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清凉寺式釈迦如来は「清涼寺」の事!源氏!非公開美仏!慈眼堂【京都】【嵐山シリーズ】

「清凉寺式釈迦如来@国宝」の清凉寺(嵯峨釈迦堂)はここのこと!仏像内から五臓六腑が出ており国宝。あちこちに国宝を持つ仏像寺である!春秋は本尊や宝物館の国宝達を公開されているので嵐山へ桜・紅葉の旅行は行くべきところです!

因みに
①釈迦堂 = 千本釈迦堂 + 清凉寺(嵯峨釈迦堂) 
②京都大念仏狂言 = 清凉寺 + 壬生寺 + 千本閻魔堂
③京都三大火祭り =    五山の送り火 + 鞍馬寺 + 清凉寺 
である。

 清凉寺仏像は2系統の大寺からなる。1つは清涼寺で、もう一つは「棲霞寺(せいかじ)」である。この棲霞寺は源氏物語の主人公モデル「源融(みなもとのとおる)」の寺で、本尊や脇侍が乱立している。

変更履歴
2021/10/25 初版

▼HP

▼アクセス

京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
※駐車場有料です。天龍寺に置くか、こちらに置くかはどこに行くか次第ですね。

▼本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽仁王門

今でも十六羅漢像が安置されているらしい。どこで見仏できるのだろうか・・。

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▽境内

仁王門をくぐると、正面には本堂(釈迦堂)、右手に阿弥陀堂、霊宝館があり、左手には鐘楼、多宝塔などがある。

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 堂内に明版一切経5408巻を納めた輪蔵があり、この輪蔵を回すことで一切経を読んだのと同じ功徳があるといわれている。また輪蔵の四隅には四天王が安置されている。

▽本堂 ※常時公開

木造釈迦如来立像@国宝、木造地蔵菩薩立像@重文などを安置する。

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↑清凉寺式釈迦如来@国宝

 全国津々浦々で製作され広がった「清凉寺式釈迦如来@国宝」は圧巻です。宋で造られただけあって、ちょっと日本仏師の作とは違うのだが、快慶が修復に携わったことはわかっており、安阿弥様式に影響を与えたと思っている。

2017年の快慶展
宋式の代表仏である「清凉寺式釈迦如来@国宝」の修復に快慶が携わったという文書を見た。その文書は兵庫・浄土寺で見つかり、この寺は重源&快慶コンビの東大寺別所なので、確実な情報だと思う。元々、平安遷都後に慶派は修復中心だったこともあり、修復技術も優れていただろうし、国宝ぞろいの寺であることからも金がある寺と思われ、快慶が修復に入ったと言われてもおかしくはない気がする。

 なお、この仏像は釈迦が37歳の時の姿を現していると言われ、寺では「三国伝来生身釈迦如来像」としている。「生身」とは昭和の時代に仏像胎内から五臓六腑が見つかったからだ。この五臓六腑も国宝!

 以下の一番左の方が「清凉寺式釈迦如来立像」です。ここから全国に広がりを見せます。(滋賀・三井寺、奈良・西大寺、神奈川・極楽寺など多数)

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江戸時代に、江戸城へ30日ほど出開帳したが、3ケ月も延長したほど盛況ぶりだったとか。神奈川・称名寺などにも「清凉寺式釈迦如来」が安置されているが、ちょっと出来合いが違い過ぎるから本物見てびっくりしたかもね。

▽本堂裏

本堂を抜けると庭園がある紅葉時は綺麗な庭園になります。

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本堂に入り本尊後ろから別の建物へ出られますが、ここの紅葉が何ともいえない綺麗さです。

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▽霊宝館春季特別公開 ※4・5・10・11月公開

 木造阿弥陀如来三尊@国宝、木造釈迦如来立像@重文、木造兜跋毘沙門天立像@重文、釈迦十大弟子像10体、四天王立像4体などの仏像を安置。2階には、前述の本尊釈迦如来立像(国宝)の胎内に納められていた文物が随時展示されている。このほか「宋画十六羅漢図」(模写)などの宝物も展示。

↑阿弥陀三尊像@国宝 上印最古級&光源氏写し仏

 清凉寺より前に建てられた棲霞寺(せいかじ。896年)の本尊。源氏物語の主人公モデル「源融(みなもとのとおる)」はこの寺周辺に住み、源氏物語のモデルと言われている。その色男&美男子の顔はこの阿弥陀如来坐像の顔に似ていたらしく「源融のうつし顔」と言われている。発願主は息子たちのよう。脇侍の「観音菩薩坐像@国宝」「勢至菩薩座像@国宝」見どころ。

