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コロナ禍で、抗うつ薬を飲みながら、山に登る

 抗うつ薬を飲みながら山に登る人なんているのだろうか?
 私は、おそらくめずらしいかもしれないそのうちの一人だ。
 
 抗うつ薬を飲みながら山に登るなんて、危険じゃないのだろうか?
 登山中にうつの症状が出たらどうするのだろうか?

 でも答えはシンプル。
 抗うつ薬が効いていたから、山に登ろうという気になれた。
 抗うつ薬が効いていたから、登山中も平静な自分でいられた。
 だから大丈夫。抗うつ薬を飲みながら山に登っても大丈夫(あくまで私の場合。他の人に勧めるものではありません)。

 抗うつ薬を飲みながら最初に(ハイキング程度の山を除き)挑んだのは、コロナ禍の北アルプス、西穂独標、単独、しかも厳冬期。
 最初の緊急事態宣言が解除された後、Go To トラベルキャンペーンが実施され、私のまわりのほとんどの人はどこかしらGo to で行っていて、私はすっかり取り残されていた。
 うつで4ヵ月休職した後、結局その職場には戻れずに退職し、やっと就けた仕事に慣れるのに精一杯だったから。それにコロナで夏山シーズンに山小屋はどこも休業していて、私はいつもテント泊なので山小屋に泊まるわけではないけど、テントは山小屋のあるところにしか張れないので、コロナの影響は大きくて、夏山はあきらめていた。
 コロナの年の12月下旬、コロナで海外に行けず貯まる一方だったユナイテッド航空のマイルを使い、ANAで富山に行くと、たまたまシーズン最初の寒波が来て日本海側にドカッと雪が降り、JR高山線が不通となって富山で一泊足止めを食った。その一泊だけgo toの恩恵を受け、15%分の地域共通クーポンで初めて富山ブラックラーメンを食べた。
 翌日JRは動き出し、高山でバスに乗り継ぎ新穂高温泉からロープウェイで上がるとそこはもう雪山の世界で、アイゼンを装着して歩き始める。登り始めたのが午後からだったので空には雲が出ていたが青空も見える。うつになってから初めての北アルプスなので体力面の心配もあったけど、前爪のついた12本刃のアイゼンは雪面にしっかりと食い込み、安定感があって夏山より歩きやすいくらいで、雪の上を歩くうちに、大丈夫、以前と何も変わらないと心の中で思う。私はこのアイゼンという道具を絶大に信頼しているので、雪山であっても不安なことは何もない。
 気温はマイナス5度くらいだろうか。私の服装は速乾Tシャツの上にメリノウールの長袖アンダーウェア、ポリエステルの薄手のシャツ、その上に裏地がフリースのフード付きアウターの4枚。そのアウターは私の大のお気に入り、L.L.Beanのストームフリース・プロ・フーディで、これがものすごく温かくて、行動中は暑いくらいで汗をかく。たぶんマイナス15度くらいまでならこの4枚の重ね着で大丈夫だろう。これで寒さを感じればダウンだが、今回の山行ではダウンの出番はなかった。
 その日の行程は西穂山荘までの2時間ほど。不安はなかったものの、山小屋を見つけたときはホッとした。まっ白な雪の中の、木造りの人工物。到着したのは3時前だったが、一番日の短い時期なので、曇ってきたこともありもう夕方のようだった。山小屋に入ろうとすると、まっ先に「マスクをつけてください」と言われた。うっかりしてた。コロナだから、登るときははずしていても、山小屋に入るときはまずはマスクだ。
 私は日本の山小屋に泊まるのは初めてだった。これまでずっとテントにしか泊まったことがなかったから。ネパールのトレッキングでは山小屋というかレストラン併設のロッジにはいつもお世話になっていたけど。人の多いところは苦手なので、日本の混んでいる山小屋に泊まる気は今までまったくなかった。でも冬は別だ。通年営業している山小屋があるとありがたい。何と言っても山小屋の中は暖かい。外が寒ければ寒いほど、そこは天国だ。山小屋に着いてから夕食までの間、私はヒーターの前から離れられなかった。
 コロナで、しかも大雪の後の日曜泊だったため、私の他に2組しか客がいなかった。外にテントが2張り。外はマイナス15度以下だ。大雪の後テントを張った人はいないらしく、1m以上降り積もった雪の整地からしなければならず、風も出てきて、テントを張るのに難航している様子を山小屋の窓から眺めていた。外はどんどん暗くなった。冬の山小屋はありがたい。暖かくて、安心だ。
 山小屋の夕食も初めて。主菜はおろしハンバーグでボリュームたっぷり。ごはんと味噌汁をおかわりして、明日に備えてお腹いっぱい食べた。食後に抗うつ薬を飲んだ。不安を感じたときに服用する頓服も持ってきていたが、飲む必要はなかった。持参した化繊中綿の軽量シュラフにくるまり、その上に山小屋の布団をかけて寝た。寒さは感じなかった。
 翌朝は晴れ。空の青が深い。日が出てきたのは7時過ぎ。風が強い。おそらく風速15mかそれ以上。気温はマイナス15度。バラクラバ(目出帽)の上にビーニー(ニット帽)をかぶり、その上にヘルメットを装着。目にはゴーグル。ストームフリース・プロ・フーディの上にレインジャケットを重ね着した。下はタイツの上にビブ(スキーウェア)を履いた。
 強風の雪の斜面を快調に進む。途中で先行者を追い越し、独標への登りにかかる。岩場で、後から来る男女ペアのパーティーが近づいてくるのに気づいた。
 私は他の人を気にしてしまうところがある。登山中であれば、先行者や後続者との距離、速度の違い、抜く/抜かれるのならどのあたりがいいかなど。そのときもどこか気を取られていた。雪まじりの岩場で、アイゼンの前爪を足場に置きながら慎重に登っていたつもりだった。後続のパーティーは私より右寄りのルートをとって私を追い抜いていった。言葉は交わさなかった。私はそのときどこかでルートを間違えたことに気づいた。足場が悪く、先に進めなくなってしまったからである。そのパーティーのようにもっと右寄りを進まなければならなかったのだ。
 私はいったん下に戻ってルートをとり直そうと思った。下を見たとき、傾斜が急で足場を見つけづらく、しかもところどころに雪がつき滑りやすくて、無事に下りられないのではないかと思った。5m下ればよいのか?もっとか?、わからない。下がよく見えない。私はそこで動けなくなった。どうしよう。滑落したら止められない。下に落ちるだけだ。
 でもそのまま恐怖心がふくらんで、パニックになったわけではなかった。登りより下りの方がはるかに危険であるが、登ってきたのだから下りられないはずはないと思った。そして慎重に足場を探り、アイゼンの前爪を引っ掛け、体重を乗せられるか確かめながら、一歩一歩時間をかけて下っていった。
 私は大丈夫だった。安定した足場のあるところまで戻り、右寄りのルートをとって登り直した。独標まではすぐだった。独標まで登りきると、先行パーティーはその先に進むため、ザイルの準備をしていた。私は独標まで。快晴なれど強風。長居はできない。これが厳冬期の北アルプス。写真を撮ろうとしたが、スマホもデジカメも気温が低すぎてバッテリーが作動しなかった。風の音、空の藍、雪の白さ、先へと続く穂高の岩稜。抗うつ薬を飲みながら登ってきた、ここが今の私の到達点。

