見出し画像

天平の国宝!鑑真「唐招提寺」権威・権力・人々の思いで平城京・豪族が寄進した移築も残る【西ノ京シリーズ】

平城京の一角に天平の宝物が守られている。今でも鑑真を尊敬する権威・権力・人々のお布施で成り立つ国宝寺は、平城京、豪族の移築したものが残っている。
2020年だったと思うが拝観料が1000円になったようだ。数々の国宝を持つ寺で、東大寺、興福寺、法隆寺相当の行くべき寺なのだが、人は少ないね・・。
美仏や丈六仏が多く、京都・壬生寺の本尊・地蔵菩薩立像@重文は、この寺が譲った仏像で、まさに宝庫。

画像18

↓奈良市動画チャネルより

↓2020年からは拝観料アップ

変更履歴

  • 2023/07/21 箇条書き追加(2023/07/21でページ内羂索)

  • 2023/01/20 祭り「うちわまき」追加

  • 2022/12/08 動画追加

  • 2022/06/06 初版(2010以前、2010、2021年参拝)


▼HP

▼アクセス

奈良市五条町13-46

▼本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

画像1

 駐車場は500円なので、ここを拠点に薬師寺などを周るのもよい。京都・壬生寺で本尊「地蔵菩薩立像@重文」が特別公開されたとき、切金文様が素晴らしく、歴史を感じる地蔵菩薩に見とれていたのだが、その本尊はここ出身の仏像であることを知った。火災により本尊もなくなったため、総本山・唐招提寺が渡したらしい。どれだけ素晴らしい仏像を持っているんだ。。

画像2
2010年代

 薬師寺の北門から抜けて500mくらいで着く。本尊は盧舎那仏、薬師如来、千手観音で、千手観音は本当に1000本あった仏像。灯籠が仏像たちと目が合うポイントで、視力が悪い人はオペラグラス必須。

→南大門

画像15

 ひとまず、大門を通ったら頭の上を見上げると「唐招提寺(今は複製)」と彫られた額があるが、これは聖武天皇の娘・孝謙天皇の字。孝謙天皇は重祚し、称徳天皇となる。孝謙天皇と言えば西大寺となり、この地域が古都の中心地だったことがわかる。

画像16

→金堂@国宝(盧舎那仏坐像@国宝、薬師如来立像@国宝、千手観音立像@国宝、四天王@国宝、梵天@国宝、帝釈天@国宝)

画像3

 金堂@国宝は天平時代の金堂建築として唯一現存する建物。

画像17
画像4

 長岡京・平安京に遷都するまで日本の中心であった奈良は、京都の寺が兵火による火災などで焼けたりしているのと同様に、奈良も火災による被害はあったが、当時のまま修理されており、この金堂は天平時代のままの姿と言われている。ギリシャ神殿につながる大らかな社殿で天平時代で残るのはここだけ。

画像5
画像23

 堂内には奈良の大仏の双璧「盧舎那仏坐像@国宝」、理想の未来に導き、日本に3体しかない本当に1000本ある「千手観音立像@国宝」、現世の苦悩を取り、薬壺を持っていない「薬師如来立像@国宝」、四隅に「四天王立像@国宝」で中尊脇侍「梵天・帝釈天立像@国宝」が安置されており、国宝堂と言ってよいと思っている。この三尊の大きな仏像は圧巻です!!!

