見出し画像

たくさん歩く(明智城) #46

囲炉裏のある家で、ボランティアのおじいちゃんと話をした後は、裏山に向かいます。

うん。まぁ、裏山というか明智城ですね。

画像1

道とか戦国時代から何一つとして変わってないんじゃないの?って思う。

画像2

険しかったら疲れるなーって思っていたけど、こちらはあっさりと登れる。

画像3

土橋は盛り・・・
(実は掘りを跨ぐ堤であって橋ではない)

画像4

左の小さな看板には腰曲輪(こしくるわ)って書いてある。
腰にくるわーってこと?

画像15

はい、着きました~!

画像5

岩村城に比べると本当に狭い。

画像6

攻め込まれたとしても、防御できるようにはちゃんと作り込まれています。

ちょっとお城の周りの地形についてお勉強。
曲輪って何よって思ったので調べてみる。

曲輪(くるわ)とは意図的に作られた平面空間とのこと。
曲輪=郭=丸
本丸も二の丸も三の丸も、平面で実は曲輪らしい。

郭町って地元の大垣にあったけど曲輪だったのか!・・・って今、知った。
昔、名古屋の三の丸で働いていたけど、あれも曲輪だったのか!
丸は円に近いと守りやすい。
HUNTER×HUNTERでも言ってたけど、「円」は大事だね!
自分でも何を言ってるのかよく分からないけどw

画像7

掘ったり、盛ったり、均したり・・・は防御をするための工夫。

画像8

言葉の由来を知らなくても生きていける。
だけど、知ると住んでた街や、見てきた風景が少し変わる気がする。
曲輪は何かから守られるために作られた場所だって。

堀切は掘り。

画像9

土塁は盛り。

画像10

正式にお城に伺う時はこちらから登るんだろうけど、裏口から登っちゃいました。

画像11

登城口から少し離れたところに龍護寺というお寺があります。

画像12

こちらには明智光秀公の御霊廟(おはか)があります。
こんな読み方するものなの?

画像13

先月から、龍の付くお寺にどんだけ行ったんだろって思ってしまった。
改めて、じっくり回ったから、いろいろ勉強になったなぁって思いました。

画像14

今まで、お城は何となく楽しんでいたのだが、お城の周りの地形にも興味が湧いてきた。
今さらなんだけどね。
noteを自分の勉強のために使ってるな・・・
光秀のおかげで少しお城の見方が変わった気がする。感謝感謝!

続く

サポートいただけると喜んで活動するタイプです。どうかよろしくお願いいたします。(^o^)