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聖徳太子ゆかり「大聖勝軍寺」物部守屋VS蘇我馬子・厩戸皇子連合軍の古戦場跡【大阪八尾シリーズ】【中河内シリーズ】

「だいせんしょうぐんじ」と読む。本尊は植髪太子こと「聖徳太子像」で、聖徳太子建立三太子の一つ。 叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。

変更履歴
2024/03/11 初版


▼HP

▼アクセス

大阪府八尾市太子堂3-3-16

▼祭神・本尊と脇時

如意輪観音

▼見どころ

 本尊は植髪太子こと「聖徳太子像」で、聖徳太子建立三太子の一つ。 叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。

 山門には猫が出迎えてくれ、物部守屋VS蘇我馬子・厩戸皇子連合軍の古戦場跡に建っているとされる。

→本堂

 一般的には「太子堂」の名で知られている聖徳太子ゆかりの寺院で、「植髪太子堂」とも。ここに念持仏であるところの如意輪観音を安置し、四天王像で守りを固め、自ら手彫りの植髪太子像を安置したんだそうな。

 本尊は二臂の旧式「如意輪観音思惟半跏像」で、奈良・中宮寺、京都・広隆寺などにある作例の少ない美仏である。広隆寺と言えば秦氏の氏寺で、「聖徳太子=秦河勝」説を唱える人がいるが、ここもそれを匂わす。この繋がりは偶然か??境内の東側の「平和塔」を覗くと、「物部守屋」と「太子 並びに 二皇子」が祀られている。「和を以って貴しと為す」ということか。

  • 587年、物部守屋VS蘇我馬子・厩戸皇子連合軍

  • 勝利した厩戸皇子こと聖徳太子は、難波の守屋邸の跡地に四天王寺を建立するとともに、ここにも四天王を祀るべくお堂を建立

  • これが太子堂すなわち大聖勝軍寺の始まり

  • 594年、推古天皇より「神妙椋樹山」の山号と「大聖勝軍寺」の寺号を賜る

  • 本尊は「如意輪観音思惟半跏像」という京都・広隆寺、奈良・中宮寺に安置される作例少ない仏像

  • もう一つの本尊「植髪太子」は秘仏

→平和塔

 太子の本願「平和塔」は新しく、「物部守屋」「太子 並びに 二皇子」が安置されている。

→地蔵堂

 本堂横に「地蔵堂」があり、そのまま地蔵菩薩が安置されている。

→新太子殿

 太子殿背後に新太子殿があるが入れなかった。

 門前に秦河勝が物部守屋の首を洗ったと伝わる「守屋池」があるそうだ。この辺りは物部守屋の別邸があったといわれる地域で、仏教を取り入れようとする蘇我氏とそれに反対する物部氏との戦いがあったところである。寺のそばに「丁未の乱」で討ち取られた物部守屋の墓がある。物部守屋が討たれずに、この乱で勝っていたなら、歴史も変わったかもしれない。

→毘沙門堂、一願不動の大聖不動明王

 信貴山に出現して厩戸皇子に必勝の秘法を授けた毘沙門天が安置されている。

 密教では大日大聖不動明王とも称され、大日如来の「教令輪身」とされる。

 では最後に、詳しく書かれている方のじゃらん旅行記を紹介。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展

→2021年大阪市立博物館「聖徳太子 日出づる処の天子」

◆第2章 聖徳太子信仰の広がり──宗派を越えて崇敬される太子
 「聖徳太子童形立像・二王子立」が展示されていた。太子三尊形式も珍しいが、太子が坐像と立像の三尊見比べができるようになっているのが面白い。
◆第3章 大阪・四天王寺の1400年──太子が建立した大寺のあゆみ
 四天王立像も展示。


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