↑文殊菩薩騎獅像@重文、帝釈天(伝普賢菩薩像)騎象像@重文

 霊宝館入口に本堂の本尊脇侍である「文殊菩薩@重文」「普賢菩薩@重文」がお出迎えしてくれる豪華な展示方法。
 普賢が半跏像(左足を踏み下げて坐る様式)なのが面白い。ということで、たぶん焼失したので、帝釈天を乗っけた気がする・・。なので、帝釈天とし、伝普賢菩薩なのかも。仏像様式・形式を名称で決めるか、歴史・古書で名称を決めるかは寺次第でよいかと思いますが、併記するのが良いですかね。

↑十大弟子@重文

 前述した本尊「清涼寺式釈迦如来像」と脇侍@国宝の周りで、釈迦を拝む姿で釈迦像のまわりに安置されていた。このらの像は奝然(ちょうねん)上人が日本に帰国した後に11世紀前半に日本で彫刻されたものと思われます。釈迦堂に安置されていましたが

 こんなに無造作というか死角に置いていていいのかね?といつも思います。この仏像を見るたびに、大報恩寺(千本釈迦堂)の快慶作(厳密には運慶工房と快慶工房のコラボ制作)はここを参考、もしくは影響を受けていると確信すると妄想してしまう。

↑四天王@重文(※1)

奈良時代など旧型のズングリムックリ系の四天王です。

↑毘沙門天半跏像@重文(※1)

帝釈天(伝普賢菩薩)騎象像と同じく、左足を踏み下げて坐る毘沙門天像です。

↑木造兜跋毘沙門天立像@重文(※1)

 四天王の多聞天を単体でお祀りすると「毘沙門天」で、毘沙門天に甲冑などある様式に従うと「兜跋(トバツ)」がつく。そういうことを知らないときは、東寺と鞍馬寺と同じだ!と思っていたのが懐かしい。
 さて、この仏像は現在知られている最吉の東寺模刻作で、本堂横の阿弥陀堂に伝来したようだ。

↑如意輪観音坐像(※1)

安置されている。一番のオススメは角に追いやられている感がありますが平安末期の如意輪観音坐像です。

↑不動明王坐像

「不動明王坐像」が面白い!!左足を地面に下すタイプで、ここ以外で見たことがない。

※1:より詳しく知りたい方は専門家の分析・調査は「清涼寺兜政見沙門天立像の文様と寺院調査における新出資料」参照。
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/AS/0004/AS00040R067.pdf

▽境内「薬師寺」特別拝観 ※原則非公開

 清凉寺から二尊院などに行く場合、本堂から西門を抜けるが、いつも気になってたが閉じていたところが薬師寺だった!!ここは京都では珍しい写真撮影可能の寺。

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 2018年に約40年前まで秘仏だった薬師如来が拝観できた。薬師寺はかつて大覚寺末寺で、同寺門跡がこの薬師如来に病気平癒を祈願した歴史がある。

↑地蔵菩薩半跏坐像 ◆写真許可済◆

 なかなかよい雰囲気の地蔵菩薩で、福正寺(ふくしょうじ)の本尊だったらしい。右手には聖徳太子裸形立像を安置し、左に閻魔様、そして、六道と言えばこの人「小野篁」像があった。

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 小野篁は朝廷に勤めながら、夜は京都・六道珍皇寺から地獄に行き閻魔庁で働いていた奇人&偉人。小野妹子、小野小町と同じ血筋の人。あの世からこの世は福正寺の井戸から帰って来るらしく、同じくここに移ったのだろう。

↑弘法大師作「薬師如来」

 弘法大師作と言われ、約40年前まで秘仏だった薬師如来とご対面。見た瞬間「元気出して!!」と心の中でつぶやいてしまった。この仏像は確実に持念仏だったと確信した。理由は大きさと顔が下向きで、近場で祈ることを前提に造られた思ったので。

