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体には消えない傷がある。時系列順に並べてみようと思う。

小学生時代
低学年の時、砂利道でダッシュして方向を変えようとして転んだ。右膝を擦りむいた。膝下にくすんだ瘢痕と、膝上に明るめのケロイド状の薄い盛り上がりが残っている。

同じく低学年の時、スーパーボールを一回り小さくしようとして、カッターナイフで削っていた。左手の薬指の爪と第一関節の間、手の甲側を切った。ザックリ1センチ強の幅にカッターがめり込んだようだ。皮膚を裂き、めり込む感覚がくる。その後に血が溢れ出す感覚。その次にやっとドクドクという感覚と共に痛みがやってくる。怒られると思ったのか、トイレに行きトイレットペーパーだったか、洗面所のティッシュで傷口を押さえじっとしていた。多分、そのまま血が止まるまでまってから報告をしたように思う。

小学生中学年の頃か、東京の親戚が毎年夏休みに実家の鳥取まで遊びに来ていた。ある年は黒い大きな犬を連れてきていた。中型犬になるだろうか。夕ご飯の後、スイカを食べていた。縁側の少し離れたところにその犬は寝そべっていた。不意に近づきたくなり、勝手口からサンダルに履き替え犬の側に近づいた。犬は座り直し僕を見ている。そっと手を頭に伸ばした。犬は僕の右手を噛んだ。咄嗟に腕を引っ込める。鋭い痛みが走った。痛みの走る右手を見ると、赤と白の混じったような一本線が右手の親指と人差し指の間、指の股と手首を3〜4センチ縦断するように走っていた。声は上げなかった。こっそり戻ってこのことは話さなかった。

小学4年生の頃、冬にストーブが置かれていた。ストーブの上にはドアの縁にかけた洗濯物が干されていた。洗濯物を取ろうとしてバランスを崩し、左太ももをストーブの四角形の一辺の角に押し付けた。音は聞こえなかったが、触れたと思った数瞬あとに「ジュッ」という熱さを感じた。実際にどれくらいの時間だったのか分からないが、少なくとも3秒くらいは押し付けられていたと思う。ストーブを倒すような押しのけ方をするわけにもいかない。洗濯物を引っ張っても余計に太ももが押し付けられる気がする。ドアの枠を掴んで太ももをストーブから離すまでずいぶん時間が長く感じた。

20歳の時、両膝の手術をした。大学生のテニス部で膝が痛くなり、金沢から地元鳥取に帰った時に病院に行き、先生に勧められるまま手術をした。全身麻酔で、内視鏡で片膝1センチの傷から「タナ」という膝の内側の厚くなったヒダを取り除いてもらった。膝の痛みはまた再発した。全身麻酔の前のお尻に打った筋肉注射の痛みと、術後の尿道に通した管の痛み、術中に呼吸のために管を通した後の喉の痛みを覚えている。

30代の頃、中華鍋でチャーハンを作っていた。ラードたっぷりのチャーハン。卵を溶いて半熟にする。ご飯を勢いよく投入する。油の量が多かった。2センチほどの油が跳ねた。右手の前腕肘と手首のちょうど中間あたり、手のひら側の中央より少し小指側に熱さを感じる。やってしまったと思ったが、チャーハン作りを続ける。冷静に「これあと残るやつかな?」と思いながら料理を続ける。2~3センチ幅の丸いケロイド状の跡が残っている。

背中に瘡蓋や引っ掻いた跡がある。吹き出物を潰したことが最初のきっかけだ。最近は瘡蓋を引っ掻く癖がついてしまい、鏡を見ると想像しているよりはまだまばらな傷跡が見える。

傷はどこで記憶しているのだろうか?細胞は入れ替わるらしい。ならば傷を再生しているのは別の場所ということになる。脳だろうか?それとも近くの集団だろうか?皮膚のタコやマメもなぜできるかということは正確には分かっていないらしい。骨折をすると、折れ方によっては更に丈夫につながるそうだ。皮膚の傷も瘡蓋と同じように剥がれてくれたらいいのにと思う。


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