プロジェクト管理と組織のリーダー(のつもり)としての役割の違いについて

マネージャーとリーダーは役割も異なるし、階層としてもマネージャーの下にリーダーがつくと言うのが一般的ではなかろうか。それは恵まれた方であり、プレイングマネージャー(両方を兼ねる)といったこともままあるだろう。特に大企業の幹部育成では、マネージャーはプレイングマネージャーになってはならぬ、良くないことであるといった風潮も聞く。

本記事のタイトルでは、管理の対象も複数あることを暗示している。それは組織とプロジェクトの管理は異なると言う側面だ。組織内のリーダークラスの人材は、一定のプロジェクトデリバリーがしっかりとでき、そうした中でメンバーを動かす(組織目線かプロジェクト目線か曖昧)ためにリーダーと仰せつかっているのが一般的ではないだろうか。

そのような環境下において、日々思っていることを残しておこうと思う(先に言っておくと、現状はソリューションが見出せていないので、解決策は明示されない)

プロジェクトと組織

プロジェクトの定義は、PMBOKのそれによれば「独自のプロダクト、サービス、所産を創造するために実施する、有期性のある業務」となっており、本稿においては特に「有期」であることが鍵になる。

マネージャー

文字通りリソースを管理するところと結果責任に重要性があるだろう。考えるべきポイントは、プロジェクトが立ち上がるまでの取り扱いではないだろうか。一度プロジェクトが立ち上がってしまえば、何かイベント(多くの場合はよくないこと)が起きない限り、当初計画されたリソースから多少の振れ幅の範囲内でのリソースコントロールになる。もっと言えば、委託する側で多くの場合は専任で1つのプロジェクトに当たることはほぼなく、結局組織のマネージャーのアンダーコントロール次第になることも多いだろう。どちらのマネージャーも機能しない状況で「丸投げ」が発生するのではないだろうか。

やや話が逸れてしまったが、肝心なのは「プロジェクトのマネージャーは、リソースの配分を、期限から逆算で考える」ことであり、「組織のマネージャーは(期中の人員配置変更はほぼないので)現有戦力で、組織目標としていることがいかに達成できるか」を考えている点である。

本来は、組織目標とプロジェクトの成否がうまく紐づいていれば、それらに齟齬は生じないはずなのだが、現実はそうではない場面に多く直面する。もう一つの特徴としては、その組織のマネージャーとプロジェクトマネージャーが「1:N」の関係になっていることもあるだろう。N人のプロジェクトマネージャー同士でリソース配分を調整することはほとんどなく、実態は組織のマネージャーに調整を頼むほかない。いずれにせよ、組織内で解決しようとした場合には、実際に追加人員が生まれることはほとんどないので、大きな動きが起こることはほとんどない。

リーダー

「リーダー」と言う役割は、組織に明示的に存在することはほぼないのではないだろうか。一方、プロジェクトの体制図の方では「リーダー」は示される。組織の方で言えば、ある程度その先のステップを想定される人材をリーダーとしてアサインするか、モチベーションアップなども考慮した建前の部分で組織内に階層性を持たせる場合に、「バーチャル(仮想)なリーダー」と言う形で組織内に周知されることが多いだろう。

例:例えば、営業チームのリーダーに任命されたとしても、それは組織内の組織図には現れるが、全社や組織外から見てリーダーであることが明示されることは非常に稀ではないだろうか

プロジェクトの方は、プロジェクト計画などのドキュメントにおいて「リーダー」であること、またその役割が明示されることが多い点においては、他者にリーダーであることは伝わりやすい。

では、組織の中での「リーダー」とは存在するのだろうか。組織のマネージャーを、組織のリーダーとして支えることはできないのだろうか。

「リーダー」だと自分を思っている人は上記に挙げたような考え方から、複数人いるだろう。組織のマネージャーから見るときに、”組織の”リーダーがいるかどうかはそのマネージャー(あるいはさらに上位のマネージャー)次第ではなかろうか。もし居れば、本人同士は「バーチャルな合意」のもとでそれぞれの役割を規定することになるだろう。

