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「大五郎12ℓ アメリカ依存症」

休日の朝に食パンをどう食べるか? 何より買ったばかりの未開封のロイヤルブレッドがあったらどうするか?
言うまでもなくトーストではない。
開けたばかりのロイヤルブレッドの正しい食べ方は、サンドイッチだ。
たまごサンドかハムサンドがいい。
たまごサンドはゆで卵を崩してマヨネーズとあえる。ハムサンドはマヨネーズを塗った食パンにハムときゅうりのスライスを挟むだけ。どちらもシンプルなサンドイッチだ。
ややマヨネーズに信頼を置きすぎかも知れないが、べらぼうにうまい。合わせるのはコーヒーでもいいし、牛乳でもいい。
開けたばかりの食パンはトーストにするよりもそのまま食べた方がうまい。そんなことに気づいたのも酒をやめたことがきっかけだった。
そもそも朝食を食べたり食べなかったりすることが多かった。理由は二日酔いのせいだ。言うまでもなく。
静かな朝を迎えられることで、繊細な味覚を取り戻せたのだろう。それも断酒によるいい傾向のひとつだと思う。

数日前に鳴子坂いずみからメールが届いた。
依存症患者と面談を設定したという内容だった。
患者の名前、連絡先、面談の場所が簡潔に記されていた。
と、同時に眼鏡のマークが添付されていた。意味は分からなかった。

指定された場所は、渋谷区のレストランだった。レストランというか、正確にはアメリカンダイナーだった。
よく映画で見るようなアメリカンダイナーだ。そういうコンセプトなのだろう。昔から日本という国はアメリカ文化を異様にありがたがるところがある。こういう店もそういった幻想を消費するためにある。
店の中もコンセプト通りのアメリカだった。鉄っぽいマテリアルのカウンターがあり、窓際にテーブル席がある。客はまばらだが、場所柄か若い人たちが多かった。
面談相手は一番奥のテーブルにいるということだった。そちらの方に目をやると、そこには老けたトム・クルーズみたいなのがいた。といっても、トム・クルーズらしいところは、ティアドロップサングラスとアメリカ空軍の革ジャンだけだが。要するに飛べそうにないトップガンだった。年は50代後半だろうか?
僕は名前を名乗り、彼に面談相手かどうかを尋ねる。
「イエスだ。狩雄巣貞夫。よろしく頼む」
彼の前に座る。喋ることもないので、店の話をした。雰囲気がいいとか。かかっている音楽がいいとかそんな他愛もないことだ。
「アメリカでは、そんな会話はしない」
ここは日本のはずだ。
と思ったが、とりあえず黙っていた。その沈黙にばつの悪さを感じたのか。
「すまない。俺はアメリカ依存症なんだ」
なんだそれ、と思ったと同時に、ですよね、とも思った。
「あなたもアルコールを飲まなくなってから、そうなったんですか?」
「そうだ」
彼はメニューを手に取り、眺めている。
「そんなところだ。コーヒーとハンバーガーを頼むが、君はどうする?」
僕もコーヒーを頼むことにした。
オーダーを取りに、アメリカンテイストのウエイトレスの衣装を着た年嵩の女性がこちらにやってきた。普通の日本人である。自分とウエイトレスと狩雄巣の3人がいるこの席だけ、なぜかアメリカの衰退を感じさせた。日本なのに。
コーヒーはうまくも不味くもない。
「ここのコーヒーうまくないだろ」と狩雄巣。「だからいいんだよ。アメリカ的だ」
なんとなく言わんとすることはわかった。彼はポテトをつまんでいた。指先が油で濡れている。
「フライドポテトとセックスの止め時はわからないな」
同意を求めるようにティアドロップサングラスがこちらに向く。その中には僕がいた。
「言いたいことはわかりますよ」
「フライドポテト100万円分と100万円だったらどっちを取る?」
「100万円ですね」
「アメリカ的ではないな」
アメリカ人も100万円を選ぶと思うはずだが、彼にとってはそうではないならしい。彼がいうならそうなんだろう。
「こういうものと一緒に酒を飲んでいた。ビール、バーボン、アメリカ的な酒をだ。口の中の油をそいつで洗い流すんだ。この感覚はわかるか?」
アルコールを飲んでいると味の濃いものや脂分の多いものを欲するようになる。おそらく脳の問題だ。脂や塩分のリミッターが外れるんだろう。それをアルコールで流し込む。確かに一時的な快楽ではあった。とてもインスタントな快楽。
「酒も止め時がわからなかった。そんな生活を続けていたら……わかるだろ?」
よくはない。人生が雪崩のように下に崩れていくだろう。
「でもお酒をやめられたんですよね? すごいですね」
「バイクだよ。バイクが俺を救ってくれた。あいつに乗って風を感じていたら、なんとか酒の魔物から逃れられたんだよ。外を見てみろ」
外にはバイクがあった。いわゆるアメリカンと呼ばれるバイクの種類だ。
だが思ったより小さかった。SUZUKIと書いていた。
「中免ですか?」
「維持費が安いからな」
そらそうだけど。
「どうだ? ケツ、乗ってみるか? 家まで送ってやるよ」
かなり遠慮したい提案だったが、それに「ノー」と言えるほど僕はアメリカ的ではない。
年嵩のウエイトレスがコーヒーのおかわりを注いでくれた。アメリカの衰退再びである。

狩雄巣貞夫の250ccのバイクにタンデムして、僕は昼間の渋谷を流した。アメリカは欲望と幻想の国だ。しかし彼のアメリカは擦り切れた幻想のアメリカだ。アメリカ本国でももう彼の知るアメリカは絶滅しているのではないだろうか。もしかすると我々の依存は失われたものに対する郷愁なのではないか。
そんなことを考えながら、中年男性ふたりの地獄のランデブーは渋谷をぐるりと回って僕の最寄り駅の前で終わった。
「サービスしといたよ」
たぶん遠回りしたことがサービスと言いたいんだろう。
「また会おうぜ」
とSUZUKIの中型バイクが走り去っていく。
僕は帰路の途中にあるスーパーにふらりと入った。ほとんど無意識に大五郎のペットボトルを手に取っていた。いつも買っている青いキャップのアルコール25度のものがなく、20度のものだ。キャップは赤かった。
家に帰ってメールをチェックすると、鳴子坂いずみから一通届いていた。
狩雄巣貞夫が再び面談を希望しているということだった。断ろうかと思ったが、もう少し彼と会う必要がある気がしたので、次の面談を設定してもらった。メールを送った後、すぐに後悔した。けど言い訳を考えるのが億劫だったので、そのままにしたが。
買ってきた大五郎を並べてみて、気がついた。青いキャップと赤いキャップ。
アメリカカラーだった。


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