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場を持つ嬉しさをただただ噛み締めるの巻 -Compath Campus Journal 01-

来年の春にはSchool for Life Compathの校舎ができる。

「2024年に校舎ができるから楽しみなんです〜」と伝えていたけど、その2024年がもうすぐ近づきつつある。校舎もだいぶ完成に近づいている。(TOP画像は最新の外観です)

未来系の表現が使えなくなる日が来るのだ。
なんだかまだ現実味を帯びない。夢のような。

町のあちこちの施設を借りて、転々としながらプログラムをひらいていた3年間から、校舎ができるこれからの数年間。Compathの第二創業期といえる大きな転換点になるね、したいね、とメンバーで語り合っている。

▼前書いた3年間の道のりはこちら

そんなふわふわした気持ちも、校舎が出来て日常となって、慣れて5年くらい経った頃にはきっと薄れてしまう。

そんな私たちへ、有り難みが当たり前になりはじめた時期に、振り返るための材料として、記録を残しておこうと思います。

なぜ校舎が作りたいのか。
どんな情景を妄想しているのか。
これからのたくらみごとについて。

第一回目は、「なぜ校舎が作りたいのか」。

校舎を作りたい構想は、いつからだったっけ?

「いつか校舎をつくりたいための建築検討チーム」が、Compathのなかで発足したのは2021年の3月からだったけど、

Compath建築チーム初めての取組、黒板づくりワークショップ

「日本にフォルケホイスコーレをつくりたい」
=「宿泊型の校舎も、絶対いつか作りたい」という構想は、まだ東川を拠点にするかどうかも、影も形もなかった2018年ごろから固まっていた。

会社員やりながら二人で週末会議&リサーチしていたとき

「共につくる実験室」としての校舎

というのもフォルケホイスコーレは校舎も含めて、フォルケホイスコーレたらしめるという印象を、2017年に初めて訪問したときに強く感じた。

「このフォルケホイスコーレってどんな特色なんですか?」と、校長先生に聞いたところ「いやー、毎コースの生徒のカラーで、どんな学校になるか、変わり続ける学校だから一言では表現しにくいね」と言いながら、校舎の一部屋を案内してくれた。

その部屋は、壁を真っ黒に塗られた生徒たちによるかっこいいバーだった。全て生徒がDIYで作ったのだと言う。前のコースではがらりと違う用途の教室だったけど、生徒たちの一言から改装プロジェクトがはじまったらしい。

フォルケホイスコーレの教員養成機関の1教室。予算をやりくりして、教室環境をDIYして学びの最大化をするのも授業の一環

フォルケホイスコーレはデモクラシーの学校と言われる。「民主主義」だと取っ付きにくく感じるかもしれないけど、わたしたちひとりひとりが、ほしい社会を自分たちの手で作っていくための、対話・多様性の中での個と社会のバランス・小さいことで良いからやってみること、みたいなニュアンスだ。

学びだって、校舎だって、変える余白があるから、ずっと未完成の学校なんだ。そう言い切る校長先生と、変わり続ける校舎そのものが哲学を体現していることにとても痺れた記憶がある。

わたしたちは自分達で創っていける力を持っている。でも私たちは凸凹で、凸凹な人間が作った仕組みは当然凸凹だ。既存の仕組みに納得いかなかったらアップデートする必要がある。ただ、既存の仕組みに問いを立てるためには、今いる環境から少し離れることも大事で。Compathはそんな場所に育てていきたい。

暮らしのために食べものを1から育てる。居心地のいい校舎空間にするためにサウナやタイニーハウスを建ててもいいし、エネルギーの未来を考えるために発電機を自作しても面白いかも知れない。自分の未来、誰かとの関係性。大小欲しいと思うものを自分たちの手で作ってみることができる実験室になったら、面白い未来を作ることができると思う。

民主主義は、完成されるべきシステムでも教理でもない。それは自分のものにすべきひとつの生活様式だ。

『生活形式の民主主義-デンマーク社会の哲学-』(ハル・コック著)

「人生の交差点」としての校舎

「人生の交差点にいるみたいだなあ」と、Compathをやっていると思う時がある。きっとここに来なかったら出会うことがなかった人たちの、出会いと旅立ちが交差する道に立っている感じ。

