アウトプット④!最近読んだ「スキなnoteたち」をまとめて、それぞれ割と丁寧に感想を書いてみた。

前回に引き続き、アウトプットシリーズでございます!

他はこんな感じです。もしこの記事が気に入ってくださったら、ここまで戻ってきて他のも読んでみてくださいね!

では、目次の下からの内容へどうぞ!
今回は2月25日〜2月26日に読んだ10記事!


働くということについて

【1日8時間働くルール】
100年以上も前に定められた。1919年の国際労働機関(ILO)第1回総会で「1日8時間・週 48時間」(8×6=48)という労働制度を定め、これが国際ルールとして確立されることに。日本でもその年に川崎造船所が8時間労働を採用し、1947年労働基準法施行に繋がった。

アメリカではとっくに週休2日制になっていたが、日本では遅れること60年。松下電器での導入を皮切りに1980年代後半にようやく広まっていった。

職業の報酬と労働量に全く比例していない社会。

1%の者が4割もの富を保有する現在。1日4時間労働だろうと、10時間だろうとそれほど問題になるような差ではない。労働時間が半分になれば、自ずと物価や貨幣価値が調整されていくだけ。

個人的には1日2時間労働くらいがちょうど良いなって思っています…。午前中にカフェに行って朝の2時間集中してお腹が空いたらあとはのんびり過ごして、夕方多めの散歩して汗を流す。

富の集中を解消すればみんなこんな生活が出来ると思いますよ。今は偶発的に分配が偏ってしまっただけで、もう一度人類史をやり直せば大逆転もあり得るかも知れませんが…すみません負け組の遠吠えです。

これからAIが働いてくれるようになると、ますます富の集中が加速してくると思います。そろそろ新たなメカニズムを考える時期に来ているのかも知れませんね。

感想
富の集中。そして資本家がどんどんその資本を元手にして、さらにお金持ちになっていく…。そんな社会だよなぁと。どうやってこの富を再分配したらいいのかは全然わからないけれど、違和感を強く感じる。ベーシックインカムで労働しなくていいとかも聞くけれど、人間、生きているからには働いて「貢献できている」っていう感覚を噛み締めないと、幸せじゃない気がしている。なんでもバランスで、仕事も嫌だってよく聞くけれど、実はみんな仕事が完全になくなったらなくなったで嘆くんだろうなぁと。

切り替えて次に行く

「運」がいい人の特徴が、過去にあまりこだわらないというのも、納得ができます。 起きたことにはこだわらない。 執着を持たないという意味ではブッダの悟りに似ています。

軽さは「明るさ」に通じる。「あかるい」から「あ」を取ると「軽い」になるからだ。ものごとを軽く考えられる人は行動が早い。考えすぎる人はなかなか行動できない。

感想
その内容をずっと考えていたいのか?その過去のことをずっと気にしていたいのか?そのことを考えていることが、現状の不満を解決する最善策なのか?こんな問を自分自身に投げかけてみると、なんだか考え込むのも、馬鹿らしいな。そう思うことが増えた。切り替え力ってものがついたのかも。そしたら、もっと自分が幸せを噛み締められることに時間をたくさん使える。死ぬときにもっと満足できるはず!

アーティスト、ゴッホ

グニャリと感じられる糸杉と、ひまわりと、自画像。あのグニャリはいったい何だったのだろう。彼の目には、外が、屋内が、景色が、環境が、恐ろしく強く激しく渦巻くエネルギーとして見えていたのだろうか。時間も空間もグニャリとしている。

何も感じずに穏やかに日々を重ねることが一つの生き方だとするなら、ゴッホはどこにいてもあらゆるものが、大気までも、目に見えたのだろうか。その一つ一つを描き留めていった、そんな人だったのかもしれない。それは、雑踏のあらゆる音を拾わずにいられない音楽家のようでもある。それが天才?