画像6

中央:盧舎那仏坐像@国宝
 盧舎那仏の光背に862体の化仏があり、かつては1000体あったとされる。世界の中心であり、坐ったままで3mある。経典によれば1000の蓮があり、それぞれに釈迦如来がいるとする。

左:千手観音立像@国宝
 本尊左には「千手観音立像@国宝」で日本最古の千手観音であり、実際に千本の手を持つ千手観音である。5m36cmでクラスの大きさで日本で最古級の千手観音で、いまだに900以上の手が残っており、奈良時代の傑作といわれている。

本当に1000本の手を持つ千手観音
 奈良・唐招提寺
 大阪・葛井寺
 京都・寿宝寺(私のNOTE
の3体とされているが、福井にも・・・。

右:薬師如来立像@国宝
 本尊右にはで、薬壺を持たない様式で他の2体と比較して背は小さく、天平時代ではなく平安時代の作とされる。高さ3mほどあるのだが、まわりが大きすぎて小さく感じる。修理の時、手より賽銭が見つかったそうな。その賽銭の鋳造年から平安時代作の仏像と分かっている。

画像8

脇侍など
 3体の周りには四天王@国宝、梵天@国宝、帝釈天@国宝とこれまた国宝である。

2017年 京都国立博物館 開館120周年記念特別展覧会『国宝』
 金堂に安置されている「梵天・帝釈天立像」のうち梵天が展示されていた。これ国宝だったんですね・・・。いつも公開され、盧舎那仏など見どころの多い寺なので国宝とは知らなかった。次行くときは見方が変わるかも。

画像7

→鼓楼@国宝(金亀仏舎利@国宝)、礼堂@重文(清涼寺式釈迦如来立像@重文)

 写真左が鼓楼@国宝で、右が礼堂@重文。礼堂は「清涼寺式釈迦如来立像@重文」が安置されている。西大寺&唐招提寺の清涼寺式釈迦如来は本家・清涼寺式釈迦如来立像と似ている!!

画像24
画像25

 鼓楼(ころう)も国宝!!!金堂と講堂の右側に建っており、対に鐘楼@重文がある。鐘楼は焼失し鎌倉時代に再建したので重文だが、鐘@重文は平安時代のもので貴重である。セットで見るべし!!

 鎌倉時代の礼堂は唐招提寺の創建当時は、金堂左斜め後ろに位置する鐘楼と対を成していたようだ。

 10月半ばに法要「釈迦念仏会」が近づくと、ここから「金亀仏舎利@国宝」が持ち出し法要の舞台へ持ち出される。今でも金が残る宝物である。この仏舎利内にある白瑠璃舎利壺@国宝は透かされており遺骨が見えるそうな。


画像27

→講堂@国宝:平城京から移築(弥勒如来坐像@重文、持国天・増長天@重文)

画像9

 国宝!!この建物は平城京の中心にあった建物の一つ「朝集殿」を移してきたもので、現存する平城京のたった一つの遺構!

画像26

 本尊は鎌倉時代の「弥勒如来坐像@重文」と弥勒菩薩ではなく、作例が少ない「弥勒」+「如来」型である。弥勒は釈迦の後継者で「菩薩」が通常だが、たまに「如来」とする寺がある。具体的には、興福寺北円堂・運慶作@国宝、室生寺@国宝など古寺に見られる仏像。

 脇侍に持国天・増長天@重文となっている。(私の記録では、出張されていた時があるので、事前にホームページなど見たほうが良いかも・・。)
 奈良時代の持国天立像、増長天立像の他にも奈良時代に作られた仏像が複数安置されていたが、今では宝蔵に移され、その一部が季節限定で展示されている。

→開山堂から御影堂経由して開山御廟へ

 徳川家歴代の御霊殿だったが、1881年に「鑑真大和上@国宝」を安置するために移築したのが開山堂。国宝が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康の坐像を安置したが、老朽化で改修工事を行い、2013年に大和上のお姿を写した「御身代わり像」がつくられ安置された。

