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大五郎20ℓ 星の砂の女

 鳴子坂いずみから患者との面談の話があった。深夜の1時くらいに電話してきたのだ。マットレスから起き上がり、僕は彼女と喋る。

「非常識ですよ」

「いいじゃない。ちょっとした恋人気分を味わえるでしょ? この時間にかけてきていいのは恋人くらいよね。条例では決まってなかったっけ?」

「条例では決まってないけど、かけてこないでほしいです」

「面談どうする? やる? やらない? 私はどっちでもいいけど」

「どんな依存症の人なんですか?」

「それは本人に聞きなさいよ。その方が盛り上がるでしょ。お互いの秘密を打ち明ける勇気を持つのがこの面談の大きな意義よ」

「前回は出オチでしたけどね」

「そういう場合もあるわね。ケースバイケースよ。今回は女性よ。しかも妙齢の。うれしい? うれしいって言いなさいよ」

「まあ、少しワクワク感ありますね」

「お。ノってきたわね。じゃ、オッケーってことでいいかしら?」

「女性だからとかは関係ないですけど、いいですよ」

「最初の面談は設定しておくから、あとは勝手にやってね。あ、そうそう。この前、あなたの写真をアプリで女性化したんだけど、ブスだったわよ」

「なんでそんなことしたんですか。それと、なんでそれをわざわざ言うんですか」

「知っておいた方がいいと思って。お姉さんとか妹さんとかいる?」

「いません」

「よかった」

 と言って、鳴子坂いずみは電話を切った。最後の「よかった」は心から安堵したような言い方だった。どれだけ僕はブスだったのか。そして、本当は姉がひとりいる。姉は普通だと思うんだが、などと考えながら、マットレスに戻った。大五郎のペットボトルにモデムの緑の光が反射し、チカチカと瞬いていた。眠りに落ちるまでの時間を刻むように。

 僕は決められた日時に、決められたカフェに行った。
 前回の狩雄巣のような主張の激しい人物は見当たらない。
 店内を見回していると、今回の面談者が僕に声をかけてきた。
「こっちです」と僕の名前を確かめて、僕も彼女の名前を確かめる。
 小野瀬ゆき。今回の面談者だ。
 鳴子坂からは依存症があるとだけ教えられている。何に依存しているのかまでは教えられない。
 一見した所では彼女の依存症はわからない。と言ってもそれはお互い様だ。
 僕が飲みもしない大五郎を買い続けているとは、向こうは思いもしないだろう。
 さて、いくらか空疎な挨拶を交わして、時間を過ごしたが、そろそろ中身のある会話に移らなければいけない。
 前回は狩雄巣がアメリカンムーブで僕をタンデムに誘ったが、流石にそれはできない。徒歩だし。
 そう思っていると彼女が言った。

「夜の方が良かったですね。カフェだと仕事の打ち合わせみたいだから」

「仕事は何をされているんですか?」

「何の仕事だと思いますか?」

 鳴子坂に同じことを言われたら、頭に来ていたかもしれないが、そうはならなかった。彼女の言葉にはメロディがある。そんな気がする。

「デザイナーとかですか?」

「近いかも」

「ああ、じゃあ何かクリエイティブな感じの仕事なんですね」

「星の砂ってご存知ですか?」

「ああ、あの小さい、小瓶に入ったやつですかね? お土産とかにあった」

「ええ、そうです。あれを作ってます。令和版を」

「令和版? そういう業者か何かですか?」

「ううん。個人で」

 星の砂というのは、砂浜にある星型の砂を他の色付きに砂なんかと一緒に小瓶に詰めて、売っているものだ。
 僕が子供の頃になぜか家にあったような気がするが、誰かが海に行ったお土産として、買ってきたか、貰ってきたかだと思う。
 しかし、そんなものは平成を跨いで見たことがない。なのに、彼女は令和版の星の砂を作っているという。しかも個人だ。

「売れるんですか?」

「ネットが中心なんですけど、結構売れますね」

「へえ、売れるんですね」

「長者? 言っていいなら長者かもしれないです」

「ああ、ああ、何々長者的な……」

 話の中身がえげつない方向から殴りつけていた。いや、具体的なのだが、意味不明なのだ。

「お仕事は何を?」と小野瀬ゆきが聞いてくる。

「僕は、いまは働いてないですね。ちょっと仕事から離れようと思って」

「それはやっぱり依存と何か関係あるんですか?」

「あるような、ないような。辞めてから依存症になったんですよね。その前はアルコールで依存症になりかけてて、仕事を離れたら、アルコールは辞めたんですけど、なんか変なことになっちゃって」

 そこまで話して僕は自分の依存症の詳細について説明しようかと逡巡した。
 けれども小野瀬ゆきは椅子の背もたれて背中を預けて、あたりを見回す。

「やっぱり明るいとダメですね。なんか話せないですよね」

「僕はそうでもないですけど」

「私は話せないです」キッパリと彼女が言った。

「ああ、なるほど」

「連絡先だけ交換して、今度夜に会いませんか? その方が話しやすいですよ」

 僕らはいくらか会話を重ね、連絡先を交換して、別れた。
 スケジュールのやり取りがずいぶん長くかかって、次に会う約束まで2週間近くかかった。本当にやたら長かった。その間になぜか深夜1時くらいに小野瀬ゆきからのメッセージが入ってきたりもした。
 深夜1時のメッセージは恋愛関係以外の人とはしてはいけない、という条約を作っておいた方がいい。
 切実にそう思った。

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