感想
普通の人だと知覚できないようなことまで知覚して、表現するのがアーティストか…!そんな感覚。みんな世界の見え方が違うし、その中でどの部分が気にいるかも違う。抽象度がすごく高い話になったけれど、そのおかげで人との会話ってすごく楽しい。だって全部自分からすると「ある意味想定外の答え」だから。これからも写真とか文章を通じて、自分がどう感じているか、どう物事を見ているのかとかを伝えたい。

線引が難しい話

「これをもっと続けたいか?」と言われたら、またそれは別のはなし。というか、これ、もし給与が発生する仕事とかだったらもうちょっと入念に段取りをくんだりリハーサルを重ねたりして皆がコミットできるのかなあ、と思ったりするので

良くも悪くもボランティア精神が基本姿勢になりがち。それに対してどれだけの対価が得られるかということを度外視して、なんかわたし、気が付いたらめちゃくちゃ全力をつくしてない? とか、なんか、だれにもその方向性での努力を要求されてないのに、「勝手に責任を負ってません?」ということが多い。

視野狭窄になりすぎないようにしたい。「ここまではできる」「ここからはできない」の線引きをきめる。線引きを決めても、一度決めたことを「本当にそれでよかったのだろうか」と迷うことがあったり、あれは一時の気の迷いだったのでは、と思ったりすることもあるだろう。しかし、迷うのが通常運転。

感想
線引、本当に難しい。特に、俺みたいな完璧主義な性格だと、どこまでも終わりがない。趣味でもなんでも満足行くまでやり続けるから、ふと顔を上げると、「え?こんなに時間経ってた?!」なんてこともザラにある。これと同じことを仕事でやっちゃ絶対にダメだ。2割共有とかよく巷のビジネス書では言われていると思うけれど、その通り。自分の独断と偏見で進めて、自信満々で、自己満足感たっぷりで成果物を出してみても、「はい、やり直し」ってことが起こるんだと思う。気をつけよう。

決めつけは良くない!

「英語よりもむしろ日本語の方が得意」という外国人の割合は、私たちが想像するよりも高そう。特に〔居住者/在留外国人〕。7割が「簡単な日本語なら分かる」とアンケートに答えている。そもそも、英語を母語としている人の割合はかなり小さい。

感想
ブルガリア出身で、母語はブルガリア語だが、日本語も英語も流暢な友人がいる。彼は、N1(日本語能力試験1級)を持っていて、そこら辺のアホ高校生よりもずっと日本語をよくわかっている。それなのに、彼の「西洋っぽい見た目」だけでジャッジして、英語で話しかける店員さんは残念ながら多い。彼からすると、「なんで自分は日本語が十分すぎるくらい話せるのに、母語でもない英語で話しかけられているんだ?意味がわからない」、そんな感覚じゃないだろうか。英語を使うことは、押し付けがましい親切になってしまうこともあることを、もっと多くの人が頭の片隅に置けている社会がいいな。

みんなで分業して生きている

世の中の仕組みは、こうした能力主義や個人的価値観のバランスで調和している。

社会は仕事を分業することで、様々なプロフェッショナルが。物を作る人、物を売る人、物を運ぶ人、などなど。何故、分業するに至ったかは、人間には得手、不得手があり好き嫌いがあるから。

感想
街の自転車屋さん、家電屋さん、八百屋さん、カフェの店員さん、アパレル店員さん、みんなプロフェッショナル。全部全部自分で調べて買い物をしようとか、なにか問題を解決しようとするよりも、専門の人に頼ってありがとうの気持ちでお金を気持ちよく払った方がきっと良いよね。これをめっちゃ思う。

どう在りたいのか?

“べらぼうに金持ちになって、高級リゾートホテルでくつろぐのも、一回くらいはやってみたいかも知れない。けど、常にこの世界で生きている人類の仲間たちの生活が良くなるようにって祈りながら、それに影響力を発揮できるような人間になりたいって思った。”

感想
自分の記事に自分で感想を言うのもあれだけど、この東南アジア旅を通して、自分がどう在りたいのか?が明確になった。なにをもって有意義と感じるのか。なにをもって価値あると感じるのか。人によって違って、みんな正解だけど、自分の中での正解が明確になった。いい気分だ。これからこれを軸にして、社会に出て楽しみながら頑張っていく。そしたら、同じような志の仲間に出会えて、気付けば、影響力を発揮できるようになっているのかも知れない。がんばろ。

自分を出していこう

我慢しない、自己犠牲はやめる。

主役になれない。裏方としてご縁を繋ぎ、「人が在るべき場所で輝くことを嬉しく思う人」。自分のことを、そう思っていた。裏方で結果が出て表彰された。嬉しくて、ますます裏方道に突き進んだ。

会社員時代の癖に埋もれている。驕らず自慢せず、密かに活躍するのがかっこいい、そう思っていた。

人と自分を比較したときに、見せ方上手、できないなら、やらない。これが、遠慮がちな人生の始まりだったかもしれない。がんばっていれば、誰かが見ていてくれる。そうも思っていた。誰がやっているのか、自分をアピールしないのに、見てもらえるはずがない。

