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やりたいことが卒論以上に言語化できたのでどうしても読んでほしいはなし


〜テレビがあった頃の家族のコミュニケーションと失われたコミュニティ〜

お茶の間の体験を伝承したい。
同じ画面を囲む体験を伝承していきたい。

そんな昭和平成令和融合させたい人間丸出しなことを考えていて、これは家族や仲間のパートナーシップ形成につながる大切な文化だと思っているっていう話をたっぷりします笑
(書いていたらゆるすぎた卒論以上の長文になってしまったのですが、どうしても読んでくださいmm)。

では本編へ。お願いします!

良くも悪くもインターネットの影響で多くのコンテンツが生み出せる環境が整ったことにより、本来視聴者にとって受動的(強制的)かつ連続的に家族でテレビを無意識に観るというシーンが減った。僕はYouTubeでは何を見ていいかわからず、Googleにレコメンドされるものはなんかしっくりこない。

家族がひとつのテレビ画面を囲む体験ってどのようなものだったのか、ちょっと振り返ってみたい。

父親とプロ野球、母親とNHKの連続テレビ小説

僕がまだ小さかったころ、我が家では父が野球中継を見ながらテレビの前で名監督&名解説者っぷりを発揮していた。父の蘊蓄をきっかけに、選手の出身地に触れてみたいと言う感情と地図帳を眺める行動が生まれたし、野球の領域を超えた父の雑学をもとに家族内に豊富な会話が生まれた。父が大好きな巨人が勝つとみんなで歓喜したが、負けると直ちにテレビが消され、僕たち兄弟はそーっと机に向かい宿題を片付けるという、無言だが不思議な強制力が生まれていた。こんな父の影響で、巨人の成績と僕たち兄弟の学校の成績は反比例していたのかもしれない。

母は昼間『笑っていいとも』や『徹子の部屋』を観ながらタモリor徹子とゲストの掛け合いをまるで自分が参加者であるかのように話していた。タモリor徹子+ゲストという極めて大人な空間を僕に話してくれる母の話の行間には、どこか子供の僕にでも参加できそうな空間があり、まるで大人の会話に僕が参加できているような誇らしく感じられる時間だった。
朝は、慌ただしい中NHK連続テレビ小説をみるのが母の日課だった。そもそもコンテキストが理解できないとストーリー展開の把握が難しい連ドラ、それでも丁寧に僕に伝えようとしてくれる母の姿は、、「〇〇しなさい!」と言うばかりだと思っていた母の頭のなかが覗ける気がした貴重な機会だった。

野球も連ドラも、僕が見ていたのは番組じゃなく父と母だった。番組を通じて父と母の「大人」たる所以を垣間見れたことが嬉しかった。そして、その「大人な世界」に少しでも参加できることが僕は興味があった。母が僕たちへのお世話で朝の連ドラを見逃した時は、昼に再放送があることが免罪符になっていた。

幼稚園児の僕と松田聖子とレンタルビデオ

僕は、とにかく『ポンキッキ』と松田聖子が好きだった。『ポンキッキ』と幼稚園のお迎えバスは常に僕の朝の時間を奪い合っていた。、幼稚園児ながらにもギリギリまで『ポンキッキ』を観て、幼稚園バスの音がすると家を駆け出して行った記憶は面白いくらいに鮮明だ。きっと『ポンキッキ』をギリギリまで見たいという意欲が大人になった自分のスタートダッシュ力につながっているのかもしれない。

我が家では松田聖子が登場する『ザ・ベストテン』のある木曜日は夜ふかしが許された。でも、僕が22時まで起きているためにはお昼寝が必須だった。落ち着きのない僕が昼寝をする習慣を身につけ、親の寝かしつけの手間を省ける幼児になったのは松田聖子のおかげだったのかもしれないと今は思う。今は、『赤いスイートピー』をスナックで聴きながらうとうとしている。幼児期の仮眠スキルはお酒の場に継承されてしまったのかもしれない。

そういえば、家族4人全員で映画館に行った記憶がほとんどない。
でも、家族4人でレンタルビデオを借りて映画をみた記憶はたくさんある。
字幕の漢字が読めなくても、父が黙って辞書を渡してくれたので映画を見返しながら弟となんとか理解できるまで漕ぎ着けた覚えはある。センテンスが理解できないことを弟と問いを立てながら後で2人で見返したりしていた。

家族で映画館に行けなかったことにはもちろん経済的な理由もあったのだろうが、映画館では家族の会話ができないのが嫌だったのだろう振り返ってみると思う。それもあってか、僕もいまだにデートで映画にいくのはちょっと苦手。パートナーと話していたいし、リアクションとりたくなっちゃう。同期的なコミュニケーションがとれないことにソワソワしちゃう自分がいる。

僕の祖父たち、紅白とドラえもん

母方の祖父、大相撲の時間はテレビの前から動かない人だった。祖父は体調が悪かったが、気丈に真剣に大相撲を見る姿に迫力を感じていた。祖父母の声を聞きたくて、今でもソラで電話番号を言えるくらい電話をしていた。おもちゃや本を買うお小遣いが欲しかったって感情もあったかもしれないけど、大相撲の時間は電話を避けていた。きっとマーケティング効果が低いことに孫ながら気づいたのだろう。