さらに妄想の翼を広げてみれば、おそらくその組織のオペレーション特性の高さにこうした合意の発生可能性は左右されるのではないかとも思う。なぜなら、複雑性・曖昧性が高くない限り、おそらく組織のマネージャーが、組織のリーダーも兼ねることがコントロール性が高く、かつそもそも誰かにリーダー的な側面を補佐・支援してもらう必要性も生じづらいと想定するためである。プレイングマネージャーの生まれやすさ、その要因については別の機会でまた考えてみたいと思う。

組織のマネージャー・リーダーの重要な役割(仮説)

組織のケイパビリティ

ダメな典型例は、予算管理や進捗管理、人員の管理だけになっている場合であろう。ケイパビリティと言う視点では、リソース(ヒト・モノ・カネ)以外にも目を配る必要がある。(なお、ケイパビリティと言う言葉を使うのは、やたらと意識や視座が高い人が揃っていないと敬遠されがちなので組織のどこでも使うのは禁物)

ケイパビリティの定義は抽象度が高く、当初はボストン・コンサルティング・グループのGeorge Stalk, Jr., Philip Evans, and Lawrence E. Shulmanの3名がホンダやキヤノンの例を事例を用いながら下記のように定義した。

ケイパビリティは「バリューチェーン全体に及ぶ組織能力である」と定義

Competing on Capabilities: The New Rules of Corporate Strategy (1992)
https://hbr.org/1992/03/competing-on-capabilities-the-new-rules-of-corporate-strategy

総合的な”能力”のことを指しており、リソースも当然そのソース(源)の1つであると言えるだろう。これを用いて戦略的な優位性を確立すると言うものなので、単なる管理というよりは戦略的な視座が必要になってくる(ゆえに意識が高く見えるのだろう)。

さらにダイナミックケイパビリティと、オーディナリーケイパビリティと言う考え方がある。後者は「企業が既に持つ経営資源を効率的に活かし、利益を最大化しようとする能力」のことであるが、実際には激しく変化する外部環境が存在するため、前者は「目まぐるしく変化する環境や情勢のなか、企業がいかに対応していけるか、その自己変革能力」を指している。

従い、組織のマネージャーやリーダーは、外部環境の変化を感知(Sensing)し、企業が保有する経営資源を状況に応じて再構成・再利用(Seizing)し、それを自己変革に繋げていく(Transforming)と言う役割が求められるのではないだろうか。

個人的には、「マネージャー」が組織の縦のラインに基づき、比較的内側の視点に立って物事を考えるのは必然だと思う。逆に、バーチャルな役割を有する「リーダー」には管理者目線の指揮を受けることはできない。そこで、ダイナミックケイパビリティに求められる3つのことにおいて、よくある日系大企業的な世界観では以下の役割分担になることが期待されるのではないかと思われる。

ダイナミックケイパビリティから見たマネージャーとリーダーの役割イメージ

もはや組織のリーダーに、プロジェクトの有期的なデリバリーが求められるプロジェクトリーダーとは全く異なるケイパビリティがリーダーにも求められることは明白ではないだろうか。

組織に所属する人材のキャリア支援(人材育成含む)

ケイパビリティの強化や自己変革は早々に結果を確認することはできない(稀にそういったこともあるのかもしれないが)ため、その組織のマネージャー・リーダーが揃っている1〜3年程度の期間で物事を考えるのでは不足だと思われる。

人材育成についても同様だ。将来的に強いケイパビリティの一部になってもらうか、あるいは変革を起こせる人材の育成が競争力の源泉になってくる。

プロジェクトを推進・完遂するスキルセットや経験は言うまでもなく重要であるが、ここまで取り扱ってきたケイパビリティ論の視点から言えば、「社内の仕事ができることだけが重要ではない」と言うことに気づく。