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↑阿弥陀三尊

 違和感満載の三尊になっている。本尊は小さいながらもシュッとしたお顔で、院派・円派あたりかと思わせる。説明では慶派という説明があったが、微妙かな。。

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 本題は脇侍だ。片方は立像で、一方は坐像だが、足の組みかたが独特過ぎる。どうも昔は丈六の本尊があり、脇侍は光背に付けられていた仏像らしい。それなら納得。ただ、このサイズを光背に付けていたなら、相当、しっかりした光背じゃないと重みに耐えられない気がする。

↑嵯峨天皇坐像

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▽慈眼堂

 清凉寺から西側に行くときに気になっていたお堂で、通るたびに格子の小さな穴から覗いていた。お賽銭を入れると中の電気がパッとつく仕様が面白い。

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 御開帳ということで拝観した!!清凉寺の僧は愛宕神社を重要視しており、ここが間にあるので中院としていたそうな。
 代々、地元の方が守り抜いているお堂で、参拝者も少なかったが、侮るなかれ。奈良には地元の人が守り抜いているお堂に快慶作「三尺阿弥陀如来立像」が安置されている。ここの本尊も修復に出すらしく、墨書などが出ると化けるかも!!行快作となれば速攻、重文になるかもね。でも重文になったら管理方法が難しくなるな・・。覗き窓なくなるかもね・・。

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 本尊は通称「中院観音」こと千手観音立像で、スタッフの方曰く三十三間堂の仏像に似ており、慶派作との説明があった。確かに三十三間堂の様式に似ているが、慶派かどうかは微妙なところ。三十三間堂は定朝の弟子たちが袂を分けた、円派、院派、慶派が合同で仏像制作しており、慶派は二十八部衆と本尊中心に制作したと思っている。確かに十一面観音には慶派の快慶愛弟子「行快」と運慶息子「湛慶」など運慶・快慶の次世代も制作しているのは事実だが。

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脇侍は毘沙門天立像と地蔵菩薩立像。後世に制作されたらしく、毘沙門天は三千院の寺にある甲冑式の毘沙門天を彷彿とさせる。これを見たとき、各寺院の仏像のミニチェアモックアップが集まったのではと思った。つまり本尊は三十三間堂のモックアップ。

▼【京都三大火祭り】清凉寺(嵯峨釈迦堂)の「お松明式」4年ぶりに開催!☆3月15日(水)


▼セットで行くところ(▼旅行記)

○嵐山テクテク

○清凉寺周辺秘仏公開 & 天龍寺塔頭「宝厳寺」「弘源寺」特別公開

▼仏像展

▽2017年 京都国立博物館『国宝』(Ⅰ期Ⅱ期)

京都国立博物館 開館120周年記念特別展覧会『国宝』◆奈良・西大寺など古刹でも安置されている「清凉寺式釈迦如来@国宝」が展示。あべのハルカスで行われた西大寺の「清凉寺式釈迦如来@重文」は近くで見仏でき細かい衣に圧倒されたが、本丸はそれ以上だった。この清凉寺式釈迦如来は鎌倉時代の修復に快慶が係わっていることことがわかっており、感慨深いものがある。

▽2018年 奈良国立博物館「快慶展」

2017年の快慶展で宋式の代表仏である「清凉寺式釈迦如来@国宝」の修復に快慶が携わったという文書を見た。その文書は兵庫県の浄土寺で見つかり、この寺は重源&快慶コンビの東大寺別所なので、確実な情報だと思う。元々、平安遷都後の慶派は修復中心だったこともあり、修復技術もあっただろうし、国宝ぞろいの寺であることからも金がある寺と思われ、快慶が修復に入ったと言われてもおかしくはない気がする。


▽2019年 京都国立博物館『京博寄託の名宝-美を守り、美を伝える-』

 2019年9月に日本初となる「国際博物館会議の世界大会」が、京都で行われることになったので、京博に収蔵される寄託品の中から、選りすぐりの名品が展示された!!

 仏画「十六羅漢像@国宝」が展示された。寺の宝物館には仏像「十六羅漢像@国宝」もある。

▽2020年 奈良国立博物館「毘沙門天 北方守護のカミ」

 「毘沙門天坐像@重文」の一つがここの寺だったとは・・金箔が残り、赤色の顔で憤怒の顔である。今度、寺に行ったときにどこに安置されているか聞いてみよう。あと、東寺を参考に作られた「トバツ毘沙門天立像」も展示されていたが、この仏像の顔を見るたびに法隆寺風の顔だなと思うのは私だけだろうか・・。



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