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春日大社社殿「杭全神社」熊野と坂上田村麻呂!八坂神社から勧請【中河内シリーズ】

「くまたじんじゃ」と読み、大門の手前にある参道脇の砂利のところへ駐車可能。862年に征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫・当道が京都・祇園社(八坂神社)からスサノオを勧請して創建したと伝えられている古社。
 社務所横に数少ない連歌所がある。7月31日~8月1日には赤留比賣命神社夏祭(赤留比賣命神社は平野公園に隣接)がある。ここは後ほど参拝する全興寺の奥宮と言われ、昔は神宮寺があったことは分かっている。神宮寺の仏像は全興寺などに移されている。

変更履歴
2024/03/13 初版


▼HP

▼アクセス

大阪府大阪市平野区平野宮町2-1-67

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

  • 862年、平安時代初期の征夷大将軍・坂上田村麻呂の孫・当道(とうどう)がスサノオを勧請して第一殿に祀ったのが始まり

  • 1190年、熊野三所権現を勧請して第二殿に祀る

  • 1321年には醍醐天皇か後醍醐天皇の勅命でイザナミ、速玉男尊、事解男尊を第三殿に祀る

  • 三社殿とも、国の重要文化財

  • 1987年、日本で唯一「連歌所」が残り、連歌会は明治以降廃れていたが復活している


→本殿

 祭神は、第一本殿はスサノオで、第二本殿にはイナナミ、速玉男尊、事解男尊、第三本殿はイザナギであるので熊野であうね。

 1190年には、熊野権現を勧請して、さらに後醍醐天皇の勅命でイザナギを祀った。本殿は国の重要文化財で、熊野本宮大社(私のNOTE)、熊野速玉大社(私のNOTE)と似た空気感の社である。

 第一殿は1711年に春日大社(私のNOTE)の本殿を移築したものである。第二、三殿は1513年の建造。すべて国の重要文化財に指定されている。
 ちなみに、春日大社の木材をリユースした現存する最古の社は、奈良・円成寺(私のNOTE)に鎮座している鎌倉時代のもので、国宝である。

第一殿

 主祭神はスサノオで、熊野三所権現(イザナミ、速玉男尊、事解男尊)とイザナギを祀っている。昔は仏像・神像もあったそうだ。明治の廃仏希釈で、全興寺などに移されている。祇園社を本社、熊野三所権現を雑社熊野神社、證誠殿を摂社、田村堂を別社、その他を末社としている。

第二殿
第三殿

→吉岡大明神

 吉岡稲荷社の祭神は御馴染の「ウカノミタマ」である。社の背後になにかあるなと思い回り込むと石碑のようなものがあった。本来はこれに祈りを捧げていたと思われる。

→十柱神社、田村神社、恵比須神社

 加茂神社・愛宕神社・金刀比羅神社・松尾神社・八幡宮・住吉神社・中居神社・多賀神社・大国主社・恵比須社が境内左に「十柱神社」にある。

 境内には「田村社(祖霊社)」がある、坂上田村麻呂の子孫の社ということかと。さて、境内入り口に『満願寺』があり、そこには坂上一族の墓がある。墓の坂上春子は、坂上田村麻呂の娘で、桓武天皇の妃となり、葛井親王・春日内親王を産んでいる。

 最後に、境内東には環濠や土塁の名残りが見られ、境内南側に残る池は環濠の名残りだそうだ。

 ちなみにこの神社は、1649年、弘法大師を安置するお堂として建てられた。しかし、明治の廃仏毀釈で境内から仏教関係のものが取り除かれた際、近隣のお寺にあった坂上田村麻呂の像と弘法大師の像を交換し、名前も変えて取り壊しを免れたという。

 4月13日は「福の種」が振る舞われ、一緒に5円玉も福の種の袋の中に入れて、それを財布の中に入れておくと金運アップだそうだ。7月31日~8月1日はここから赤留比賣命神社に向かって夏祭が行われる。その後に、だんじり祭りがある。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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