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『触れる指先が熱をもてば』 〜テーマ性愛〜(掌小説)


蒸し暑い、寝苦しい夜。何度寝返りを打ったのか。最初は数えていたが、もうどうでもよくなってしまった。それと同じくらい、目の前にある妻の寝顔を見ても、何の感慨もわかない。お互いに誘い合うことなんて、頭にもない。ひと言ふた言、気のない惰性で言葉を交わし、「おやすみ」と言って目を閉じるだけ。妻は隣に僕がいなくても、気が付かないかもしれない。いや、それは僕も同じだけど。
性欲が消えてしまったというわけではないから、ひとりで処理をする事はあった。それは独身時代、彼女がいなかったころと同じで、別にストレスは感じなかった。
風俗へ行ったり、浮気をしようとは思わなかった。ただの、作業。数分間の、ルーチンワーク。それが“ふつうのこと”になっていた。
そんな僕たち夫婦だが、共通の趣味が2つある。
1つめは、食べ歩きに行く事だ。2人で行きたい所リストを作り、1日で多くて5軒も店をまわる。食事をしている時の妻の笑顔が可愛い。たぶん僕は、それが見たくて行っているのだと思う。
2つめは、愛娘の猫だ。子猫の時に、妻が近所で拾ってきた。それから2人で一生懸命世話をして育てた。子供のいない私たちにとって、一番愛情を注げる対象なのだと思う。


「ミャーオ、ミャーオ」
暗闇に響く小さな声に眠りを妨げられ、重いまなこを擦り、目を開いた。そこに妻の寝顔はなく、後ろ髪があった。僕は、背中を持ち上げ、声のする方向を見た。愛猫が僕の足首に擦り寄り、朝ご飯のおねだりをしている。そのお腹を見ると少し膨らみを帯びていた。
愛猫にパートナーができ、子どもを身ごもったのだ。僕たち夫婦にとって、それは大きなニュース。愛娘の子どもは、さぞ可愛らしいだろう、と夫婦揃って出産の時を心待ちにしている。

蝉の声が止み、肌寒くなってきた。愛猫は出産した。可愛らしい子猫が5匹誕生し、我が家は一気に賑やかになった。子猫たちを必死で舐めてあげる愛猫は、母の顔になっていた。
彼女のパートナーである父猫は、交配のために知人から預かっていた猫だったのだが、子猫がある程度大きくなるまではうちに置いていた。その父猫が時折、僕たちの愛猫にすり寄って、頭を擦り合わせたり、毛を舐め合ったりする仕草をみた。
「家族っていいね」ふと、妻が呟いた。
横顔を見ると、猫たちを見つめている妻の目尻が優しそうに下がっていた。その妻の笑みを見たとき、身体の芯からじわじわと温かいものがこみ上げてきた。それはこの8年のあいだ、ついぞ感じたことのなかった不思議な感覚だった。自分の感情に驚いて、反射的に妻の左手の指先に触れてしまう。
その瞬間、僕の心臓は明らかに跳ねた。空まで跳ね飛んで地面に叩きつけられたかのような、大きな波を打った。歩美は指先が触れた事を気にしていないようだったが、僕は思わず触れた歩美の手をギュッと握りしめた。
「どうしたの?」驚いた顔で、僕の方を見た。
歩美の顔を見た瞬間に噴き出した、どこか懐かしい感情。もっと触れたい。抱きしめたい。付き合い始めのころ、つねに心を占めていた気持ちが、再び僕を支配していたのだ。我慢ができなくなり、歩美の身体を抱き寄せ、唇に自分の唇を重ねた。
歩美は顔を赤らめて、気恥ずかしそうに「どうしたの、突然......」と言った。
僕は慌てて「いや、なんか、その......」と口ごもって俯いた。手は握りしめたまま。
お互いの体温で温まったその手の中は、湿り気を増してるのが感じられた。顔を上げると、歩美の真っ直ぐな眼差しに釘付けになった。その瞳は、滴るほどに潤い、吸い込まれそうな黒い海の様だった。僕はその瞳に顔を近づけ、口づけを交わした。新品で染一つない様な寝室のベッドに横たわった。そして、付き合い始めたばかりの若いカップルのように、ぎこちなく、少し怯えながら、ゆっくりとお互いの体温の中に落ちていった。心が温かく、安らぎでいっぱいに満たされていく。僕は歩美の胸に頭を埋めながら、お互いの心臓が激しく波打っているのを感じていた。

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