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星の数ほどあるnotoの中で、あなたに出会うこと。

ブログ
初めてブログなるものを始めたのは、10年以上前のことでした。
きっかけは当時の上司からの命令でした。当時の私はパソコン、携帯電話もよちよちの赤ちゃんレベルでした。だから本を買い込みアメブロを立ち上げました。これも社会勉強だと、次々にTwitter、Facebook、InstagramとSNSのアカウントを作り、文章を書きました。(現在は閉鎖)

約6年に渡り、アメブロで文章を書いていましたが、次のステージにいく段階で、過去のグダグダした文章に嫌気が差したので、この世から削除しました。  

出会い
数年後、私は人には言えない悩みを抱えていました。なんだか無性に文章が書きたくなって来たので、新しいブログを立ち上げました。そこで苦しいこころの内側を文字にしていました。これまた情け無い内容でしたが、そこで1人の読者さんと出会いました。コメント欄を通じての交流でした。

そしてまた新しいステージに移る時が来た時、ブログを消滅させようとしました。
「もったいない」と言ってくれる人もいましたが、読者であるこの人と出会うための場所だったから、それで充分だ」だと、迷うことなく私は姿を消しました。

しかしその人と私は、不思議なご縁の糸がつながり、
後々本当に出会うことになりました。今でも大切な友だちです。

再び始まる
数年後、またまた新しい活動を始めるにあたり、その肩慣らしとして文章を書くことになりました。これが現在の「大人のらくがき帳」の前身でした。
ところが新しい活動は春を前にピタリと足が止まりました。notoの存在意義に迷いが出てきました。程なく別の活動に迎えていただくことになり、新たなnotoの位置付けが明確になってきました。こうしてゆっくりと「大人のらくがき帳」の形が整ってきました。

noto
私のnoteを読んで頂いたり、また他の方のnoteを読んだりしていますが、いつも不思議に思うことがあります。

それは星の数ほどあるnotoから、記事を見つけだして、目にしていることです。
たくさんオススメ記事が流れて来ても、クリックして開くとは限りません。読んでみようと開くのは、おそらく何かを感じるときです。

琴線に触れるものがあるから、noteを開き、文章を最後まで読み進めていくのです。よく似た年代という共通項、その内容に共感し、知らないことを知ったり、苦しみが分かり合えたように救われたりにしながら、その先にある筆者の心に触れるのでしょう。

これがみなさんとの出会いです。

小宇宙
SNSの小宇宙の中では、発信している人(例えるなら星)は無数に存在しています。その中では「アクセス」という「ご縁」の糸が無数に張り巡らされています。

その糸の先には、当たり前ですが、生身の人間が存在しているのです。
だから記事に出会うということは、筆者、人との出会いでもあるのです。
これはある意味、奇跡的なことじゃないでしょうか。

この宇宙の片隅で暮らしている実生活の私は、めんどくさがりで心のシャッターを下ろし、人との出会いを最小限にしています。そんな私が、数々の新しい出会いを体験しているのです。ちょっと愉快な気分です。

そんなことをぼんやりと考えていた日曜日の朝です。
さーて洗濯物を干してきましょう。

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