画像28
画像29

↓----2023/07/21更新

  • 66歳の時に唐より日本に来た

  • 12年間で6度の来日しようとしたが失敗、その時に失明している・・

  • 本物の僧・鑑真の来日で、儀式の確立されて日本の仏教が花開く

  • その場所は開山堂で、戒を授ける高僧が居なかった

  • そこに仏教の権威として鑑真は来日する

  • 弟子たちの思いがこの仏像には込められている

  • 快慶作の相当の仏像で、髭や白毛、髪も1本1本あり、袈裟も詳細に表現されている

  • 面白いのは頭の凸凹で、衣文も凸凹しているのだが、仏像修理の専門家で模造した方は謎の技法だったよう

  • 一般的には漆をヘラで整えるのため奇麗な形になるのだが、表現できなかったそうあ

  • 最終的に行きついたのは、指で造ったことから凸凹だと判明したそうだ

  • さて素手で漆を触ると被れるので漆ではないとし、材料がニレなんだそうな

  • ニレは古代日本では皮を食べたほど身近で、修復時にニレの成分が仏像から出たので確定のよう

  • 手がかかる材料と手で作られた背景に鑑真への思いが感じられ、弟子たち⑧が作ったと推測される

  • 古門書では、ある日、お堂が壊れる夢を見たようで、その夢で師匠の市が近いと悟り、鑑真の姿を写したと記録されている

  • ちなみに、唐では構想の姿を乾漆像で残す風習があったそうで、それを行った像である

↑----2023/07/21更新

↓↑開眼法要の模様です!!(by共同ニュース)

画像30
画像31
画像32
2021年

 御影堂は修復に入るようですね。

画像33
画像34

2022年フッカツダー!!(゚∀゚ )三 三( ゚∀゚)フッカツダー!!

→開山御廟 -「鑑真和上」の墓所-

画像10

 唐招提寺を創建した「開山」の祖であり、苦難の末日本に渡来し仏教の戒律伝授や社会事業に功績をあげた「鑑真和上」の墓所(開山御廟)がある。

画像20
画像11
2021年
画像13
2021年

 個人的には苔と木々のコントラストが素晴らしい場所で、奈良の苔寺といえば秋篠寺とここと思っている。ちなみに一番奥に看板があり、新スポット出来たのかなと思ったが「スズメバチ注意!!」だった・・。

画像14
画像21
画像38
画像22
画像37
画像35

 本坊前庭、休憩所前、薬草園の三箇所で鉢植えの蓮が咲いており、戒壇院東の戒壇池の蓮にもある。写真は境内の右側に苔むしたところで、奥地に行けば蓮が見られる。

画像36
画像39

 毎年公開されている鑑真和上坐像@国宝!!実は博物館などの出開帳でしか見たことがなく、初お堂での拝観したが、別料金か。。。。鑑真は各お堂を抜け、境内の奥まった鑑真墓所・鑑真和上御廟更という苔むした静かなところで眠っている。

→新宝蔵

画像40

 200円で奈良・平安時代の国宝・重文を見放題!!まずは重文の仏頭が3つ続き、顔などがない破損仏「如来形立像@重文」となる。続いて「十一面観音立像@重文」となり、破損仏3体「薬師如来立像@国宝」「衆宝王菩薩立像@国宝」「獅子菩薩立像@国宝」となっている。この衆宝と獅子は八臂と六臂の虚空蔵菩薩説もある。さて中尊に「金剛界式大日如来坐像@重文」で、「十一面観音立像@重文」「観音菩薩立像@重文」が2体、五智如来の1つ「宝生如来立像@重文」となっていた。

↓2021年

画像41
画像42

→経蔵・宝蔵@国宝(貴族の館を移築。日本最古の校倉造)

 礼堂の東側、経蔵の北側に建つ奈良時代の校倉造倉庫。そっくりな校倉の建物が2棟あるが、左が宝蔵、右が経蔵で、ともに国宝。
 唐招提寺よりも前にあったとも言われている日本最古の「校倉」らしく、共に国宝である。因みに横にある礼堂・東室も重文で中には清凉寺式釈迦如来立像@重文が安置されているらしい。んっ、いつ見れるのかな・・