父方の実家では親戚一同で紅白をみている隙にいとこたちとドラえもんを見るのが年末の風物詩だった。大人から解放され、歳の近いいとこたちとドラえもんごっこをしながら無邪気に暴れていた。それが途方もなく楽しかった。年末おふざけ総決算の悪評価が、親戚からのお年玉減額に繋がっていたのだと今は思う。正月に備え張り替えたばかりの綺麗な障子を破ることがお年玉額より子供たちには大事だった。ドラえもんが復元光線を出してくれたら話は違ったのに。

ドリフと規律、そして日本シリーズ

小学校に入学すると、『8時だよ全員集合』を家族で見る家庭と見せてもらえない家庭を知った。ドリフが社会問題化していることに衝撃を受けた。コンテンツの内容が教育に悪いとの風潮があった。我が家ではそんな話は聞いたことがないし、むしろ8時までに全てをやり終わらなければいけないので、規律正しく動くメリハリがある土曜日だった。ドリフによって規律が保たれていたし、家族一同が馬鹿笑いするいい体験だった。

あの頃は、プロ野球の日本シリーズが国民的大行事だった。でも、なぜか学校のあるデーゲームで行われていた。どうしても仲間と日本シリーズをみたく学校を抜け出したが家で見るのはバレてしまう。そこで、子供たちだけで歓楽街に繰り出し、営業準備中に仕込みそっちのけで日本シリーズに夢中になっている居酒屋を見つけ、見知らぬ大将と一緒に野球をみた。初めて会った人とでも同じ目的と時間を共有できる。この体験が、酒場コミュニケーションの原点になっている。

日本シリーズでさらにいうと、中学校の理科の先生が「今日は球体の反発する映像を見る授業です」とニンマリ笑って、巨人対西武の雌雄の決戦を見せてくれた。その決戦の結果や内容は覚えていないが、「こういう器の大きい大人になりたい」と思った記憶はいまだに鮮明。教員免許をとるきっかけにもなった。先生にとっては、球体の反発を見せて、生徒の反発を抑える反比例の実験だったのかもしれない。

僕の思春期とトレンディドラマ、社会人な僕とテレビ

そして時代はトレンディドラマ全盛期へ。思春期真っ盛りの僕の交換日記のネタはドラマの話だった。同じ制服を身を纏うという差別化しにくい思春期に、トレンディドラマを見ることがトレンドを纏い差別化が図れると信じていた。トレンディドラマの展開がクラス中の会話の中心であったし、それをみている友達が増えていった。ちょっと気になる女の子が見逃した回は高画質で新品のVHSに録画し、ビデオを貸した気になったその子に小さなgiveができる格好のチャンスだった。貸したビデオのお礼の小さいお手紙が返ってくることがとても好きだった。つまりドラマの内容や音楽よりも、その子の方が気になっていた。ドラマを通じて友達や気になる女の子と会話し続けたかった。小遣いのほとんどはVHSに費やしていた。

子供部屋にテレビが導入されたのはとてもいい原体験でよく覚えている。誰に気を遣うことなく一人でテレビをみることはもちろんであったが、それよりも、弟や両親にリビングとは別の番組を見せることで、家族という同じコミュニティのなかに小さなムーブメントを起こせたりすること、つまりチャンネル権とコンテンツの力を使い、家族というコミュニティに影響力を与えた成功体験だった。


高校受験や大学受験前には、親や塾からテレビ視聴時間やゲーム時間を抑えるよう圧が強まった。親友の家では彼の両親がテレビ自体を家から排除してしまう徹底ぶりであった。そんな彼にみんなでカンパしてポータブルテレビを買ったのは、チャンネル権を駆使する成功体験のお裾分けと、仲間であるからこその行動だった。

大学生になって一人暮らしを始めた。静かな家が寂しくて、テレビはつけっぱなしにして寝ていた。テレビをつけていると、テレビをコミュニティ一緒に囲んでいるような気がして安心してよく眠ることができた。一人でもコミュニティを感じ熟睡できた。

やがて就職し、初任給で旅行を、初ボーナスで実家に大きなテレビを買った。
実家でテレビを見るたびに、少しでも親孝行ができた気もした。
コミュニティへの貢献がコンテンツを観る道具=テレビであった。

僕は車を買った。カーステレオではドラマのサントラやCMソングのオムニバスCDをよく流していた。一緒に乗りながらあのドラマ見た?あのCM懐かしいよねって話しながら、ドライブするのが好きだった。同乗者とそのころのコミュニティについて話すのが好きなのかもしれない。

ワンセグで視聴しながら箱根駅伝の沿道に立ち、テレビに映る自分達を同時に確認できるようになった。ガラケーで一人で見ることよりも、仲間と正月からテレビに映る体験を追求できるのが僕たちなりの初詣だった。母校の順位なんてどうでもよかった。卒論がゆるかったのと、在学時に箱根駅伝連覇したのはコミュニティが盛り上がって楽しかったけど。

