近くて遠い_星の在処__1_

【連載小説・第八回】近くて遠い星の在処・8

中学三年生の「僕」は自らを煤けた石ころと呼び、特別な存在になることから逃げ回りながら生きている。

彼はある日、特別な存在である親友の手によって「星の王子様」と再会してしまった。

しかし、僕が彼にキスをしてしまった事により、関係が崩れ、彼は抜け殻となって高校を卒業した僕の前に現れる。

「シュウ、14歳」編・「僕、18歳」編から成る二人の少年が「いつの間にか奪われてしまった自分の星」の在処を探す物語。

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近くて遠い星の在処 第八回
「僕・18歳――灰色の墓標③」


僕は帰りの電車の中、シュウの失った煌めきについて考えていた。

シュウはもともと、地球とは重力法則の違う星の王子様だったはずだ。それが、誰かのせいで地球に落とされてしまったのではないだろうか。

もしかして、本当に僕のせいなのだろうか。いや、と頭を振る。そんな自意識で冷静な判断を怠るのはどう考えても悪手だ。

ぞわり、ぞわりと嫌な予感が押し寄せる。

あくまでも予感だ。本当のところはわからない。

僕は自分の制服をぎゅっと握り締める。いつもならば、制服は店を出る時や遠くの街の駅で着替えていたが、今はそんな気になれなかった。

「――!」

名前を呼ばれて振り返る。

そこに居たのは、遼のグループで一緒につるんでいる仲間だった。

中学の頃、遼のことを複雑な視線で見ていた男子だ。

彼は高校に入り、輝きを放ち始めた。好きなことをすることに目覚め、着飾ることを覚え、彼女もできたのだ。

「何だよ、その服。お前んとこの学校のじゃないじゃん。コスプレ?」

白い歯を覗かせ爽やかに笑う彼から、僕は目を逸らす。こいつの輝きは余りに眩しくて利己的でまっすぐで、僕はそれが苦手だった。

同時に、憎悪に似た感情が腹の中で渦を巻く。

僕と変わらない煤けた石ころのくせに、と奥歯を噛んだ。

コイツの輝きは大きな月に似ている。

遼の輝きをたっぷりと受けただけのものだ。彼は今、遼の親友をしている。

「コスプレだよ。シュウの学校のやつ」

自棄気味に言った僕に、彼は困ったように眉を下げる。

「お前、シュウと仲良くなかったし知らなかったよな……」

シュウは、入学してまもなく酷いいじめを受け、学校を辞めていた。

そして引きこもりになってしまったそうだ。

つまりそれは、一隻の宇宙船が墜落する物語だった。

シュウの乗った宇宙船は、数多くの悪魔の誘惑と野蛮な獣の手によって地球に墜落し、シュウは孤独に何もない砂漠に閉じ込められていたのだ。

「だからさ、俺や遼も心配して、どうにかしようとしてたんだけどさ……シュウ、一度もドアを開けてくんなくて……」

最寄り駅二つ前のトイレで制服を脱ぐ。

遼の親友にはこのことは他言無用でいてくれと念を押した。

すると、相手もここで会ったことを内緒にしてくれと言われた。

図らずも、僕たちは秘密を抱えた者同士だったのだ。

ブレザーを脱いで、宝箱を締めるかのように折りたたんでリュックの一番下に仕舞う。

Yシャツ一枚になると、袖の染みに目が付いた。手首の辺りにじんわりと滲んだ血液の跡。

ごしごしと洗い、毛羽だった繊維からは悲鳴が聞こえるかのようだった。

シュウは、石を投げられたのだろうろうか。

痛みを覚えた時、どんな声を上げたのだろうか。

搾取に疑問を持っていたのだろうか。どんな結論を得たんだろうか。

シュウは、シュウの煌めきは、泣きながら死んでいった。

人から少しずつ炎を奪われ、最期の瞬間は自らを否定し、手首を掻いて終わりにしようとした。


僕は、シュウの煌めきの形見を纏った自分を抱きしめた。

座り込み、シュウという王子様の死について考えていた。

体よりも少し大きな制服。初めて袖を通したその時、少しだけシュウに近づけた気がした本当の理由――――。

この服は、知らない誰かの叫びと嘆きと無念でできているとばっかり思っていた。

知らないだれかのものだと思いたかった。

ぽつん、ぽつんとグレーのズボンに涙が落ちる。


シュウは、シュウは――。


これだけはわかる。

シュウは、自分の意志で抜け殻になった訳ではない。

シュウが語りたがらないのはいつものことだ。


スマホが震える。僕は、震える手でリュックに手を伸ばす。あの抜け殻からだった。

「楽しかったよ。また遊んで」
「やだ」

僕は、震える声で拒否の言葉を口にした。