 自分がうつであるとわかったのは、抗うつ薬を飲んで効いたからだ。抗うつ薬を飲み始める前は抗不安薬だけ飲んでいた。抗うつ薬も処方されていたけど、抗うつ薬を飲むことには抵抗があった。なぜかというと、自分はうつではないと思っていたし、抗うつ薬は一度のみ始めたら、勝手にやめることはできないだろうし、減薬するのもたいへんだと聞いていたからだ。副作用で吐き気が出るかもしれないと主治医に言われ、胃腸薬も一緒に飲むようにと処方されたことも、気が進まない理由だった。そして何より、抗うつ薬を飲むと、自分が自分でなくなりそうな気がしていた。だから抗うつ薬はもらっただけで飲んでいなかった。
 休職して1ヶ月して、職場に戻ろうと思った。まだ少し恐怖心はあるけれど、前回の経験から休職が長引くと元の職場に戻れなくなると思うので、早めに職場復帰したいと主治医に話すと、その恐怖心があるうちは戻らない方がいいでしょうと言われた。そして抗うつ薬を飲んでみるようにと言われた。抗うつ薬を飲めば恐怖心は消えるからと。
 抗うつ薬を飲むのが復職の条件みたいな形になってしまった。だから仕方なしに飲んでみた。毎日夕食後に服用した。すると数日経つと効いてきた。頭が少しボーっとしてざわざわが消えるような、気楽な感じが出てきた。
 抗うつ薬が効き出すと、ふと思った。もしかしたら私は、ずっと前からうつだったのではないかと。十代の頃から時々激しい落ち込みに襲われて、なかなか抜け出られなかった。でもそれは自分にとってデフォルト(初期設定)のようなもので、私の人生にはずっとつきものだったのだ。だからわからなかった。自分がうつだったとは。
 そして私のうつは軽度のうつ。うつ病とは言えないうつ。軽く長く続くうつ。
 私は前にも一度メンタル不調で休職・退職している。そのときの診断は適応障害。うつとは言われなかった。今回は適応障害に抑うつ状態が加わった。
 軽いからいいのか?
 よくはない。ある日職場が怖くなり、行けなくなる。このまま働けなくなったらどうしようと怖くなる。軽いからいいってものでは決してない。
 むしろ軽いから見過ごされる。そしてある日突然やってくるのだ。怖くて働けなくなる日が。

 私のうつはコロナ禍とは関係ない。コロナ禍になる前からうつだった。そしてコロナ禍が広まり始めた頃、転職し社会復帰した。抗うつ薬を飲みながらの再出発。しかも私はソーシャルワーカー(社会福祉士)で、相談室に勤務して、いきなりコロナ禍で困窮した人たちの相談を受ける最前線に身を置くことになった。たまたまである。たまたま見つかって働き始めた職場がコロナ最前線だったのだ。
 前は、人を支える仕事をしているのに、自分がこんなでどうする、という葛藤があった。でも抗うつ薬を飲んでいると、不思議とそれはない。自分に対する期待値というかハードルはぐっと下がった。頑張りすぎるのはよくない。疲れを感じないのはよくない。疲れやすいくらいがいい。来る日も来る日もコロナ禍で深刻な話を聞いて、疲れるのはあたり前だ。そんなにあれもこれもできない。できなくたって自分が悪いとは思わない。
 そういうふうに思えるようになったのは、抗うつ薬を服薬していたからだ。今はそれがよくわかる。

 コロナ禍2年目の初夏、私は自己判断で服薬を止めた。支援者の立場だったら、ダメだね。主治医に何の断りもなく勝手に服薬を止めてしまうなんて。
 でもやっぱりいやだった。ボーっとして生きているようなのは。とんがったところがなくなるようなのは。お酒も飲めなかったし。
 だからもしかしたらまた、職場が怖くなって働けなくなる日が来るかもしれない。それでもまた、同じことを繰り返せばいい。それも悪くない。

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