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大学生のレポート:日本人と英語

2019年1月19日 土曜日 22:36
4100文字

目次
・はじめに
・英語力の実情
・英語教育の比較
・英語教育の質的な問題
・英語教育に対しての意見: 前倒し
・英語早期教育への反対意見
・日本で英語は必要ない?
・終わりに

※パソコン画面でnoteを見た時に、サムネイルと一緒に、少し文章が目に入ります。その時に目次が目に入ると、このnoteに興味があるのかどうなのかをよりサッと判断してもらえるかな?という思いから、ここにあえて目次を挿入しています。

今回もこのシリーズです、それでは早速内容に入ります!


はじめに

「グローバル化の進展の中で、国際共通語である英語力の向上は日本の将来にとって極めて重要である。アジアの中でトップクラスの英語力を目指すべき。」

これは文部科学省ウェブページからの引用である 。この引用にある通り、グローバル化の進む世の中での「英語」は言うまでもなく重要なコミュニケーションのための道具である。それにもかかわらず日本人の英語能力は低いことで有名だ。EF(読解力とリスニング力を測るオンラインの英語試験)の受験データによれば、日本人の英語能力は88か国中の49位で、英語能力は低いと分類されている 。

では、なぜ日本人は英語が話せないのだろうか。本レポートは、日本人の英語力の低さの理由とその現状を取り巻く問題を取り扱う。

英語力の実情

日本人が英語能力に関してどう思っているのかを、講談社による「純ジャパ(留学や海外生活の経験がなく、日本の学校で英語を学んだ人)」を対象とした「インバウンド2000万人時代のおもてなし英会話力調査」の結果を元にして分析していく 。

話す、聞く、読む、書く、の英語4技能別で、英語レベルを自己評価すると、4技能とも「小学生レベル」という回答が最も多く、その数は全体の4割にものぼった。特に「話す力」は「小学生レベル」と答えた人が最多(49.9%)となった 。

また、英語を使ってコミュニケーションをとりたいかという設問では約7割がコミュニケーションをしたいと答えている。

英語を話したい気持ちはあるものの、ほかのアジア圏を含めた国々に比べると英語能力が低く、話すことに自信がないというのが実情ではないだろうか。まずは日本人が英語を学ぶ大きなきっかけとなる学校教育に注目したい。

英語教育の比較

はじめにアジア諸国の外国語教育の状況を比較する 。ここでは中国、韓国、台湾を比較対象とする。

初等教育段階における英語教育の導入時期を比較すると日本の2011年という時期に比べてほかの三カ国は一番遅くても2001には導入が完了している。

英語教育の開始時期に関しても、日本以外は小学校三年生からであるにもかかわらず、日本は五年生から開始される。

各学校段階における授業時数に注目すると、小学校では日本以外の国が週二コマ以上に対して日本は週に一コマ、中学校には大きな違いは見られないが、高校では中国は週四回、台湾では週五回の授業があるが、日本は週に三回にとどまっている。

日本の英語教育への意気込みは他の国々に比べると不十分であることが伺い知れる。それでも、日本の中学校高校に通ったとすれば、合計で六年間英語を学ぶことなる。それでも英語力はイマイチなのだから、日本で行われている教育には質的な問題が少なからずあるはずだ。

英語教育の質的な問題

大きな問題点は、英語を話してコミュニケーションが出来るようにならなければ意味がないのに、日本の英語教育には話す練習をする機会が極端に少ないことだ。母語としての言語というものは、赤ちゃんのころに書く練習をせずとも自然に手に入ってしまうものである。言語を使いこなすことはスポーツの動きと似たものであり、繰り返しやってみないと上達はしないということだ。

だが、日本の英語教育は、話すことはさておいて、読み書きに重きを置きすぎている。その中でも顕著な例が、教科書に登場する使い道のない例文の数々だ。そして極めつけは練習問題としてよくあるパターンの、受動態の書き換え問題だ。英語を母語とする人からすればそのような英語は不自然過ぎて聞いていられないのではないだろうか。「使うことを想定していない」ことが大きな問題であろう 。

さらに問題なのは、学校英語や受験英語が鍛えているのは、和文英訳/英文和訳の能力、つまり和文英訳のプロセスでしかないという点だ 。実際に言語を使って会話しているときに和文英訳をしていては到底会話に追いつけない。「英語の脳」と「日本語の脳」の切り替えができるようになって初めて英語を習得したといえるのに、日本のほとんどは英語から日本語、日本語から英語への訳で点数がとれてしまう試験の結果に満足してしまっている。典型的な例はセンター試験で採用されているリスニングとライティングのみの形式だ 。言語を使える能力と、この二つの能力は必ずしもイコールにはならない。

英語教育に対しての意見:前倒し

このような実情を踏まえて多くの意見が飛び交っている。

その一つにもっと英語教育の開始時期を早めるべきだというものがある。2020年度から実施される次期学習指導要領の柱は英語教育の早期化だ。もうすでに「聞く」「話す」を中心とした「外国語活動」の開始学年が現在の小学5年生から3年生に前倒しされ、5年生から英語が教科になることが決まっている 。英語を学習し始める時期が早ければそれだけ母語を習得することと近い形で英語を体得できるのは事実だ。

