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宿の予約をせずに旅する人

 飛行機のeチケットだけ取る。
 宿の予約はしない。
 日が暮れかかってもその日に泊まる場所が決まっていないこともある。
 暗くなってきて、自分がその日に泊まる場所がない心細さ。
 でもその心細さを案外私はきらいではない。
 なぜかというと、その日に泊まる場所がないということはないから。
 必ずどこかに泊まれる。
 そしてその日に泊まる場所が見つかったときの安堵感を味わうのはたまらなくいい。
 自分が自由だと感じる。
 泊まろうと思えばどこでも泊まれる自由。
 言ってみれば野宿である。
 だからより正確に言うと、私は宿の予約をせずに旅する人というより、基本宿には泊まらない人である。
 野宿で味わう自由。
 予約に縛られずに旅する自由。
 その日行けるところまで行き、泊まりたいところで泊まる自由。
 四国のへんろ道には野宿しながら歩いている人が他にもいるので、野宿できる場所はところどころにある。だから泊まる場所がないということはない。
 公園だったり、無人のお堂やへんろ小屋だったり、無料のキャンプ場だったり、道の駅だったり。
 そこに東屋(あずまや)のあることのありがたさ。
 東屋といってもピンとこない人もいるかもしれない。公園などにある、屋根とすわるところだけ(テーブルがあるところも)ある建造物。
 東屋があれば夜に雨が降っても濡れないで済む。東屋があるとないとでは大違い。
 水があり、トイレが使えることのありがたさ。人は水とトイレがあればとりあえず生きていけると思える。
 野宿といってもテントと寝袋はかついで歩いているので、道端でただ横になるというわけではない。
 テントは小さな我が家。まわりの環境がどうであれ、テントに入れば安心して眠れる。ひと晩休めば翌朝また歩き始める活力が湧いてくる。

 私はこのスタイルで旅するのが好きだ。必要なものをバックパックに詰め込んで、その日に歩けるだけ歩き、日が暮れる頃ここに泊まりたいと思う場所に泊まる。翌朝は夜が明ける前に起きて歩き出す。
 そうして私は、自分が自由な存在であることを確かめる。

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