「絶対に嫌だ」
「……ごめん」

抜け殻のシュウは謝ってばかりだった。

「今まで――ありがと」
「待て、話は終わってねぇから」

通話を切ろうとする抜け殻を僕は腕を掴むようにして阻止をする。

「もう、お前とは遊ばない。遊ぶなんかじゃなくて、本気だ。お前とは、本気で接するから」

「何それ」

ぷく、と小さく破裂するような笑い声が聞こえる。僕は眼鏡を外し、ぽろぽろと落ちる涙をぬぐわないまま言った。

「お前、シュウだろ。シュウなんだよな」
「……そうだよ。シュウだよ」

下手な役者の棒読みのように「何言ってんだよ」と台詞を読む抜け殻の正体――。

彼は、ずっとシュウだった。シュウのままだった。

大切なものを落としてしまっただけの、地球に不時着してしまっただけのシュウだった。

どうして気づくことができなかったんだろう。

この感情は一体何なんだろう。へどろのように重たい黒々とした何かが、僕の心にべったりとこびりついている。


僕は駐輪場から自転車に飛び乗ると、真っ先に遼の家へ向かった。

遼は眠そうな目で僕を出迎えると、二階のいつもの部屋へ案内する。

「……お前……もしかして、泣いてた?」

遼は相変わらず何でもお見通しなのだった。

僕は答えずに、黙って遼について行く。この時間の遼の家は静かだった。

近頃、遼の家庭の問題は収まったようで、彼の兄は実家を出て暮らしている。

「シュウのこと、聞いたよ」

交換条件の約束のせいで、誰から聞いたかは言えなかった。ただ、その事実だけを伝える。遼はベッドの端で膝を抱え「そうか」と答えた。

「遼でもどうにかできないことってあるんだな」

そう伝えると、遼は「当たり前だろ」と掠れた声で力なく笑った。

「なあ、折角来たんだからちょっと付き合えよ」

彼はそう言って古びたゲーム機を押し入れから引っ張り出す。

「古いバージョンなんだな」

中学の頃にやっていたバトルゲームだ。

ぶ厚い日記帳のようなフォルムに、慣れた手つきでコードを繋いでいく。

僕がわざと遼に負けて以来、遼は「つまらない」と言ってこのゲームをしなくなった。

「新しいの持ってねーし、アニキのおさがり」

大人になるにつれて気づいていったのだが、遼の家は決して裕福ではなかった。

中学の頃までは「なんとなく」で誤魔化してきたが、高校生に上がれば皆が気を遣うようになっていた。

遼はバイトで忙しかったが、土曜日だけは皆で遊ぶために空けてくれていた。

だから、僕も土曜は絶対に用事を入れなかったのだ。

望月や電車で会ったアイツは家が金持ちで、バイトなんてしなくても平気だった。

バイトの内容が内容だっただけに僕自身は金周りが良かったものの、僕は彼らが妬ましくもあった。

テレビが目を覚まし、ゲームが始まる。

相変わらず僕はハンデのキャラを選ぼうとした。

だが、遼はそれを手で制する。

「本気で来いよ」

地底から届いたような声。僕は遼の方を向く。

彼の表情は伸びた前髪に隠れて見ることができなかった。遼は怒ってる。肌でそれを感じた。

僕はピンク色の球体から、すらりと頭身の高い長いキャラクターにカーソルを変えた。

「いくぞ」

頷き、バトルが始まる。

遼の一挙は、驚くほど凡庸で、僕は何度もそれをガードし、かわしてカウンターで崖から落とす。

何度落ちても遼は立ち向かってきた。

だが、それを僕は簡単に翻し、タイミングを計って技を打ち込む。

遼はまた吹き飛んで崖から落ちていく。

「くそっ、くそっ……!」

カチャカチャとコントローラーを鳴らす遼から、うめくような声が漏れる。

僕は驚くほど冷静に、遼に対して技を入れていく。

「何でだよ……何で……!! くそっ、くそぉ!!」

何度挑まれても、僕は遼に負けることはなかった。それどころか簡単に彼をのして、地中に落としていった。

「どうしてあんとき……わざと負けたんだよ」

遼はがりがりと爪を噛みながら、ざらざらとした声で僕の産毛を撫ぜた。

「なんでって……俺の心が弱いから」
「そうじゃねーよ!!」

遼はコントローラーを床に投げつけ、僕に掴みかかる。

ごとん、と音がして僕もコントローラーを床に落とした。

その衝撃で、キャラクター選択画面で僕の選択したキャラがハンデのピンクのそれに切り替わる。

「お前、何で本気出さねぇんだよ……! 本気出せばなんだってできる癖に……何でだよ!! そうやって必死こいてる俺のこと、陰で嘲笑ってんだろ! 何でだよォ!」

遼は掴んだ胸倉で、何度も僕を揺らす。

