コロナ禍がもたらしたモノ・コト~その10~ ⇒ 私のペルソナの形成(少年期編①)

「コロナ禍がもたらしたモノ・コト」というテーマで綴ってきましたが、いつしか私の生い立ちを通じて私のペルソナが形成される過程へと話が移っていたので、題名を「私のペルソナの形成」に変更します。ただし、筋としては「コロナ禍が~」からつながっています。

※ペルソナ:その人の人格の最も外側にさらされている部分。いわば個人が持つ公的なパーソナリティのこと。「ユング心理学の世界」(樋口和彦)参照

少年期、青年期、社会人初期、転職、独立起業編とつづき、最後は後天的に形成されたペルソナにより本当の自分を見失ってしまっていたが、図らずもコロナ禍により多くを失ったお陰で本当の自分に気づけたという、当初のテーマに還ります。さて、では話を再開します。

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担任教師の訪問目的はシンプルだった。私が一般の学校についていけないだろうということで、親切にも養護学校への転向をお勧めしに来たのであった。先生なりにいろいろ考えてくれたらしく、喘息の治療も兼ねて少しでも環境のいいところをと、伊豆辺りの施設を調べ、ご紹介下さった。やっと退院させ、これでやっと普通の子供たちと同じ環境で育てられると思っていたであろう母のショックは、子供の私にもよく理解った。

二階の踊り場の床に這いつくばりながら先生と母とのやり取りを盗み聞いている私の胸は、早鐘のように鳴って止まなかった。母同様、いくら勉強についていけないからといって、私だって規制だらけで不自由な塀の内側(つまり病院)の生活には決して戻りたくなかった。何をどう母が説明し説得したのか今となっては覚えていないが、とにかくその日、担任は自分が持ってきたプランをいったん引っ込めることになった。

つづく

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