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社会人(大人)になるにつれて、テキストでのやり取りをしなくなる現象が、個人的には悲しい。書いていたら「感情と向き合う大切さ」に気付いた。

今回の字数:約3500文字


他愛のない会話

2018年に大学に入学したとき、あのときは友達みんなとLINEでよくしょーもない話をしていた。予定を決めるためでもなんでもなく、ただ、お喋りをよくしていたと思う。お互いが見ているYouTubeについてでも、共通の趣味のことについてでも、学校のことについてでも。他愛のない会話が多かった。

振り返ってみると、中高生のときも、LINEで友達とたくさん話していた。特に高校生の頃なんか、LINEの通知がすごかった。複数のトピックを並列しながら、何人もの友達とLINEをしていた。通知は50を超えるときもザラにあった気がする。

毎朝、電車に揺られながら、同じ高校に通う友達、地元の友達、当時英語の勉強に利用していたHellotalkというアプリで海外の友達…すごくたくさんの人とメッセージをしていた。

友達みんなに返信をする時間が結構好きだった。音楽を聞きながら、そんなに集中しなくてもいいから、気楽に、無心で文字を打っていた。今流行りの言い方をするのであれば、非常にマインドフルだったと思う。

暇な時間が減る

でも、このテキストでのやり取り、最近ではすっかり減ってしまったように思う。2022年に、同い年の仲間たちがみんな卒業して、社会人になった。そうすると、みんなには今までと同じように大量の暇な時間はもうない。

学生の間は、つまらない講義中、バイトまでの移動時間、バイトでのお客さんがいなくて暇な時間、帰り道、ベッドで寝る前などなど、たくさんの返信に使える時間があったんだと思う。

だけど、社会人になると、そういうゆとりは少なくなるのだろう。まだ社会人になっていないからわからないけれど、インターンをやっている途中で暇だから友達とのLINEに返信をする、なんてことはしていなかった。だから、まあ同じ感じなんだろうなぁと容易に想像がつく。

まあ、そんな訳で、特にもうフルタイムで働いている友達とは特に、長文でのメッセージのやり取りをしなくなってしまった。まあ、言ってしまえば喋った方が早いから、みんなテキストをしたがらなくなったんだと思う。実際、電車の中で本を読んだりしていたとしたら、家に帰ってからの貴重なフリータイムをLINEやDMの返信には全部使いたくないのは自然だと思う。

ただ、僕は悲しい。テキストでのやり取りが結構好きだから。文通のやり取りをしているみたいで、テキストが好きだ。会話だと流れてしまうようなトピックについてでも、満足行くまでしゃべり倒すことが出来る。1人の人間についてよりよく知るためには、もってこいの手段だと思っている。

テキストで会話を並行するかしないか

前に「テキストで会話を並行するかしないか」という話を中学時代からの親友と、札幌の月見湯(高温サウナ+180°リクライニングのチェアが屋外に6脚くらいある最高過ぎる銭湯)でしていた。

そこで、Instagramのアンケートで「トピックを並行して話すか?」について聞いてみた。すると【①2つくらいなら出来る②2つ以上になると、多すぎて手に負えないから削る、③常に1つに絞る】という回答の中で、①②の意見がかなり多かった。だが、③の人もわずかながらいた。

因みに僕は5トピック並列とかでも割と楽しくテキストでのやり取りが出来てしまうくらいの、世間的には「かなりマメな人間」だ。笠井康弘の友達だからマメなタイプが多くて、このアンケート結果になった説はある。にしても、やっぱりその友人も5トピックなんて考えられないと言っていた。文字を打つこと、友達とテキストで会話することはそんなに楽しくないらしい(直接会話することと比べて)。

うーん、どうやら、自分は異常にテキストで友達と会話することが好きな人種らしい。全然字をたくさん打つことは苦にならない。まあ、あまりにも話題が膨らみすぎると、パソコンでサクッと打てる時にまとめて返したいなとかは思うけれど。これも個性だなぁ。