Compathの参加者を見ていて思うのは、そういう偶発的に起こる出会いこそが未来を拓く選択肢にふっと連れて行ってくれることが多い。プログラムは用意するんだけれどもあくまでそれは触媒で、それ以外の時間で参加者同士で深いおしゃべりをしていたり、勝手に町に繰り出して偶発的に起こる出会いの方がよっぽど面白い。それこそが余白だよね、って語ってくれた参加者もいた。

そういった意味でも、Compathは東川町の人たちに支えられている部分が大きい。そして、東川町の面白さを、私たちもCompathの参加者通じて再発見している日々です。

東川町の面白さ。このnoteにも書いてあるように、写真の町・米どころでご飯がおいしい・東川スタイル・適疎を目指す町・旭岳の麓・・・などなど、面白がる切り口は沢山あるのだけど、突きつめていくとやっぱり「人」という話になるんだと思う。(その先も突き詰めると「水」という説を唱えたいがまた今度。)

暮らしも遊びも仕事も全力で人生を楽しんでいる人が多く、一見個性バラバラだけど不思議と共通する哲学があり、個々のスタイルで生業を持ちながらも、個だけで突き抜けることにこだわりを持たない。縁と偶然の出会いを大事にする。とにかく町のことが好きで、熱く町の未来について語る。

東川町の人たちと校舎活用ワークショップ

今年の夏のミドルコースは、その「人」の力でどんどん縁と可能性が広がることを感じるコースだった。少人数だったこともあって、授業を地域の人たちにも参加してもらったのだけど、それがとってもよかったなあ。
(▼ミドル参加者が録り続けてるラジオから、その様子を感じ取れるのでぜひ聞いて欲しい)

夢を話すと、応援されて、縁がつながり、また次の視界がひらけて。
2020年の起業時のわたしたちを見ているようでした。

校舎ができると、いろんな人がもっとふらっと立ち寄れるようになるし、
帰ってくる人を、おかえりと迎えられるようになる。

きっと校舎は、いろんな人たちの交差点になる。
参加者と卒業生、旅人と町民、職業、住んでいる国、おとなとこども、価値観、趣味、夢、たくらみごと。

3年間、本当にたくさん東川町にお世話になったから、今度は私たちがここに場所を持つことで面白い化学反応が起こったらいいな、と妄想中です。

「あなたのままで居られる場所」としての校舎

あなたはあなたのままで価値があるということが感じられる時間をCompathでは大事にしている。

肩書きや鎧をおろして「べきねば」から離れる時間。ありのままの自分の存在をハグする時間。DoingだけでなくBeingを見つめる時間。自分自身に立ち戻る時間であったらいいな、と願っています。

大事にしている哲学を来てくれた人に伝えるために、プログラム・グラウンドルール・雰囲気などなど、あの手この手で工夫してきた。

・・・のだけど、想像以上に空間が発するメッセージが強く、それに大きく影響されるということも分かった。オフィス風のグレー絨毯だと心なしかピッシリするし、天井が高い空間や森でやると開放的になるし、畳があると日本人はゴロゴロし始める。

私のカメラロールに大量にある、畳ごろごろショット

周りがどんなことをしているかも影響が大きい。違うことをしながら同じ空間でいるというのも難易度が高い。けれども、それでも共に居られる、いろんな「居る」を同時に受け止める校舎を作りたいねと言いながら設計している。

これは2022年のロングコースでの情景がヒントになった。共有部屋を、みんなが居心地の良い部屋にするために、最初の授業全部を使った。気の済むまで床を綺麗にして、ベッドの位置を変えて、絨毯も持ち込んで。

「がおー」

だらだら誰かと喋りたい時の空間と、ひとりで集中したいときのおこもりスペースが誕生した。小さい部屋だったけど、めちゃくちゃ居心地がよかった。「それぞれが、ただ居る」ということができるようになった。ちがうことをしていても一緒にいられる空間っていいなって思った。

これからは、校舎くんも一緒になって語りかけてくれる存在になる。
校舎だけでなく、ドアを開けるとひろがる緑と青空と、広い芝生と大きな白樺と、遠くに見える旭岳も、みんなのありのままを受け止める居場所になることでしょう。

リノベーション前の校舎。季節によっては夕日がちょうど窓から落ちるのが絶景です

まとめ

こうやって書いてみると、プログラムをつくりながら、みんなと体験しながら一緒に構想が育ってきたんだなと思いました。これからも、そうやって育っていく校舎にしたいな。

次回は「共につくる校舎とはどういうことか?」ということについて、具体的に書いていきたいと思います。

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