ギフト恐怖症

自分の数多あるイップスの中でも、わかりやすいやつがある。
ギフトやプレゼントがこわい。

もらうのは平気だ、あげるのがこわい。
この時期、クスリマスは地獄である。

誰にもあげないことも罪悪感があるし、付き合っている相手がいれば、全く何もあげないってワケにもいかない。
交際相手がいなくて誰にもプレゼントをあげない年だったとしても、普段は自分から近寄らないギフトっぽい売り場が、この時期は売り場の方から近寄って来る。クリスマス以外にお歳暮コーナーがすり寄ってきたりもする。お歳暮も贈り物なので当然こわい。

ギフトがこわい原因を考えてみる

なぜなのか。
少ない記憶力で思い出せる範囲で考えられる原因は以下の3つだ。

1.人からのおみやげやギフトに文句や罵倒しか言わない家庭だった
2.サンタさんを信じさせてもらったことがない
3.誕生日のアイスケーキをデロデロの台無しにされた


原因1.人からのおみやげやギフトに文句や罵倒しか言わない家庭だった

大人5人に子供が私1人の6人家族だったのだが、家族全員が人から貰った物にケチをつけまくる家だったのだ。人から貰った物を褒めたり喜んだりしていたのを聞いたことがない。
大人に贈られて来るものといえば代表的なのはお歳暮・お中元だが、まあ受け取った後は罵詈雑言のオンパレード。

「こんな重いもん、送料の無駄や」「こんなもん嬉しないわ」
うちで使わないような物を貰えば「こんなもん使わへんのに」「どうやって使うねんこんなもん」
うちで使う物を受け取れば「こんなもんうちにようけ(沢山)あるのに。ダブって迷惑や」
冷蔵や冷凍の食品は「こんなん冷蔵庫に入るワケないやん」(汚部屋だったので冷蔵庫がゴミでパンパンだったのは確かにそう)
ちょっと高級で良い物を受け取れば「こんなんスーパーで買うたら2~300円やのに何千円も出して。アホやな~」

とにかく褒めたり気に入ったと言ったことがマジの一度もない。
人から物を貰ったらけなすと教えられた文化圏で育ったのだろうか?

こんな姿ばかり見て育ったので、当然のように「人に物をあげたら、裏でこんなことを言われるんだ。絶対にあげないようにしよう」とか、「人に物をあげたらこんな風に罵倒されるのに、なんで物をあげるんだろう。あげないのが一番いいのに、馬鹿だなぁ」と思うようになった。

その考えに染まる前に、自分もおみやげというものを家に買って帰ったことが一度ある。
小学校の修学旅行で、みんなが家族におみやげを買っているのだし、家族も文句ばかりとはいえ形だけでも抑えておこうと、手堅い広島土産を買って帰ったのだが、案の定罵倒の嵐だった。
なけなしのお小遣いをはたいて罵詈雑言を受け取った。
こんなこと、もう二度としないようにしようと誓った。


原因2.サンタさんを信じさせてもらったことが一度もない。

2~3歳の頃のこと。クリスマスの近い12月に、「サンタなんかおらへんねんで」と母から言われた。ニヤニヤと笑いながら。
「あんなもん、嘘やねん」「子供はあんなん信じて、かわいそうやなぁ」「プレゼントなんか、来ぇへんで」
親としては、プレゼントをしたくなかったのだろうか。
それとも、サンタなんかいないんだと悲しむ子供の顔が見たかったのだろうか。
母は知的障害のある人だったから、小学校低~中学年ぐらいの子がクラスで「サンタなんかいないんだぞ」と言って周囲の子より大人びているアピールをする、あれをやりたかったのかもしれない。サンタが何かを聞いたこともない幼児相手に。

その言葉を聞いた時には「サンタなんかいない」の意味がわからなかった…まずサンタを知らないからね、けど、その年の保育園のクリスマス会でなんとなく意味がわかった。
どうも他の家の子達はサンタというものを知っていて、信じていて、「よい子にしているとプレゼントがもらえる」のだ。
私があらかじめ信じさせてもらえなかったものが何なのか、後からやっとわかった。
「私にサンタもプレゼントも来ないのは、私がよい子でないからだ」という存在そのものへの罪悪感…生まれてきたこと自体が悪かったのだという罪悪感が、ズッシリと心にのしかかった。
サンタもプレゼントも私には来ないけど、サンタもプレゼントも来ると信じている同い年の子達のために、クリスマスの間中、黙っていなければいけない。
もし先生や友達に聞かれたら、何かをもらったフリをしなければいけない。でも何を?黙って曖昧にやり過ごすしかない。

なので、ギフトだけでなくクリスマス自体もこわい。


原因3.アイスケーキ事件

アイスケーキをご存知だろうか。アイスでできたケーキである(これ説明になってるのか?)。
子供の頃、夢に見るほど憧れた。どんなに美味しい夢の食べ物だろうと。

そんな夢のアイスケーキを食べるチャンスが到来した。
ギフト券を当てたのだったか、誰かからいただいたのか、誕生日の時期じゃなかったかもしれないが、とにかく私はアイスケーキを食べる機会を得たのだ。

