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「無知の知」から人生が変わる

「無知の知」とは「知らないことを自覚している」という意味ですね。

古代ギリシアの哲学者ソクラテスの言葉として有名は「無知の知」は、「自分は何も知らないということを自覚している」ことを指す言葉です。


スピード違反に見る人間の本質

突然なんのこっちゃ?と思われる方もいますよね。僕は良く、人間のある本質的一面の例としてこの「スピード違反」の話をします。

ある映画を見ました。主人公が知らず知らずのうちに悪の陰謀に振り回され、愛する人を殺されます。復習に燃え、最後には悪人を倒すというお話です。本当によくあるパターンの映画ですね。悪を裁く映画。割と皆さんお好きですよね?

また話が飛びましたね(笑)最後にはつながるので、少しお時間をいただければ幸いです。

ここで少し、映画の悪役である犯罪者について考えてみます。


人は何故罪を犯すのか(犯罪者)

人間社会には法律や教育が必要です。何故なら、

認知症の方に介護が必要なように、人間には教育や法律によっての介護が必要です。

何故なら、

①人間は捕まらなければ悪を行う可能性を持っています。

また、

人間は周囲に影響されて、悪を行う可能性を持っています。

(日ごろ自家用車を運転することがない方にはピンと来ないかもしれません)
スピード違反で例えるなら、①はお判りいただけると思います。可能性のお話です。②は、

前の車もスピードを出しているから(集団心理)
後の車が迫って来るから(同調圧力)

「自分だけは法定速度を守る」という選択肢は常にあり、それを選択する事はほとんどの場合可能です。しかし、比較的多くの方が、選択しません。日ごろはきちんと制限速度を守っている方でも、仕事が終わって早く家に帰りたいという様な無意識の衝動から、ついついスピードを出してしまう。
(もちろん、常に法定速度を守っている方もいらっしゃいます)

そんなのしょうがないじゃん
それが普通でしょ

という考えもあると思います。その考えを責めたいわけではないんですよ(*^^*)


覚えていますか?

あなたはいつからスピード違反をするようになったか、覚えているでしょうか?
覚えているとしたらそのきっかけや原因は何だったでしょうか?

答えられる方は非常に少ないと思います。

いつの間にかスピード違反をするようになった。それが当たり前になってしまった。

そんな感じではないでしょうか。

ではここで映画の話に戻ってみます。


犯罪者はいつから犯罪者になったのか?

スピード違反の問いに対して、あなたはどう思いましたか?

そんなのしょうがないじゃん
それが普通でしょ

すべての方がそう思ったわけではないと思います。但し、僕が出会った方々や過去の僕自身の考えや経験上、

そんなのしょうがないじゃん
それが普通でしょ

こう考える方は少なくないように思います。

映画やドラマで、犯人が捕まると色々な考えが思い浮かぶと思います。

スッキリ爽快(犯罪は悪い事だ)
ざまあみろ(恨みを晴らす・遺族の心理)
悪は裁かれるべきだ(生活の安心)

悪は裁かれるべき

概ね僕も賛成ではあります。人間社会の秩序を守るためには必要です。しかし、ここで気付いて欲しいのは、

悪人自身はいつから自分が悪人になったのか本人も分からない

という事です。生まれ持った運命なのかもしれませんし、あえて輪廻や縁起の考え方をすれば、過去生においてその犯人は何かの理由で殺されてしまい、その結果、今世で誰かを殺すという行為に至るのは必然だったのかもしれません。まあ、我ながら荒唐無稽なお話ですが。要するに、

スピード違反も犯罪もそれがいつのどんな原因から始まっているのか分からない

犯罪者もこう考えていたんです。

そんなのしょうがないじゃん
それが普通でしょ

でもいつの間にか…

という事ですね。


無知の知

あなたはいつからスピード違反を始めましたか?あなただけではありません。僕も、なぜ今の自分になったのかという事は良く分からないんです。僕も、法律によって介護されている身の上です(*^^*)

しかしどうでしょう、

無知の知「知らないことを自覚している」

知らない事を自覚しているかどうか?

この観点は、非常に大切だと思います。

とても価値ある考え方だと思うんです。日々や時々にこの「無知の知」と言う事を思い出して人生を送るという事は、

少なくともあなたが犯罪を犯してしまう可能性を小さくする

のではないでしょうか。

限度を超えてしまう瞬間に気付くことが出来るのではないでしょうか

僕は、そんな「無自覚」に少しでも気付けるための方法を研究し、最新版を無料で公開しています。

しかも、あなたの潜在能力が高まるという、スペシャルな?特典付きです(*^^*)


さいごに

犯罪者が捕まって牢屋に入れられる。殺人者が追い詰められて殺される。

ハリウッド映画では特にこういった傾向は強いように思います。悪が裁かれる。それは、私たちの生活の安心でもあるかと思います。「水戸黄門」「日本の刑事ドラマ」「弁護士ドラマ」についても、確かに我々が望んでいる平和のためには悪人が裁かれてしかるべきでしょう。

そんな時に思い出して欲しいんです。

悪人自身はいつから自分が悪人になったのか本人も分からない

自分がそうならないように、また、犯人もいつから悪意を持ったのか分からないのです。そういった、人間の姿に、

少しの哀れみ

を感じてみる。自民党の裏金問題。これも、あわれな人間の性によるものです。悪い事は悪い。当然そうです。しかし、いつから悪を行うようになったのか、本人にも良く分からないんです。

この点から議論をしないと、根本的な解決にはならないため、同じ事を繰り返すだけなんですけどね。戦争も同じですね。これが人間の歴史です。

せめてあなたには、その事を知って欲しい。

ここまでお読みいただきありがとうございました(*^^*)

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