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社会人目前の24歳が、キャリアについてのnoteをたくさん読んで気に入った部分を切り抜いて思うことを書いてみた。

2023/08/11

朝読んでいたnoteのまとめです。いつものごとく読んで好きだった内容を抜粋(時々自分で短縮したり言い換えたりしてしまっていますが)しています。収集癖というか、なんでもストックしていくのが大好きな僕的には、せっかく読んだ内容だから、忘れたくないし、なんなら他の人にも読んでもらえる形で残したいなぁと思ってこんなことをしています。

仕組み、最強

大企業には型(テンプレート)がいくつも転がっており、できるだけ早いうちに、その組織の枠組みを掴んで「仕組化」を実感しよう。一生一つの企業で勤め上げることもない。売上数1000億、数兆円を立ててきた企業の「テンプレート」は、形を変えて、必ず生かせる。

仕組みさえ完成させてしまえば、回すのは楽ちんだ。楽ではないかも知れないけれど、1番大変で大事なのが仕組みだと最近はよく感じる。人間、既存のルールやシステムがないと困り果ててしまうものだと思う。そういった線路引いてくれている人たちに感謝しないと。

新卒研修:ビジネス基礎→マインドセット→製品知識→ 各部署の業務アシスト→配属面談。研修期間、長すぎじゃない?通常、企業の新卒研修は、短ければ1か月、オンボーディング含めて3か月~半年。でも超大手ITベンダーのW社では配属前に1年間研修という、長期の育成計画。それだけの期間を研修に回して、成果をしっかりと計測できているのだろうか?

教育も仕組みの一部だと思う。ちゃんと一定基準の知識量とかを教育で満たしてからしか働かせない。序列を乱す社員を作らないイメージ。だから大企業としてちゃんと回るんだと思う。

頼りたくなる人は成熟度が高い

成果ベースで優秀だと思う同期もいましたが、端的に「Maturity(成熟度)が低い」ため、退職した今でも、業務に関連する質問などを、彼らにしようとは思いません。

友達付き合いとかについても最近よく考えるけれど、困った時に頼りたいのは人としての成熟度が高い人。これをもう1段階言語化するのは難しいけれど、強いて言うなら経験値の高さ。色々な場面での困りごとに人生を通してぶつかっていて、それをどう切り抜けるかについて頭をたくさん悩ませてきた人。そういう人が、自分の中での信頼できるし仲良くしたいと思える友達の基準の一つかも知れない。

自分の心身をよく理解しよう

ストレス耐性は、人材配置の観点で欠けてはならない。販売商品に自信、顧客売上への貢献できるという確信もあった。しかし、本来目指している職種でないことと、ずっと同じ部屋で同じ業務の繰り返しをしていることに嫌気がさして、2週間過ぎないくらいで、半分鬱に。始業1時間前に必ず出社してきたルーティンをも壊れ、ぎりぎりの時間に出社するように。危なかった。「もし営業に配属されたら、まずいな」と感じ始めていた。能力と適性というものは、必ずしも一致しないことを肌身で感じ、自分が負えるリスクの範囲を大幅に超えていることにも、気づき始めた。

ここを過ぎたらまずい、という兆しが鬱の経験を通してすごくわかるようになった。心の声を無視するとガタがくることを忘れないようにしたい。そして、やらなきゃいけないのに本当に身体が動かないときは心からのストッパーがかかっているのかも知れない。甘えにもなりかねないけど、そう考えるのはとても大切だと思う。出来ることだとしても、向いているとは限らない。

大手ITベンダーに入社。インサイドセールス等の研修を経て、買収製品のテクニカルサポートとして活動。KPIを6ヶ月連続達成するも、テクニカルスキルを深く掘ることに興味が持てなかったことと、”本来の目的” から遠ざかっていたことに気づき、転職活動開始。