アイスケーキを買って帰ったが、待ち受けていたのは
「そんなもん買うて!!」という祖母の怒り。
「冷蔵庫!?冷凍庫!?空いてるワケないやろ!!」
そう、前述の通り汚部屋の家だから、冷蔵庫内も賞味期限もわからないようなゴミで満杯なのだ。
そのゴミを捨てて、ピカピカのアイスケーキを入れてくれたらいいのに。
アイスケーキはその辺にボンと置き捨てられた。

誰にも保護されずにデロデロに溶けた無惨な姿のアイスケーキは片付けもされず、人目に晒され続けた。このアイスケーキはお前自身の姿だ。
誰もお前を愛さない。それなのにこんな浮かれたケーキを望んだりして。
だからこんな目にあうのだ、この無惨な姿はお前自身だよって、私が思い知るまで。

ずいぶん大人になってから、つい最近アイスケーキを食べる機会があった。
人さまの誕生日だったか、ちょっとした集まりで、一切れご相伴にあずかった。
一口食べて、「なんだ、こんなもんのだったのか」「別に想像してたよりおいしくないな」と思った。
ずっとずっと夢見てた、夢の味アイスケーキ。一切れ食べ終わる頃には胃がズッシリと重くなっていた。

カウンセリングを受けてみた


カウンセリングを受けた。
受けたというか、通ってるカウンセリングのヒアリングで、なりたい自分像の中に「人にギフトを贈れるようになりたい」と書いたのを、「贈れないんですか?」と先生に気付いてもらって、セラピーをすることになった。

「人からちょっとした物を貰った時に、それが自分の趣味でなくても、欲しくなくても、”これをくれようとした相手の気持ちが嬉しいな”という気持ちはあるんです。世間一般のほとんどの人もきっとそうだろうということも、頭ではわかるんです。だけど、自分以外の人がギフトを受け取った時に見た素の感想のほぼ100%が罵倒だったから、どうしても感情面では信じることが出来ないんだと思います。」
「どうしても人に物を贈らないといけない時は、臓器を引きちぎって血を吐きながら渡すような気持ちになります。」

私が今通っているカウンセリングでは「パーツセラピー」という手法を使って、トラウマと同化した自分自身を切り離し、切り離したトラウマのパーツをパーツさん(私のパーツは小さい子供やゆるキャラ風なことが多いので、自分はパーツちゃんと呼んでいる)として対話し、おとなになった自分がパーツさんを守る。ということをした。
ギフトのシーン以外でも、私の家庭はいつも罵倒ばかりだった。
否定することもできず、ただただ自分に矛先が向かないよう、曖昧な態度で耐えるしかなかった。
イップスはギフトだけじゃなくて、20年間ずっと耐えてきた環境だった。パーツちゃんは20年耐え続けてボロボロになっていた。パーツちゃんを優しくケアして、甘やかして、今は安全だよ、大人の私があなたを守るからね、と何度も言い聞かせた。

ラッピンググッズが買えた

カウンセリングの帰りに100均のラッピングコーナーに寄った。
そうだ、今までギフトコーナーが怖くて近寄れなかったので忘れてたけど、一番怖かったのはラッピングコーナーだわと気付いた。
ギフトコーナーはまだ「自分のために買う」こともあるけど、ラッピングは人に贈るためそのものの行為だもんね。ラッピングコーナーの存在は怖すぎて、今の今まで頭から抜けていたのだ。
まだ少し恐怖で震える手と重たい胃を抱えて、なんとか1つラッピング用紙を買って逃げるように足早に帰った。

クリスマス会のプレゼント交換会

私が管理人をやっているシェアハウスで、クリスマスの数日前に住人が夜になんとなく集まり、いつの間にか自然にクリスマス会が発生した。みんなそれぞれ300~500円程度の物を持ち寄り、プレゼント交換会をするのだと。

私はプレゼントが苦手なので、肩たたき券的なものでお茶を濁してしまったが、意外にもよろこんでもらえた。

コレ↓

デザイン・イラスト作る券

これで一応よろこんでもらえるのが本職デザイナーの特権やで…。
この券のいいところは、プレゼントを渡した瞬間には成果物はまだこの世に存在しないから、「あ、なんか思ったよりガッカリ」みたいな顔を見ないで済むことだ。

でも本当はいつか、人にちょっとしたギフトを贈れるようになりたいな。
かわいくラッピングされた、ちょっといいお菓子みたいなやつをさ。
自分では買わないような、ちょっと小洒落た入浴剤みたいなやつをさ。
いつかね。

彼女氏がまた、そういうちょっとしたギフトが天才的にうまいのである。
クリスマスプレゼントを、クリスマス当日に大物をボンと渡すのでなく、12月の間中、ちょっとした可愛いものを細々と贈ってくれるのだ。天才か?そんな方法あるんだ。あっていいんだ。
プレゼント、怖くて返せてない。お返しできるようになりたいな。切実に。

で、シェアハウスで自然発生したプレゼント交換会の話に戻るが、私の貰ったプレゼントはコレである。

コレ

テンセグリティというらしい。
が。
なんというか。
いらねーーーー。いらねー枠である。
5分後に壊れたし。
しかしこれを堂々とあげられることが、ギフトイップスの私にとってはすごく勇気を与えられた。
いらないギフトでも、こういう場でこういうものを準備してくれたことがうれしいし楽しかった。

それでいいんだ。
それでいいんだと、これからも言い聞かせていくしかない。

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