戻れる場所「テキストでのやり取り」

まあ何が言いたいかというと、昔ほど、自分の「テキストでのやり取りという趣味」に付き合ってくれる(付き合うほど暇がある)友達が少なくなってしまった現実が受け入れられなくて悲しいということだ。

ただ、四六時中テキストをしていたいと言っているのではない。なにか自分でやらないといけない作業なり、運動なり、携帯を全然みない時間を過ごしているあとに、そういう「友達との継続的なテキストでのやり取り」にまた戻れるのは素敵なことだと思う。

なんて言えば良いのかわからないけれど、友達がそこにいてくれる感覚が素敵だ。よく、彼氏彼女とはテキストで頻繁に連絡を取る。携帯を確認したら、メッセージが来ている。それがなんだか安心感に繋がる。彼氏彼女と友達が全く一緒じゃないにしても、「また戻れるやり取り」があることの安心感とか、幸せってそんな感じだと思う。

ずっと続く連絡のありがたみ

ふと思ったのは、仕事をしていると、内容はともかく、こういう【戻れる場所としての「テキストでのやり取り」】は毎日あるよなぁと。アルバイトではそんなに無いかもしれないけれど、ゼミとかでも、絶対に直近の予定のことについてなど、常になにかについてメンバー同士で会話をしている。

それってよく考えてみると、幸せなことだと思う。その手のメッセージのやり取りは、一般的には「めんどくさい連絡」として捉えられる。ささっと決めるべきことが決まらないときのテキストの往復には、本当に嫌気が差す。でも、属するコミュニティにみんながいるということを毎日再確認できる素敵な瞬間でもある。メンバー同士でのやり取りが出来るって幸せなことなのかもしれない。

コミュニティって大事よね

なんでこんなことを言っているのかというと、今の自分は学校にもインターンにも会社にも属していないからだ。属しているコミュニティがない。寝ても覚めても自分一人だ。もちろん友達はいるんだけど、みんなには「会社(組織)」という、属する先がある。

自分が待ち望んだ「学校に縛られない自由な期間」だったけれど、学校があるからこそ、パソコンを開けば教授からの連絡、クラスの仲間からの連絡が来ていた。それって、社会的な生き物である人間の根源的なニーズを満たす、幸せの一要素だったのかも知れない。「自分が属する組織の一部である」という感覚は、今まで当たり前だと思っていたんだけど、これがなくなると結構な喪失感がある。

👆留学や休学を経ている自分は、ちょっとレールから外れている。だからこそ、たくさんいい経験を出来ているんだけど、先程触れた喪失感もある。これがトレードオフってやつなのかも知れない。

さいごに

ここまで書いていると、気づいた。自分って今結構、孤独感とか寂しさと戦っているよなぁって。仲良い友達にはしょっちゅう言っているけれど、みんなが社会で活躍し始めているのに自分はまだプー太郎って感じで、フラフラ気楽に生活しているのって、ある意味屈辱的

別に、人生好きなようにやればいいし、それで周りに迷惑がかからない限りなんでもアリだとは思っているけど、やっぱり比較しちゃうよね。不安にならなくてもいいのもわかっているし、別に自分に自信がない訳でもない。でも、なんだかソワソワしてしまう。ただ、みんなと違うから。

でも、これも自分の選択。文句は言っていないんだけど、こういう感情とある意味戦ってるよって話。別に飼い慣らしちゃえばいい話ではあるんだけど、ふとした瞬間に、「みんなは働いているのに自分は一体何をしてるんだろう」みたいな思考が頭を過る。その度に「いや、別にそんな事考えなくて良いんだぞ自分、毎日に満足してたらそれでいいでしょ」って言い聞かせる。

わかってるけど、この感情からは逃げられない。だから、こんな風に文章にするという手段の助けを借りながら、真正面から向き合おうとしてる。逃げるんじゃなくて、受け入れる!(川代さんのこの発想に感謝)

不安から「逃げる」ことに時間とエネルギーを使わずに、「直視」すると、不安はその瞬間から「エネルギー」に変わります。それを解消したい、という思いが生まれるんです。それって、めちゃくちゃ燃費がいい。

川代紗生さん

最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

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