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ボクもまちがキライだった

12年前?だったか、ボクがまちを知ろうと思いはじめたのは。
それまではこの生まれ、育ったまちがキライだった。
でも、理由はあいまいなもの。


まちに生まれてこの方、たくさんの思い出が詰まっている。

自転車がパクられたり、バイクがパクられたり、カツアゲにあったり。。。
他のまちが輝いてみえたり。
まちにないものが他のところにあって羨ましかったり。

でもこれは誰だって持っているありふれた経験かもしれない。

ボクはそれに追い討ちをかけるかのように、家庭の事情でやな思い出もたくさんこのまちにあり、そのおかげで不幸にも4回も八尾市内を引越しした。
でもって、このまちで子宝にも恵まれ、4人家族となった。

【家族写真】

「このまちから出たら、きっと何か変わる」
そんな思いで高校からこのまちを出ることにした。というか早く出たかった。

なんだかまちがキライだったんだろう。

バンド、バイト、旅行やイベントと大阪市内や他地域で遊びに遊んだ高校。まさかこんな自分がまちに関わるなんて夢にも思ってませんでした。

【バンドのときの写真】

大手に採用も決まり、いざ行かんと思ったタイミングで訪れた全国各地の移住者との出会い。
当時は今ほど、移住者にとって頼もしいUIJターンと言われている施策もなく、移住者は生涯をかけた覚悟で移住先を見つけていた。

【四万十ラフティング】

いろんな人がいろんな想いをして結果、今はここにいる。

ローリングストーンズ「転がる石のように」

出会いやその時の掛け合わせ、タイミングなどで今、このまちにいる。

「人生、セッションだ!」
「一度きりしかないその時を誰とどこでどう過ごすか」

そんな人生を送りたくて、突然、冒険家になったみた!

【自転車で屋久島、縄文杉】
成り行き任せで沖縄に1ヶ月滞在したり、自転車で大分、熊本、鹿児島、屋久島と縦断してみたり、イタリアやオーストラリアにあてもなく旅に出たり、いわゆるバックパッカー的な暮らしをお金は貯めてはやってみた。

【一泊3千円のドミトリーで過ごしたローマ】

ボクは他のまちや都会というより、海外にばかり目がいき、海外勤務してやる!という意気込みで海外の文化やそこに住むヒトに触れたりしている中である事実に気付かされた。

「あなたの国やまちについて知りたい」という現地の方や海外のツアラーに触れるたびに「何もない」と応えていた事実。

海外や他の観光地とかはよく知ろうとしているのに、自分のまちのこと知らんなと。

だから「何もない」と。


それは何も知らなかったから。
それはすべて誇りに思えなかったから。

それは何も知ろうとしなかったから。

その気づきがボクの人生を大きく変えることになった。

そこから「じぶんのまちを知る」活動を続け、
今では偏愛と呼ぶまでにまちに愛着が湧いている。

もっとまちを知りたいと思っている。

もっとまちのことを知ってほしいと思っている。

もっとまちの人のことを知ってほしいと思っている。

その活動が雑誌「TURNS」(10月号)で紹介されるまでになった。

人生、何が起こるかわかんない。
その時、その瞬間で起こるセッションに身を任せてワクワクする方向にだけ舵をきればいい。

そう、転がる石のように♪

今ではまちの共伴者がたくさん♪
皆さんと出会うたびにまちが好きになり、また好きになってほしいと願ってます。

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