一方であくまで個人的な経験則で印象論だが、大企業に少しでも触れているだけで1〜2年目を終えた頃には大半の従業員がキャリアは自律的に歩むものではなく、指示・命令されるものと言うマインドセットが醸成される。学校教育と同じく、「波風を立てず、上司や先輩の言うことをよく聞く、何でも屋さん」のような人材が重宝され始め、評価されるからである。(異邦人の目線から見れば、その「評価」の結果得られる「報酬」の差は微々たるものであり、自律性を投げ打ってまで得るものではないと感じるが、外を見たり、強い刺激を受けたことがなければやむなしか)。さらに個人的な経験則を続けるが、こうした状況下だと「ロールモデル」がいないと言う若手社員も多くなるようだ。キャリアの多様性が不足していると言うことだろう(従来の価値観が悪いわけではなく、それも文化資産の1つで重要な側面も認める必要がある)

変革のリーダーシップを行動として一貫することは非常に負担が大きく辛い道であることは事実だが、自らの意志で、自律的に判断・決定を下すことができることの喜びがそこにはあると自分自身は考えているし、こうした人材がもっともっと増えていかないとこの戦いを成功に持っていくことはできない。組織だけでなく、個人のレイヤーにおいてもケイパビリティ育成が重要になってくるはずだ。

さて、ここまできてプロジェクトと組織のリーダーの役割において全く異なる役割と思われるが、組織の人員への影響の及ぼし方・キャリア支援・人材育成である。プロジェクトの中でOJTがないとは言わないが、人材育成はあくまで機会として利用する程度のものである。加えて、プロジェクトの性質から考えると、ケイパビリティと言うよりはスキル育成に近い範囲になることが一般的ではないだろうか。裏を返すと、リーダーに求められる人材育成のスコープが圧倒的に変わるのではないかと思う。

最後に〜組織のリーダー育成はどうするか〜

プロジェクトリーダーから組織のリーダーへの変化幅は大きい。これが本当にボトムアップで経験を積んでいけば実現できるのかといえば、おそらく過去の先輩方もかなりの自己研鑽や感と経験と度胸(KKD)で埋めてきた世界なのではないかと思う。

コンサルや社会人大学院でのマネジメント関連の学習を踏まえると、こうした議論は「経営学」の範疇の中で検討可能だと思う(経営学の理論に答えがあるといっているのではなく、論点や考え方は提示されている可能性があると言う意図で)。

抜擢人事は色々なところで行われていると思うが、それだけでは「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」を運に身を任せてやっているだけになる。これは果たしてマネジメントしていると言えるのだろうか。かといって、逆にMBAなどを取得すればこうした機会において十分かといえば、”頭でっかち”にもなりかねないと思う。いかにして、こうした環境下でバランスをとりながら進めていくかと言う話になってくるが、ティーチング的な世界観ではやはり難しいと思う。また、リーダーやマネージャーだけが頑張る世界でもなく、外部のメンターやコーチとも付き合う必要があると思う。

最後に自分個人に目を当ててみたいと思う。私は誰かに育成してもらえているのだろうか?間違いなくYesである。何かを具体的に教わっているか?間違いなくNoである。幸いなことに多くのメンターやコーチに該当する人が社内外におり、彼らから示唆されたことを自分なりの問題意識に常に照らし合わせて自らに取り込んでいる。自律的なキャリアや変革の道のりに対しての想いを「リサーチクエスチョン」にして、日々の仕事や対話で「検証」したり「データセット」を集め、それをもとに「考察」する日々。論文を書くと言う考え方を人生にメタフォリカルに応用することなのだなと思う。そして、この人生という論文を誰かが引用してもらえるような良い示唆が書かれたものに日々磨き上げるということである。

それを自分だけでなく、誰かもできるようになった時、組織のリーダー育成のことを改めて考えてみたいと思う。

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