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30歳はずっと「君」を嫌いだと思っていた

(画像)秋が教えてくれた出会い

嫌いだと思っていた人が、実はいい人だったというパターンは人生でそれなりによくある話だと思う。

残念ながら、逆パターンのほうが圧倒的に多いのが人生のクソゲーたる所以なのだが。

今回は私の人生において「嫌いだと思っていたけど実はいい人で気が合ったものナンバーワン」である湯葉について語る。

そう、食品の湯葉だ。
残念ながら私には友人がいないので、人間関係の話は食品を擬人化することでしか語れないのだ。当然嘘である。


そんな私の、「食べれるけど好んで食べない」ものナンバーワンは豆腐である。

本格的なコクがあってクリーミーなお豆腐屋さんの豆腐などは大好きなのだが、スーパーの豆腐はどうしても苦手だ。
いつか話そうと思うが、私はこの「濃厚でコクがある」というものがとにかく好きだ。

濃ければ濃いほどがいいと思っているのは我ながらバカの発想だと感じている。

豆腐だけでなく豆乳も、以前の記事で話したように牛乳の代替え品であり、本命を心に抱えた“お友達”としてお付き合いしている。

実は言ってなかったが、調理をしていない無調整豆乳はものすごく苦手である。だってあれ、完全に液体化した豆腐じゃん……。

ちなみに、チーズ好きによくある現象なのだが、熱を通せば大丈夫である。豆乳鍋のように。……多分。
なぜ多分かというと、我が家は貧乏性なので、「豆乳を鍋にぶちまけてぐつぐつ煮込む」という行動に躊躇し、家では水炊き系ばかり作っているからだ。

と、話は逸れたのだが、上記の理由から、私はてっきり自分は湯葉が嫌いなんだとばっかり思っていたのだ。

豆腐と無調整豆乳が嫌いなのならば、どう考えても好きになる要素がないからである。

と、いう訳で、私は湯葉を何十年の間も食わず嫌い食品と定め、口にしてこなかったのである。
幸い、メジャー食材に比べれば湯葉はマイナーな部類だ。特に意識しなければめったに口にすることはない。

なお、何らかの会合で出された、食材を湯葉で巻いた不意湯葉はカウントしていない。多分あれは湯葉だったのだろうが、こちらが認識しなければそれは私の人生における初湯葉ではない

とまぁ、再び話は逸れたのだが、そんな私の予想は大いに外れてしまったのである。

なんと、私は湯葉が好きな人だった

きっかけは湯葉の天ぷらだった。
大洗のとあるお店で「食べたことないし」「揚げ出し豆腐好きだし」「不味かったら向いの席で目を輝かせているツレにあげればいい」と好奇心と多少の打算で湯葉の天ぷらを頼んだのだ。

(ちなみに、彼氏いますみたいな匂わせをしたくてツレと書いたが、ツレ=母である。クリスマスが近づくにつれて募っていく寂しさの余り盛ってしまった。

すると、恐る恐るつゆにつけて口に運んだ湯葉の天ぷらは、サクっとして衣に、熱々でトロットロの湯葉がとろけて口の中に入ってくるではないか。

湯葉は甘く柔らかで大豆のコクがあってクリーミーで、口の中が一気に幸せになった。

そう、湯葉は豆腐よりもとろとろなのだ。

私はとろとろという食感に弱い。
そして、薄い形状の食品にも目がない。

好きな食べ物は海苔にたたみイワシ、好きな卵の調理法は薄焼き卵という人間だ。

一発逆転ホームラン、私は湯葉を好きになった。

危なかった。この機会がなかったら湯葉をなんとなく嫌ったまま死んでいたかもしれない。人生が終わるまでにこの喜びを知ることができて良かった。

もちろん、その後スーパーで買った湯葉を食べてもバッチリ満足ができた。
 
稼いだお金で湯葉しゃぶを食べるのがここ数年の目標だ。


世の中には本当に食べてみないとわからないものに溢れている。
皆さんもぜひ、この話を思い出した時、人間関係などに役立ててほしい。

私?
私は一度嫌った人間を見直さないタイプなので、人間関係には1mmも役に立たないエピソードだと思っている。

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