画像43
画像44

→鑑真和上坐像@国宝

 鑑真和上坐像@国宝は運慶・快慶相当の美仏で、リアルで息づかいが聞こえそう。鑑真は66歳の時に唐より来日したのだが、5度の航海失敗で目は見えなくなっていた高僧。
 眉毛があり、口ひげは白毛も再現しており、かなりリアルに精工に作っているようだが、衣のひだや頭は凸凹している。仏像修理の技師は修繕しつつ、模造を作ったそうな。曰く、表面の凹凸は乾漆仏はこれだけであり、様々な方法を試したところ、再現できなかったらしく、最終的に指で作る方法だろうと思われ、そこに鑑真の弟子たちが作ったのだろうと推測される。

 ただし、顔以外は荒い作りになっている。木屎という漆と木屑をペーズトにして表面を作ったようだ。これは興福寺・阿修羅立像と同じであるのだが、鑑真和上のように凸凹になっていない。鑑真和上は素手で衣文などを作ったようだ。これは何を意味しているのか?
 補修をした仏師は言う。これは鑑真の弟子たちが鑑真への思いを込めて一指一指思いを込めて作ったそうな。『東征伝絵巻』では西を向いて鑑真は結跏趺坐をしたまま息を引き取ったとされる。
 息をする顔と素人が作ったような体のギャップは鑑真の人柄・英雄であることを示すものなのかも。

→戒壇

 正式に僧になるべく、今でいうと免許を与えるところであり、主な寺でしかない場所。当時、日本ではこの免許を与える人がいなくて、鑑真は仏教を守るための念願の人だったようだ。このあと、戒壇は東大寺など、いろいろな寺に広がる。

画像12

 仏教が荒れてきたときに免許制をすべく、その権力を渡したのが鑑真である。そして、その学びの場で資格を与えるのが、この戒壇である。

画像45
画像19

→会津八一歌碑(唐招提寺内)

 新潟県が生んだ文人・歌人・書家・美術史家の会津八一の歌碑である。奈良をこよなく愛した会津八一。喜光寺、中宮寺などに会津八一の歌碑が建立されている。

画像46

 奈良西の京、唐招提寺金堂の西南の位置に建っている。「おほてら の まろき はしら の つきかげ を つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ」(会津八一)  漢字かな交じり文・現代かな使いで表すと、「大寺の 円き柱の 月影を 土にふみつつ ものをこそ思え」となる。わからん。。

▼祭り

→祭り「うちわまき」

鎌倉時代に唐招提寺を復興した覚盛上人の命日の毎年5月に行われる。

→開山忌舎利会(鑑真の命日6月6日の前後5日~7日の3日間)

 鑑真の命日6月6日の前後5日~7日の3日間のみ、その徳を偲んで「舎利会御諱法要」が午後1時から講堂で行われるのだが、秋篠寺のバスツアーの方が、唐招提寺に行くと言っていたので、後回しにしたので見れなかった・・。

→釈迦念仏会(10月半ば)

 奈良・西大寺の長老なども参加するお祭りで、鎌倉時代から続く「仏教初期回避」を目的としたもので、鑑真の思いを引き継いでいくもので、宗派を超えて守り続けている。
 東大寺二月堂などと同じく夜中も続くもので、800年間絶やさずに行われている。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展

▽2017年 京都国立博物館「国宝」展

 金堂に安置されている「梵天・帝釈天立像」のうち梵天が展示されていた。これ国宝だったんですね・・・。いつも公開され、盧舎那仏など見どころの多い寺なので国宝とは知らなかった。次行くときは見方が変わるかも。

----


#天平の国宝
#鑑真
#西ノ京シリーズ

#鑑真
#唐招提寺
#神社仏閣
#仏像
#奈良
#世界遺産
#国宝
#平城京
#平城京
#壬生寺
#盧舎那仏
#薬師如来
#千手観音
#南大門
#孝謙天皇
#称徳天皇
#四天王
#梵天
#帝釈天
#金堂
#清涼寺式釈迦如来
#釈迦念仏会
#金亀仏舎利
#弥勒如来
#朝集殿
#開山堂
#御影堂
#開山御廟
#覚盛上人
#聖武天皇
#徳川家康


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?