叫_び

デートの思い出っていうのはみんな平等に得られるもんじゃないんだよ!!

noteにファーストデートの思い出というお題が登場した。

数々の素敵な思い出が語られている。
時には甘酸っぱさや、ほろ苦さの混じった思い出もある。
誰かの恋愛の経験を読むのは好きだ。

聞くことに関してだが……。
私は心がとても広いため、昔からのろけ話を聞き過ぎると次第に顔に嫌悪が現れ始め、おもむろに取り出したスマホで「まぢ鬱」とツイートし、終いには自然と舌打ちが零れてしまうのだが(皆さんごめんなさい)、それくらい自分は「恋愛のできない人間」だと括っていた。

自分が逆立ちしてもできないことを、できたからって見せられているのがたまらなく悲しくて虚しくって嫉妬して仕方がなかったのだ。

恐ろしい事に「自分は恋愛ができない」を事実とする根拠なんてどこにもなかったのだが。(強いて言うなら人前で舌打ちをする心の狭さである)

とにもかくにも、「デートの思い出」なんていうのは、そんな幸せ色、人生の「いい所」が詰まった素晴らしいお題である。

だが、恋愛弱者はこのお題をタグにしたところでで主張しなくてはならないことがある。

書けることがない!!!!

カテゴリーエラーでタグを取り上げられてしまうかもしれない。
その恐れだってわかってる。わかってる上で言いたい。
血でできた文字で敢えて書こうじゃないか。

私にはこのお題で書けることがねぇんだよ!!!!!!

4年付き合ったクソ男とのふざけた歴史に関して、残っているのは恨みだけで思い出なんて言葉に昇華などできない。

そう。私はいっちょまえに数年間彼氏がいたことがあるが、残念ながら男性経験はない。

唯一付き合ったことのある男性(私は彼のことが好きだったが、彼は私の事が別に好きじゃなかった)に、「太ってる女とはしたくない」とセックスを拒否され続けてきたのだ。残念ながら私は今も太っている。

痩せなきゃ女としての魅力を認めてもらえないと思って無理なダイエットに手を出して諦めてを繰り返していた。

それでも、不思議と別れを切り出されることもなく、何年も付き合っていたら気が変わるかもしれないと思っていたら普通に4年間無風通過だ。

相手が就職難を理由に自殺を試みたりもしたが、結局やめて生きている。
私には相談などしてくれなかった。彼は、私より仲のいい女がいることを常に自慢していた。(その女には彼氏がいた)

いい感じになったことよりも、なにげなく体型を批判される機会の方がはるかに多かった。

私がそんなやつと別れをきりだしたのが大体25歳ぐらいの頃の話だ。以来、浮いた話などない。
できるかな? と思う出来事はあったけど、実際はどうだかわからないし、危うく都合の良い女にされるところだったと思う。

そうだよ、処女だよ!!!!
私、30歳小説家(処女)なんだよ!!!

最近ありがたいことに、よく「加藤はいねさんを彷彿させる」と言ってもらえる機会が増えたんだけど、完全にキャラの方向が加藤はいねさんと一致している。

だが、私は残念ながら社会生活がまともに送れていない上にプライドが高いし、この名義の持つ人格が生身の私とかなり近いため、加藤さんに比べるとより厄介さが増している。インターネットに生まれ落ちた泥みたいな感じだ。
とにかく崖っぷちなんだよ!!!

そんなこんな、私は通常の彼氏や交際とはちょっと違うお付き合いをしていた。
そもそも、相手には好かれておらず、彼女という札のついた都合のよい女に成り下がっていた。
別れを切り出してから、私は数回そいつに会ったのだが、一度も殴らなかったことは本当に偉いと思う。

もっと行動力のある女だったら今頃彼は山の中に埋まっていたと思うし、私も刑務所の中で、都はるみの獄中コンサートで涙を流していたかもしれない。

初デートの思い出の時点で雨の山中でシャベルを土に沈める私と動かない糞野郎……みたいなことがなくて本当によかった。

その点だけでは私は自分のひたすらに都合の良い女気質に感謝するしかない。
もちろん、今ならばこうした恨み言を話のタネにするようなずぶとさも兼ね備えている。

あの男には悪いが私はこの思い出をマネタマイズする気満々でいる。
私はこの思い出を銭に変えるので、責めてあの男が私の人生に再び登場することがないよう祈っている。

私が好きだった男は、いつも私に自分が人をフる瞬間が好きという話をした。
別れて数年経った後、私の前で「〇〇が失恋するシーン、ほんと最高だったよね」って言った男だ。

そのLINEを貰った時、私は自分がほとほとバカだったことに気づかされた。その夜は自分という存在を全く大切にできなかった自分の人生に泣いた。

もう、誰かの便利な女になんて、なりたくない。ならないようにしよう。
結局私は数年後、ブラック企業の「便利な女」になってしまったのだが。

結局、私が「初デートの思い出」というお題を借りてまで責めたいのは運命の不平等さでも、糞みたいな元カレでも、こんな私になぜかのろけたがる人への理不尽でもなく、自分自身の「運命他人任せ気質」なのだ。

私には初デートの思い出と呼べるものが無い。
私のデートの思い出は、その全てが敗北の歴史だったからだ。

生きるのが辛い……もう、辛いよ……。

生きるの辛いです!
生きるの辛いって言ってたらもう30です。
そんなことを言っていたら30歳も残りわずか。
生きるの、本当に辛いんです。

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