる。

しかしこれから書く話は、今の私の心に沁みる、昔読んだ極道の話
だが、興味のある方は読んで欲しい。

昔、山口組に山本健一こと「ヤマケン」という人がいたそうだ。
山口組若頭で、山健組初代組長。

本で読んだだけだが、この人の言葉は50歳をすぎ、時折自分自身
の思いを馳せる事が起きる。

以下は20歳の頃に読んだ本の記憶のまま、記載する。

この人は若くして山口組のNo.2となり「俺は日本一の親分を持っ
た。だから日本一の子分になる」。そういう欲のない人だった。

昭和某年。山口組系佐々木組組員が、松田組の組員から射殺され
る。

殺されたのは佐々木組組員なので、報復は佐々木組がやる。
松田組が300人なら佐々木組も同数。

一万人と言われる山口組全部が、わざわざ動く話ではない。

さあ、佐々木のお手並み拝見すぐ終わる、佐々木組が動く。
どう松田組に返しをするか。

誰もがそう思ったが、佐々木組は動かない。

これを会社の組織論で「依存」といい、組織はこういう所から崩壊
する。

親分が恥をかく、という事でヤマケンの組から松田組に対して次か
ら次へと襲撃部隊が行く。

最早、松田組vs山健組、と言えない事もない様な事態になったそ
うだ。

こうして迎えた幹部会の席上での話。

ここからが本題である。

ヤマケンは組織のNo.2だが、No.3の幹部達は彼より年上でヤクザ
のキャリアも金もあり、兵隊も多い所謂スターヤクザが多かった。

ここで何年も我慢していたヤマケンは、とうとう激怒する。

ケンカしとるんは、ワシとこだけやないか!お前ら何考えとるん
じゃ」

組織論としては、けだし正論である。

犯罪は悪いが、組織人としての山本氏の思考は正しい。
しかし得てしてこういう人は、大金を持たず貧乏クジを引くのだ
が、この方もそうだったようだ。

今回ヤクザの是非は一旦置き、人や組織、会社や国と置き換え論じ
てみたい。

我々は1人では生きられないので家庭、学校、会社、組合、任意団
体に属し、日本国で生活をする。

一匹狼を自負する私も、日本ボクシング協会、北九州再生推進会議
等に属する。

属する限り、貢献するのは当たり前の事である。

自分の仲の良い友や仲間は、独立し会社の理念を追うトップ、会社
役員として、利他的な愛情を持ち部下を指導する立場になった。

だから自分の会社や、社会の為に仕事をするが、私の友達は日本で
少数のマイノリティとなった。

私は約3年前に数度、そして最近、ヤマケンの言葉が頭をよぎる事
が数度起きた。

別に自分を認めてもらおう、という思考はない。。
少数だが、柳原さんは凄い人だ、柳原さんは憧れの人だと言ってく
れる人もいる。

今迄、お人よしで人の為に生きて来た。
これから何があるんだろうか。

例えばボクシングで、日本チャンピオンが出たと仮定する。

そしてそのチャンピオンが、私に何の感謝の意を持たずとも、本当
に私は嬉しく思い、感謝されぬとも何も恨まない。心から喜ぶ。

多分、目に見えない事は幾つか達成してきたと思う。

しかし、このまま行くとヤマケンの記述した言葉が、どんどん出て
くる気がして、つい気づくと東京に行っていた、というわけだ。

金だけ、自分だけ、という者はこういう気持ちにならないと思う。

因みにこの話を当ジム顧問の島田信行トレーナーに話すと、珍しく
驚き「10年前同じ事を考えてましたが答えが出ません」と言う。

私は経営が下手で、知恵と度胸と交渉のうまさ、そして「柳原さん
から助けられた」という人達のお陰でここまで来た。

最初の恩人は24歳の時、同棲してたクラブ勤めの女性で、彼女は
店でVIP連中ばかりを相手にしてるので、私をうまくコントロール
してくれた。

借金の取立という、不労所得で暮らす当時の私に「儲けたお金の半
分だけ預けて」と言われ、言われるままお金を彼女に預けた。

すると一年ちょっとで200万になっていた。
このお金を元手にして25歳で起業し、今がある。

育ての親もいたが、私が30歳で亡くなり、その後人生最悪と言え
る某社の顧問となる。

いつも嘘をつかれ、騙された話を鵜呑みにするバカな私は、それで
も火中の栗を拾い、頼まれ事は全て片付けた。

この会社のトップと幹部は、私の戦いをただ見るだけで、いつもト
ップ以下全員逃げていた。

愚痴を言ってるわけじゃない。いつも人の為に、人が喜んでくれ
る、そう思うと楽しくて仕方なかった。

ただ時にバカらしくなり、数年に一度は「真面目にやりよるのオレ
だけやないか!」。そうヤマケンの言葉が脳裏をよぎった。

こんな事ばかりだった。

しかし、それも天命である。
環境は自分で変える。

他人を頼らず、政治を頼らず、思うままに生きていこうと思う。

今の私の周りは徳とか仁、義を重んじる大人の方が5、6人いらっ
しゃって、この方達の力を借り指導して頂き、北九州市を変える。

YANAGIHARAボクシング興行 井上秀作市議と泉日出夫市議


今年に入り、今迄より更に分かった事がある。

自分さえ良ければいい、嫌な事から逃げ自己主張だけをする若者。

教育の重要性の分からぬ政治家、まともな生き方をしようとせず、
子を教える能力のない親が多い事を再認識した。

フロイトの心理学にこれが出ている事を、昨日知り慄いたが。

さあ。これから何の為に、誰の為に生きていこうか?
その答えが出るまでどうしよう?

そう思いこうして筆を進めていると、いい諺を思い出した。

「果報は寝て待て」

嗚呼。

物を書くという事は、心が整理できて本当にいい事だ。

読書とボクシングは、友情と同じ位大切だとしみじみ思う。


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