「例外」と言いたくなる用法も少なからず含む、言語の複雑な仕組みを,子どもは教科書無しで指導もなく学んで、どの子も母語を習得することが出来ている 。生まれたばかりの子どもは(遺伝的民族性に関わらず)どんな言語の音声をも聞き分ける聴力を持つと言われているが、その子どもが母語を徐々に身につけるに連れて、母語以外の言語特有の音声の持つ、僅かな違いを聞き分ける力を失っていく

人間は音声にせよ、文法構造にせよ、母語の枠組みを通して言語というものを認識しており、母語の枠組みが新しい体系を学ぶのを邪魔する。日本語で言うと、アイウエオの音に当てはめて異言語の母音も聞き取ろうとしてしまうというわけだ。

日本の大学への進学を希望する海外の学生のような勤勉な人々が学習を続けたとしても、第二言語の到達地点は母語話者に及ばない。言語習得の速度については成人のほうが有利だが、到達度の高さについては子どもに軍配が上がる

よって、幼少期からの英語教育は特に発音をはじめとするスピーキング、リスニングに対しての効果が大きい。また、日本語に同じ概念のない冠詞や可算名詞、不可算名詞などは幼いうちから英語を使うことでより確かに使いこなせるようになる。

ある16歳からアメリカで生活を始めた男性は「12歳以前から英語圏で暮らし始めたかどうかで、発音の滑らかさも書いた文章のナチュララルさも、かなりはっきりした違いを感じます」と述べている 。

大人になってから勉強し始めて英語を習得する人も多数存在するが、勉強を始める年齢が上がれば上がるほど難易度も上がるといって間違いないだろう。

英語早期教育への反対意見

しかし、この早期の英語教育にも反対意見はある。日本語と英語を話すバイリンガルの子供の場合、母語の日本語のみを話す子供に比べると一つの言語あたりに割く時間が単純計算で半分になる。

すると、当然日本語だけを使う子に比べてバイリンガルの子は日本語において劣ってしまう。母語というものは最も論理的に物事について思考することのできる言語であるため、その子個人としての思考力と母語を操る力は密接に関係している。

つまり、英語を幼いうちから学び、バイリンガルとして育てられると、論理的思考力の発達が少し遅れてしまうということだ。だが、これは言語を繰り返し使い続けていくことで埋まっていくギャップであるため、手に負えない問題とはならないだろう。

日本で英語は必要ない?

教育の問題だけではなく、日本人の英語が出来ない理由は他にもあると考えた。それは、現に日本国内で英語を使わないでも何の不自由もなく生活できるからである。「海外諸国が迫ってきているというあせり」と「それに対応するために英語を習得する必要性」は一部の人たちの間だけでの危機感であり、多くの日本人には浸透していない 。日本で暮らしているぶんには、日本語が出来れば何の不自由もない。

では、就職してからも英語を本当に使わなくてもいいのだろうか。日本の外資系企業で営業職に就いている男性に、英語は会社内で必要かインタビューした 。結果は以下の通りである。

・社長や部長等の地位の人間には通訳がつくため日本語でもやり取り出来る
・支店に欧州の本社から偉い人が訪問してくる際には通訳のできる秘書を連れてくる
・立食パーティーで本社の人間と話す機会はあるものの英語を使ってそこまで深い内容を話すわけではないので日常会話程度の英語力で対応できる
・部長であれば事業の進捗状況を英語で説明できることが望ましい
・もし通訳がなしで英語のやり取りが出来たらいいなと感じることはある
・TOEICの基準に満たないベテランを格下げすることがある

やはり、英語なければ仕事が回らないということはないようだ。この現状では誰も日本語をさておいて、英語に重点を置こうとは考えない。必要な人だけ英語が使えるようになればいいじゃないか、という発想を多くの人が持つのにも納得できる。

さらに、大人の世代が英語をやれと子供たちに言ったところで、実際問題なくてもどうにかなる英語をなぜそんなに勉強しなければいけないのかと考えてしまうも当然のことだ。自分の母語では高度な教育を受けられない国の人々が英語を勉強するのとは日本人の英語学習は意味合いが全く異なるのだ。

終わりに

ここまでで、日本人の英語能力の低さには二つの理由があることがわかった。一つ目は学校教育、二つ目は日本での英語の必要性の低さだ。

学校での、頭の中での日本語から英語という流れを強制させる学習方法や多くの企業が採用の際に基準とするスピーキング能力を全く考慮しないTOEICに非常に大きな違和感を覚える。

学習の本来の目的は言語として英語を使えるようになること、そして企業が求めるものは実用的な英語力だ。

しかし、日本での学習方法を本来の目的から再考してみると、遠回りをしているようにしか思えない。世の中には制度を見直すべきだという声が蔓延しているのに、それが現実のものとなるのはまだまだ先になるのだろう。

英語というものは習得すると世界中の何百万の話者との意思疎通を可能にし、個人の人生において世界観を大きく広げてくれるものだ。だからこそ、一刻も早い英語学習に関する合理的な制度の導入を期待したい。


最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

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