自分で世帯を構え私的法律的コミュニティを形成した。パートナーと一緒にテレビを買いにいった。ハードディスクに定期録画する番組でお互いの価値観を知ったし、二人の価値観をつくっていたのだと思う。子供の頃のチャンネル権を握った事による成功体験をもしかしたら少しは活かせたのかもしれない。

失われた家族のコミュニティ感と個別最適の弊害

僕はとにかく、この画面を囲む体験が好きだ。

時間的にも物理的にも制約され、受動的にコンテンツを消費することをきっかけに、大切な人とコミュニケーションしたい。そういうコミュニティ体験をどうしても次の世界に伝承させていきたいし、広げていきたい。

家族のことを思い出す時、その中心にテレビがあった。
仲間とのコミュニケーションにテレビを通じた共通体験があった。
それがコミュニケーションを超えて、きちんとコミュニティになってた。

今はテレビをみる習慣が減り、家にテレビがない家庭が異常だという意識が消え、家にwifiが飛んでない家庭の方が異常とされるくらいインターネット中心な世の中になった。

コンテンツの消費も、スマホに閉ざした、家族でさえ個別最適化されバラバラな状態になってしまった。面白いタイトルも、大切な人と同時に見るタイミングが減った。パートナーがハマっているタイトルを後から見ることは容易になったが、話題の鮮度が違う。何か同期性が低い。動画視聴サブスクのアカウントを共有することをカップルが所在確認に使ったり、なんか味気なくなっているそうだ。違う囲い込みになっている。画面を囲んでない。人は囲い込むものではないし囲い込まれるものでもなくありたい。
一方で、動画サブスクの台頭により、よりコンテンツのデマンド化が進み、面白いタイトル、コンテンツが量産化され、より多様化、個別最適化されるようになった。僕が好きな城跡コンテンツはマニアックになりすぎて話をする人との間に垣根ができてしまう。本来コンテンツを通じてのコミュニケーションはボーダレスだった。インターネットなのにボーダーができたのはとっても皮肉である。
でも、城跡ハラスメントに付き合ってくれていつもみんなありがとう。

コミュニケーションの延長にあるコミュニティこそがたいせつ

コミュニケーションは生まれ続けるが、コミュニティになりにくくなった。

最近『silent』という地上波ドラマにハマっている。もちろん昭和を知らない世代にも流行っているらしい。僕は毎週木曜日の前後のtwitterなどのみんなの反応が好き。『silent』というコンテンツが産んだコミュニティに仲間に入れてもらえている感がある。

『silent』の中には、音楽が共有できなくなった旧知のコミュニティ仲間が違う形でコミュニケーションしていく、コミュニティが再結成されていく話が描かれている。音楽や声が好きだったけど、実は音楽や声ではなく、その人そのものが、仲間たちが、そしてそのコミュニティそのものが好きだという話である。

音楽で誰かを思い出す。テレビや映画のタイトルで人やあの頃を思い出す体験はきっと誰にでもあるだろう。

僕は、相撲をテレビで見ると亡き祖父を思い出す。

珍しくなったプロ野球中継があると、試合中に田舎の親父からLINEが来る。亡き母は、父と野球を見るのが好きだった。家族4人で球場にいく体験を父の定年退職時にプレゼントした。もちろん試合内容は覚えてないけど、あの記憶は僕の宝物。

つまり、野球をみると実家の家族というコミュニティを思い出す。

でも、活発な甥っ子や友達の子供を大人しくさせるためについYouTube見せてしまう。その間に会社のチャットで別のコミュニティとやりとりしてしまう。僕も無意識に画面を囲めていない今もある。コミュニケーションとコンテンツの効率化のあまり、コミュニティ形成機会に無自覚な排他を生み出しているのかもしれない。

みんなで同期しながら、コミュニケーションしていきたい。

コミュニティでありたい。

テレビを囲む体験が、家族とのパートナーシップ、仲間とのパートナーシップのベースになっていた。これを加速させたい。みんなのありたい姿をつくる原点がここにあるとも思う。

画面を囲もう!コンテンツを言い訳にコミュニケーションしよう!そしてそれを体現するコミュニティであろう。
コンテンツを押し付け合おう。それがコミュニティのパートナーシップにつながる。コミュニティ同士のパートナーシップ、つまり伝承になる。
カタールW杯コスタリカ戦の日曜の夜、高速道路は空き、一方、デリバリーピザの注文は殺到していたらしい。
人はみなコンテンツを小さな自宅というコミュニティで日本全体の大きなコミュニティを感じながら同期的に囲みたがっている。
囲んでいる。
囲みたがっている。


日本にはたくさんの小さなコミュニティも、日本を応援する大きなコミュニティもできていた。みんなコミュニティでありたいんだと思う。

たかはしサミットは、たかはしを超えたコミュニティでありたいと思います。


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