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秀吉の出世後押しパワスポ「満足稲荷神社」岩神さんでスリスリせよ【京都岡崎シリーズ】

豊臣秀吉が朝鮮出兵で稲荷大神に祈願したところ、結果が良かったので、伏見城内に稲荷社を祀ったのが始まり。「満足」の二字は、稲荷大神の霊験に満足したためだとか。1693年に、徳川綱吉が現在地に移し、法皇寺の鎮守社となった。ちなみに、法皇寺は1878年に南禅寺境内に移され南禅寺塔頭になる。

 そして、ここの神社の対になるのが、大原三千院にある「出世稲荷神社」である!

変更履歴
2023/04/04 初版

▼HP

▼アクセス

京都市左京区東大路仁王門下る東門前町527-1

▼祭神

ウカノミタマ

▼見どころ

 豊臣秀吉が満足したから「満足稲荷神社」というその名がついた。秀吉と言えば「出世稲荷神社」のイメージで、出世して満足したでセットかな。1587年に聚楽第を造営したときに勧請したが、徳川綱吉が「満足稲荷神社」を伏見桃山城から現在地に移したそうな。

 この「もちの木」左に「岩神さん」であるが、先に本殿へ!ちなみに、「もちの木」はクロガネモチという種類なんだそうで、1本の大幹から8本に幹分かれしているのが特徴。

 ということで、大通りから入ると社殿が横向きになっているので、大通りから小道に入ったところが正式参拝順のようですね。

→舞殿・拝殿・本殿

 神社の歴史としては、戦国武将・豊臣秀吉が伏見桃山城の守護神として勧請したのが始まり。社名も御利益に満足した秀吉が呼称したことに由来として伝わる。
 1693年、徳川綱吉が現在の地に遷座し、法皇寺の鎮守社となったが、明治に入り法皇寺は南禅寺に吸収される。
 神社のみが残り、商売繁昌・五穀豊穣の神として信仰を集め、氏子を中心に「満足さん」との愛称で親しまれている神社。

→末社

 本殿右には摂社・末社があり、サルタヒコ、アマテラス、オオクニヌシとなっており、導きの神・見開きの神、天津神、国津神となっている。

→岩神さん

 境内には「岩神さん」という霊石がある。この「岩神さん」をさすり、その手で頭を撫でれば頭が良くなり、その手で身体の悪い所をさすると治ると伝えられている。

 満足稲荷神社の旧社跡でもあります。元々はこの磐座を大事にしていた神社で、後付けで満足稲荷になったということかも。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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