反論しようとしたが、その揺れで思わず唇を噛んだ。

口の中に鉄の味が広がる。僕は遼の発言や行動が理解できず、手元のコントローラーを手繰り寄せて遼の肩を殴りつけた。

「本気出してねぇのはお前の方だろ!! 何でシュウのこと、諦めたんだよ! お前さえしっかりしてればシュウはあんな風になんなかっただろ!!」

「るせぇ!!」

顎に衝撃が走る。遼に殴りつけられたのだ。

僕は遼に殴りかかり、必死になって拳をぶつけた。

だが、取っ組み合いのケンカになれば遼の方が強いのはわかっている。

だけど、納得がいかなかった。

遼は動いていたというのに、シュウのことを助けられなかったなんて、あるはずがない。原因は遼が本気を出していなかったとしか思えない。

何をしていたかよくわからないが、身体のいたるところに鈍い痛みが入っていった。

僕はじたばたと溺れるように何度も何度も遼を蹴って殴りつける。

気づけば遼は僕の上に跨って、こぶしを振り上げていた。

僕は虚しくなって、一度収まったはずの涙で遼の姿がかすんでしまった。

両目を抑え、情けない声が漏れる。

「遼は何でもできるから、遼は俺たちの王様だから、俺らの気持ちなんてわかんねーんだよ…………」

「ゲームは! あれだけできりゃ充分じゃねぇかよ」

「あんなん! あんなんできたって……どうしよもねぇだろ」

遼の腕が、力を失ってぶらんと垂れる。

「……そんなんじゃねぇよ……。ちげーんだよ……俺は、あと2年で……いや、最初からただのヒトだったんだよ……」

遼は力なく言葉を紡いでいく。

「俺の行く大学、知ってるか? Fランだぜ? 友達だって多いけどそれだけだよ。見ただろ、ゲームの腕。お前があんなん扱いしたアレ。俺……あれでも一生懸命練習したんだぜ?」

つとつとと、遼は灯りをたどるかのように話す。

その一つ一つが僕にとっては信じられない言葉で作られていた。

遼は、僕たちの、この町の王様だ。

「……神童は、ハタチも過ぎたらただのヒトなんだよ。ましてやFランに人権なんてねぇんだよ」

うわごとのように遼は言う。その時、僕の顔が濡れた。

遼が、僕たちの王様であり太陽だった遼が。ぽろぽろと涙をこぼしていたのだ。

「シュウを助けろ? そんなん無理だよ。シュウはな、俺らが来た後、どうしたと思う? 家中のものを壊して回ってめちゃめちゃにして、暴れまわったんだ。何度行ってもおんなじだったんだよ。最後にはお母さんに来ないでくれって泣いて頼まれた。俺らじゃシュウのこと、何も変えられなかった。連絡先だってブロックされた。新しいアカウントを何度作っても何度作っても同じだったんだ。終いにはIDを変えられちまった」

遼はぶら下がる蛍光灯の紐に視線を向け、どくどくと涙を流す。

殴り合った際に切れた頬から流れる血と混じり、その涙は蛍光灯に反射されて赤く音もたてず頬骨を通って顎から遼のTシャツを濡らしていく。

「ブロックされる度に、何度もお前が助けてくれればって思った……だけど、お前を本気にさせる方法がわからなかった。本気のお前じゃなかったら意味がねぇと思ったんだよ」

本気の僕――。

僕は凡庸な煤けた石ころで、シュウの代わりだってろくにできやしないのに、遼は僕のことが必要だったのか?

「……シュウに会った。遼、俺、シュウに会ったんだよ」

ごくり、と遼の喉が鳴った。

「シュウ、新宿にいた。新宿で会ったんだ。シュウは家の外に出た。遼のしたこと、絶対、無駄なんかじゃ、なかった」

僕は遼の腕を掴み、手繰り寄せる。涙が雨のように落ちて、僕の顔を濡らした。

声を出す度にお腹がずきずきと痛む。それでも伝えなければと思った。

「できるかわかんねーけど、……俺、本気……出すつもり、だから」

遼は何も言わなかった。

何も言わない代わりに僕を抱き上げ、きつく抱きしめる。

ずきずきと殴られた場所が痛かった。

抱きしめ方も乱暴で、ぎゅうぎゅうと骨が軋むようだった。

「お前の本気は俺が保証する。本気のお前は、誰よりサイキョーだから。助けてやってくれ……アイツの笑顔を俺たちにもう一度見せてくれよ」

そう言って弱々しく震える遼は、まさしく太陽で王様だった。

それはいくら遼自身が否定しようと、彼が二十歳を過ぎても、彼が死んだ後も、変わることなんてない。

だけど、王様は一人では生きていけない。輝けない僕らは、彼のことをもっと知って、彼の光のために支えなくてはいけなかったんだ。

続く

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