高校入学したら家がなくなった話②

高校デビューに失敗し地味部活で地味な生活を手に入れたが受験が終わり概ね自由にライブに行ったりしながら過ごしていた。

しかし10年住んだ家を出て行くというのだ。母と父の思いの詰まった家だったろうし、母は花壇や畑などかなり手を入れていた。
私は多感な時期をそこで過ごし壁はポスターだらけだ。

その家に知らない人が来た。

中古で売る為の内見だ。
スーツの人とスエットのオジサン。
話の流れで、ああこのスエットの人は十中八九購入する気で来てるんだなと察した。

ああ、本当に売られるのか。

ある日学校から帰宅したら私が8年使ったピアノがユニックに吊られ運ばれていた。あの、失恋にも似た喪失感は辛いものがあった。

その売ったお金でキーボードを買うと母親にうっすら言われたが結局買ってもらえず、あの日以来今日に至ってまともに鍵盤は弾いていない。

父方の祖父母の家に行った。
父親の兄とその奥さんであるおばさんがいた。
今まで「とても優しいいとこのおじさんとおばさん」だと思っていた二人が険しい顔で父と母に向いていた。
口を開いたのは元保育士のほんわかして優しいはずのおばさんだった。
「ウチにもうちの生活があるのでこれ以上は絶対にありません、もう二度とこんな事はないようにしてください」

今になって思えばなぜこの場に私まで連れて行ったんだという気持ちもなくはないが、お金を借りたんだろう。

返してないと思うけど。

それ以来母は祖父母の家にも行ってないと思う。祖父にもまともに会ってないはず。
祖父母は運動会のたびにカニとお赤飯とお菓子を大量に持ってくる私にとって神様みたいな祖父母だった。
なので私は時々祖父母には会っていたが親戚とは会いたくなくなった。

私が高校入学したのは1999年だったと思う。携帯を持ってる子は裕福な子か放任家庭の奔放そうな子という感じだった。バイトを始めて自分でやりくりしてる子はピッチ。そうPHSを買う。
そしてバイトもしてない私は電子機器には無縁。
なので友達とのやり取りはまだ家電だった。
だがどうも友達に「昨日家に居なかったね」と言われることが多くなる。
え?いたよ?
「電話したのに出なかったよ」

えー?いたのにな。おかしいな。

電話壊れたのかな?
調べて分かった。線が抜けてる。

当然差し直す。

だがまた友達に同じ事を言われる。

今度はボリュームが消音にされている。

そう、ウチにはおびただしい数の借金取りの電話がかかってきていた。
父親がそれを取りたくない為電話に小細工をしていたのだ。

迷惑だと伝えても直る様子もないので一刻も早く携帯を買わなくては、という心境だった。

描写が難しいのだが恐らくここに至るまでの数年父親は常に酔っていた。
仕事を辞めてことさらどこで調達してくるのかずっと飲んでいる。
こんな調子で次の仕事なんてあるのか

そしてまたある日母親に封筒を渡される
「?」

実は授業料を滞納してしまって、これを学校の事務さんに渡してほしいんだ、と渡されたのが七千円入った封筒だった。

七千円も滞納しちゃうのか…。

これがちょうど夏休み直前。

引っ越しの目処も立った。

姉弟三人できれば環境変えたくない。だから近くに住みたい。これは共通のお願いだったが母親は所謂「ママ友」などに会うのが嫌、知ってる人のいないところにいきたいと。

確かに今の私がまさにそうだけど、子供が三人いると、スーパーに行けば必ず誰かに会う。役員で関係あった人から習い事の先生、保育園で六年ずっと毎日お迎えで顔を合わせた人。子供の仲良しのママから近所の人まで。
関係は様々だが避けては通れない。
なのでその時の母親の気持ちも今なら分からんでもない。

だがしかし思春期二人には迷惑な話だった。

私は徒歩二分から、往復二時間の自転車通学へ変わるのだ。
中学の弟は転校。

夏休みのある日、私はスラットバンクスのライブに行った。帰ってきて、布団の中で天井を見上げた
耳がキーンと鳴っている
この家で寝るのも今日が最後かと思いながら眠りについた。

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