もうやめた。誰に何に遠慮してきたのだろう。
フリーランス、強く生きていけ。

感想
この自分を鼓舞する感じの文章、好き。強気でいかないとなと思った。自分のことを自分で過小評価したら、自分がかわいそう。俺は発信してみてもらうのが好き。なぜなら、発信内容で周りが動いたり、こちらに寄って来てくれたり、逆に離れていってくれたりもする。効果があるから発信する。これからも自信もってこ。

フィードバックとはなにか

生徒はフィードバックされることを、何か評価されるのではないかとすごく嫌がります。しかも、さらにはフィードバックする側も何かを評価しないといけないという考えになるため、お互いにフィードバックをし合いたくない「嫌な時間」になっていました。

日本では、フィードバックは「相手が取り組んだこと(アイデア構想、プレゼンなど)を聞いた側がどこが良くて、改善すべきか判断して、思ったことを伝える」という解釈があると思っています。

判断することが目的のように思える。フィードバックする側は、「自分のダメなところを指摘されるんじゃないか」という不安感も。フィードバックする側も「フィードバックして、自分が何か思われるのも嫌だな」と。お互いにとって心地がいい時間になりづらい

ものごとを前進させるための時間です。だから、フィードバックは、親切で、具体的で、助けになる批評をしましょう。

最後まで真剣に目を見て聞いてくれて、笑顔で拍手をくれました。フィードバックのときには最初に「あなたのアイデア好きだよ。」と言ってくれたことが言葉に表せないくらい嬉しかったです。

感想
ものごとを前進させるための手段がフィードバック。痛いところを突かれるだけな訳じゃない。良いと思ったところは素直に伝えて喜んでもらって、もっと良くなると思ったところは、親切に、具体的に、助けになるように伝える。相手のことを思いやって愛を持ってコミュニケーションしてたら、変な不安感は生じない。どうせやるなら「素敵な時間」にしたい。何をやるにしてもこの心持ちを大事にしたい。

多角的に見る意味

戦争から78年。団塊の世代以下のほぼ全ての日本人は一度も戦争によってその生命や財産を奪われることなく過ごすことができています。

「国を守りたい」という立派なA君の志が、議論の余地も無く教育現場において封殺される必要はあったのでしょうか。

「軍隊が無いこと=平和」のようなミスリードを大人が誘導してA君の夢が否定されたことが残念でなりません。

私達日本人は80年弱、沖縄にいる最強の人達と自衛隊によって平和に暮らすことができている。その負担の多くを沖縄の人に押し付けることによって

感想
まず、生命や財産を奪われることなく過ごせてきているというありがたい当たり前をもう少し自覚したいと思った。祖父はたまに言う「言うたら悪いけど、ほんまの苦労を知らん世代や」っていうのが頭の中で蘇ってきた。ひもじい思いをしたことがない自分は、本当に豊かな時代に生まれている。それなりに大変なことだってあるけれど、質が全然違うよな。と。

そして、自分はなるべく多くの視点を理解するように努めるタイプだからこそ、画一的な答えとかは大嫌いだ。だから、こういう「〇〇=〇〇」みたいな図式は好きじゃない。戦争においても、軍隊を無くせというのは簡単だけれど、それありきの仕組みが出来上がってしまっているし、それにはそれなりの理由もあるはずだ。

軍需産業(朝鮮特需)のおかげで日本は発展できた側面もあるし、携帯電話のテクノロジーだって、元々は軍用の技術だったはずだ。ちょっと調べてみたけれど、陸軍で「重たくかさばる送受信機を背負い、プッシュ・ツー・トークで半双方向のコミュニケーションを実現する携帯型のウォーキートーキー」を使っていたことを考えると、技術の進歩はすごいものだ。

1つの側面からなにかを見て、頭ごなしに否定したり、意見を押し付けたりは絶対に俺はしない。

さいごに

感想を書くと、またその読んだときに感じたことを思い出せて、そうだそうだって思える。その感覚が結構好き。そして、なにより前回からこのシリーズを結構な数の人がいいねして読んでくれているのが嬉しくて、こうして続けて投稿してみている。

僕の気に入った記事と感想を読んで、感じたこと、気付いたことはありましたか?もしよければコメントで教えて下さいね😊

最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

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僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。