本来の目的ってなんだっけ?というところに立ち返ることの大切さを今一度確認したいと思った。別に仕事は人生ではなく、手段でしか無くて、それを通して生計を立てる他に何をしたかったんだっけ?という考え方を忘れないようにしたい。

私は地方出身者で、公務員=最上位の職というキャリア観を持った人たちを、これまでに多く見てきました。安定や、”特有の” やりがいを否定する気はありませんが、「ほかに仕事がないから」という消去法的な選択をしていることが残念でありませんでした。

対人関係に問題を抱えていても、経済的社会的理由から、公務員から抜け出せない友人との再会。自分自身を精神的に追い込んでしまう前に、回避策を提案したかった後悔の想い。今を生きてこれからを創る優秀な若者が、旧態依然とした企業体制や成熟度の低い人間に潰されるのは、もう見たくない。

自分と違った価値観を持っている人を見るたびに、リスペクトはもちろんしているけれど、どこか自分の価値観の方が良いんじゃないか?とか思ってしまう。自分と全然違ったタイプの人とももっと会話して、その人達の考え方を深く知りたいし、その中から良い部分を真似させてもらいたいと感じる。

そして、最後の文章は共感でしかない。「自分と同じ苦労をしろ」みたいな、頭が硬いオトナは個人的には大嫌いだ。でも、最近気づいたことがある。自分が頑張っている時に、周りに楽をしているように見える人がいると、割とイライラしてしまう。「自分はこんなにやっているのになんで?」と思ってしまう。イライラするということは、自分の中で大事な価値観だということだと思う。自分は平等性・公平性に重きを置くタイプだなぁと感じる。

消費するだけじゃヤダ

大学入試ではあれだけ努力をして「知の投資」をしていたのに、進学してからは、「財と時間の消費」を繰り返す毎日で、何か有意義なことをしなければいけないような気がして、焦りというよりは、罪悪感のような気持ち

フェイクは通用しない

インターン生の採用を行ってきた。上辺の理由は、質問を繰り返していくうちに、嘘だとばれる。採用面接の基本の「キ」レベルの質問方法で、ばれてしまう。学生の嘘は通用しないと心得ていたほうが得策。

就活の時に、自分の本当に思っていることしか言わなかった。だって、あとからフェイクな就活用の自分が崩れていくと、どうしようもないから。自分、間違っていない!笑

本当に「優秀」?比較も自己嫌悪も不要

彼は当時27歳で、有名大学を卒業後、大手金融機関の内定を蹴って、学生時代に立ち上げていた事業を続ける選択をし、年商は1人で1億程度。この裏付けが常に "非常に優秀な人" というイメージを私に与えていました。さらに、同じ20代だったことが、よりこの印象を強めた。

仕事を進めるにつれて、数年後に同じだけの実力をもっている自分の姿がイメージできず、毎回落ちる結論は「 "非常に優秀な人" だから、凡人の自分では追いつけないだろう」というものだった。

でも、「すごいやつかもしれない」と思うときは、未知の領域だから計り知れないからというパターンがある。換言すれば、英語が流暢に話せる人や、ニッチな分野の専門家に対して抱く感覚と同じ。努力すればそうなれるし、その人が特別優秀だという証ではない。

人と自分を比較して、この人優秀だなぁとか思うことがここ最近増えた。だが、今一度、冷静に考えるクセを付けたい。その人が「優秀」に見えるようになるまでに、どれだけの時間と労力がかかったを見るようにしたい。素質も要素としてはあるとしても、ほとんどの場合は、全振りして頑張った時期を経ているから、そのことが出来るようになっているだけだと思う。あんまりこの発想が強くなりすぎると危険だけど、そんなに「優秀な周り」と自分を比べて自己嫌悪しても良いことはないから、この発想は大事にしたい。

言葉の重みと信頼

端的に、人が傷つくような表現は避ける、という社会人として常識的な部分。尊敬している人間とそうでない人間との間で、ハラスメントの威力ってこうも違うんだなという実感。

誰に言われるかで言葉の伝わり方って本当に違うから、やっぱり人望とか信頼とかって大事だなぁと思う。傷をつける意味ではなくて、威力のある言葉が出せる人間になりたい。重みすら感じさせるような言葉を使える信頼される人間になりたい。

ビジネス書を読みながら当時思っていたことは、「目先の仕事ばかりしていると、こうした大局的なものの見方が出来なくならないか?今働いている社会人の頭には、こういった法則や概念が叩き込まれているのだろうか?」

反面教師の逆になりたい!

