見出し画像

毎月18日開帳「野中寺」聖徳太子と蘇我馬子!奥之院「法泉寺」【南河内シリーズ】【大阪ミナミシリーズ】

聖徳太子と蘇我馬子の建立とされる寺で「やちゅうじ」と読む。小さな飛鳥時代の仏さま「弥勒菩薩半跏像@重文」が、毎月18日に公開される。この弥勒菩薩と言えば、広隆寺の国宝2体と中宮寺が有名だが、ここの弥勒も5本の指に入る有名な弥勒だが、ち、小さい。。思ったより小さい・・・。

変更履歴
2023/11/17 初版

▼HP、アクセス、祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽野中寺:羽曳野市野々上5丁目9番24号

 飛鳥時代、聖徳太子と蘇我馬子の建立とされる寺で「やちゅうじ」と読む。小さな飛鳥時代の仏さま「弥勒菩薩半跏像@重文」が、毎月18日に公開される。この弥勒菩薩と言えば、広隆寺の国宝2体と中宮寺が有名だが、ここの弥勒も5本の指に入る有名な弥勒だが、ち、小さい。。思ったより小さい・・・。高さ18.5cmです。大正時代に寺の倉から偶然発見とのことで、びっくりしただろうな・・見つけた人・・。

666年白鳳時代の有名仏「弥勒菩薩半跏像@重文」も来ていた!やはり小さいが惹きつけられる何かがある。また江戸時代ながらも「聖徳太子童形倚坐像」という珍しい仏像も。別名「中の太子」とも呼ばれる「河内三太子」のひとつで「やちゅうじ」と読む。その他の河内三太子は太子町・叡福寺の「上の太子」、八尾市・大聖勝軍寺の「下の太子」とならぶ寺。

2021年なら博「聖徳太子と法隆寺」

 かつては法隆寺などと同じく「四天王寺式伽藍」の立派な寺であったことが残存する塔の礎石から知ることができる。
 野中寺は、聖徳太子と蘇我馬子の創建と伝わっているが、渡来系豪族・船氏の氏寺と考えられている。船氏は、応神天皇の時代に日本に帰化した百済の王族「辰孫王(しんそんおう)」を祖先に持つ一族とか。同族に「葛井氏」「津氏」がおり、この3氏は羽曳野、藤井寺一帯を本拠地としていた。葛井氏は「葛井寺」、津氏は「善正寺(廃寺)」、船氏は「野中寺」と考えられている。

→大師堂

→比丘寮、沙弥寮、食堂、方丈

 境内には、修行僧達が生活していた遺構が多く残されています。比丘寮(びくりょう)、沙弥寮(しゃみりょう)、食堂方丈などの建物もある。

 地蔵堂の「地蔵菩薩像@重文」も公開された。この地蔵菩薩は切金模様が規定に残っており、技術の高さを感じる一品。なお、観音堂には「聖観音立像」が居たのだが、奥之院「法泉寺」に安置されている。大阪には珍しい聖観音立像であるので、そちらも行くことをオススメする。

 野中寺の方丈は、奈良の郡山藩主の邸宅を移築したものと伝わっており、方丈は南側が大きく開いて、庭園が一望できる。

→お染めと久松の墓

 聖徳太子石像跡の左奥は墓地になっている。この墓地には「お染めと久松の墓」が存在する。「お染めと久松」は、浄瑠璃や歌舞伎の演目「野崎村」のモデルとなった人物のようです。

→ヒチンジョ池西古墳石棺

 境内には「ヒチンジョ池西古墳石棺」が保存されている。ヒチンジョ池西古墳自体は、野中寺から南へ900m程の場所に存在した。

▽野々上八幡神社

 野中寺の隣にある神社。

 寺近くには小口山古墳など7世紀後半の終末古墳が存在し、この地域の豪族3氏に関わる墓の可能性もあるよう。

▽奥之院「法泉寺」

 大阪府羽曳野市野々上3丁目4-32。野中寺の奥の院として創建。本尊は、平安初期作「聖観音菩薩立像」で、日本一大きい高さ3メートルの「大弁財天立像」が安置されている。ちなみに、真言宗から黄檗宗へと改宗した経緯があり、そのときに「宝泉寺」から「法泉寺」に改名し、野中寺の 観音堂に安置されていた「聖観音立像」がここに移されて本尊となった。

▼旅行記


▼セットで行くところ

▼仏像展

▽2021年 なら博「聖徳太子と法隆寺」



#毎月18日開帳
#野中寺
#聖徳太子
#蘇我馬子
#奥之院
#法泉寺
#南河内シリーズ
#大阪ミナミシリーズ
#神社仏閣
#神社
#神社巡り
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#やんまあ神社仏閣
#仏像
#旅のフォトアルバム
#わたしの旅行記
#人文学
#大阪
#秘仏公開
#特別開扉

#弥勒菩薩
#大阪
#羽曳野市
#聖徳太子童形倚坐像
#中の太子
#河内三太子
#辰孫王
#地蔵菩薩
#聖観音
#法泉寺
#お染めと久松の墓
#野々上八幡神社
#聖徳太子と法隆寺

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?