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どん底を見たら、あとは幸せしかなかった。

どん底から丸儲けへ
夫が急死して、そこの見えないどん底を味わいました。その時、古い友人が「生きてるだけで丸儲けよ。あんたは生きてるんだから、それでいいの!」と言ってくれました。

確かにそうです。

夫は死んだが、私は生きている。

人間は最も簡単に「死」に至ることを実感しました。やりたいことを後回しにしていたら、死んでしまうかもしれないのです。生きているのは「今」しかない。だからしたいことは出来るかぎりやるようにしました。そうしたらほとんどのことが実行できました。これまで何を諦めてきたのは、何だったのだろうか。やればできることを知りました。

死生観
同時に私が死んだ時に、子どもたちが困らないように準備を始めました。断捨離を行ない、大切にしてきた本を処分しました。子どもたちが困った時に助けてあげてと友人たちにお願いしました。そして緊急時のマニュアルを制作しました。

こんな作業をしているうちに、人は死に向かって生きているのではないかと考えるようになりました。意外にも厭世的ではなく、楽天的な感情になれました。

共感者
そんな私は、ある友人と出会いました。彼は大学の友人ですが、学びたいことを学び続けている人でした。その課題のために日本中を飛び回っています。かなり年が離れていますが、仲の良い友人の1人です。「どうしてそんなにやりたい放題に生きているのか」彼に尋ねてみました。

ある時偶然に大きな病気が見つかったそうです。その病気は大抵の人は、発症と同時に死に至るので、事前に発見されることは稀です。偶然に発見され手術によって一命を取り止めたそうです。

目が覚めた時に「いつ死ぬか分からないから、やりたいことをしよう。行きたい場所に行こう。会いたい人に会いに行こう」と心に誓ったそうです。

私はその話に大いに共感しました。私の経験とは違う経験を経ていますが、たどり着いた考えはまったく同じものでした。人生のターニングポイントを経験し、生き方が変わったのです。

不満の塊が消える
私はどん底を経験するまでは、思い通りにいかない思いを抱えて生きていました。長年の不満は大きく膨らみ、解消されることのない塊になっていました。鬱になり倒れたこともあります。子どもたちを親の義務だけで育ててきました。

しかし夫に死をきっかけに、2年間やりたいことをやりました。思い残すことがないいぐらい行きたい場所に行き、会いたい人に会いに行きました。これが出来たのは、母の協力が大きかったです。

気の済むまでやりつくすと、やっと子どもたちに向き合うことができました。そしてやっと気がついたのです。娘は優しくて賢いとても可愛い女の子、息子は知的障害者ですが、いつもニコニコなご機嫌な可愛い男の子だということを。私はなんて幸せな親であるかがやっとわかりました。幸せの青い鳥は、ずっと私の手の中にあったのです。

楽に楽しく
こうして40代になり「なんとかなるさ」「なるようになる」「まあいいかー」と楽天家になりました。生きるのが楽になり、楽しくなりました。

目が覚めると、生きている幸せを感じる。
雨の日も屋根があるから大丈夫。
冷蔵庫にはお菓子がある。
助けあえる友だちがたくさんいる。
教えを乞える恩師もたくさんいます。
夜、お布団に入ると、あー幸せと言葉が出てきます。

・・・

生きているからこそ、この幸せを数えることができるのです。
このことを40代で知ることが出来てよかったです。どん底に落ちたからこそ知ることができました。あの時を生き延びることができて本当によかったです。

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