どうやら、社会人の多くは上昇志向を持ち合わせておらず、現状維持をモットーに生活しているらしいという認識を持った。「そういう人達になったら終わり」と思っていた。昨今話題に上っていた、大手金融機関や家電メーカーの大幅人員削減の対象、と頭の中で勝手に結び付けていた。

「こうはなりたくない」をモチベーションの源泉としても良くて、逆にそれを「こうなりたい」に置き換えてしまえば良いのかも。前者だと、消去法っぽくて、常に「反面教師」を見下す形になってしまいそう。物事の二面性は大事。

根本解決が常に正義じゃない

最初にやるべきなのは「問題の解消」ではなく、これまでと同様のアクションがとれる「回避策の提示」。そもそも、根本解決というのは時間がかかることが多い一方、かけた挙句、顧客にとってあまり有意義なものでないことも多かった。

問題の根本解決に執着しすぎるのも危険かも知れない。自分は性格上、根本解決がしたくなる。根こそぎ悪いものは取り除いて、改善したくなる。でも、骨が折れるような努力が必要になる場合が多い気がする。長期的にだんだん仕組みが良くなる方向性で物事を進めながら、目の前の事を上手く処理していく、みたいな事ができるようになりたい。自分の一度気になると放っておけない性格は、諸刃の剣だな。

断定と信頼

「当社側で○○設定を、お客様の許可なく変更することは、一切ございません。」といったような形で、完全否定することで、逆に安心感を持ってもらえることもありました。

言い切れる自信。顧客対応とか以外のシチュエーションでも信頼を得るためにはとっても大事だよね。

適材適所

無理矢理自分を同じ部署内で囲い込んだのは、企業目線では大きな損失だった。異動を阻止しなければ、私は新たな環境で、目標達成に向けて必死に努力したはず。何より、一連の流れを見ていた他の社員の心象が一気に悪化していた。その後、色々あって当時のマネージャーは降格となったらしい。

適切な環境で、輝けるのが1番。無意識レベルでも、心のなかでの食い違いがあると、人間は持ち合わせている馬力をフルで発揮できないのではないか?と思う。どうせ同じことをやるなら、重宝されて感謝される環境で!

なんで東京?

“首都圏近郊に在住の人間が、その環境に求めているものは「職」「人」「遊び場」「育児環境」のように捉えています”

まさに俺が東京に行くのもこの理由。今の歳だからこそ、面白い人が集まってくるであろう首都圏で過ごしたい。なんか面白そうだな、こんなことやってる人いないかな?と思った時に、日本国内だと1番すぐに誰とでも会える(はず)。楽しみだ。ただ、人が多くて賑やか過ぎるのは得意じゃないからそこはちょっとだけ心配。仕事を頑張って、なるべく早く東京ではもう得るものを得たから次へ!と言いたい笑

最後に

約45分間無心で気に入った部分をコピペしてはカタカタしていた。またまた気付けば、4500文字も書いていてびっくりだ。だが、書くことってやっぱり面白くて、毎回予想外の気付きがある。昔と違って今は強迫観念に近いものもあって、少し悩むこともあるけれど、書くことは楽しい。手が疲れなければいいのに。音声入力とかもやってはみたけれど、結局誤字に繋がるから時間がめちゃくちゃかかってあんまり好きじゃない。まずい、最後の最後で書きすぎる。お楽しみは次にとっておきたい。

最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。