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働き方のユニバーサルデザイン:「生きる職場」を読む

以前から気になっていた「生きる職場 -小さなエビ工場の人を縛らない働き方ー」を読んだ。概要と、本が執筆されて以降のアップデートは、著者である武藤さん自身がnoteに書かれているので、参照していただくとよいと思う。ただ、網羅的に整理して書かれているのはやはり本の良さなので、一読をおすすめしたい。

このエビ工場で働いているのは、本の執筆時点では、子育て中のお母さんがメインのようだ。子育ての忙しい時間をやりくりしながら働いて生活費を確保する、お母さんたちの職場。そこには、月給を保証された正社員の職場のような、(正社員の皆様には失礼ながら)のんびりとした空気はないだろう、と思う。そして、それでなくても家事や子育てに体力を奪われているのだから、少しでもラクやズルができるならそうしたいと思うだろうし、それが人というものだろう。

それを、出勤日も働く時間も自由、片付けの時間も勤務時間内、という「人を縛らない」ルールを徹底し、嫌いな仕事と好きな仕事を自己申告することで好きな仕事を優先的にやれるようにし、嫌いな仕事はしてはいけない(禁止する)という仕組みも取り入れることで、ラクやズルはできない(しにくい)けれど、納得がいく働き方、給料のもらい方を実現している、それを目指している職場であるということが、伝わってくる。

一般的な日本の職場では考えられないほどの「自由」な働き方が実現しているのだが、裏返せばその自由に見合った「責任」が課される職場でもある。欠勤しても構わないが当然その分の給料は払われないし、「好きな仕事」を優先して割り振られ「嫌いな仕事は禁止」される以上、仕事のパフォーマンスが(他人との比較ではなく、その人の基準で)低いことは許されない、言い訳ができない、という厳しさがある。

読んでいて思ったのは、こうしたルールが適用される職場というのは、子育て中のお母さんに限らず、例えばシニアにとっても働きやすい職場ではないか、ということだ。シニアはシニアで、持病があったりして通院などの時間を平日の昼間に取らなければならないこともあるだろうし、体調が悪い日だって、若いうちよりは増えるだろう。自分は元気でも相方の体調不良で休まなければいけないこともあるだろう。そうした日には気兼ねなく休んだり病院に行ったり家族の面倒を見たりできるし、出勤する場合でも、短時間で帰ることにもできるし(退勤時間も自己申告だ)、体調の良しあしをボードのマグネットで表示しておけるのも、よく考えられた仕組みだと思う。

そして、子育て中の親やシニアなど、なんらかの制約がある人にとって働きやすい職場は、万人にとって働きやすい職場ではないか。このエビ工場が目指しているのは、職場・働き方のユニバーサルデザインなのだな、と思った。

この工場は平日の朝から夕方までの稼働のようだけれど、もし平日の夜間や土日祝日などにも稼働しているなら、(最近流行りの?)副業の場としても機能するだろうし、そうなれば、同じ設備の稼働率も上がることになる(執筆時点では工場を管理する社員さんの人数などの問題もあって土日も閉めているが、そこが解決できれば土日も一部開けられる可能性はあるようだ)。

朝早い時間なら早起きのシニアさんがたちが出勤し、昼前には退勤するシニアと朝の家事を終えたお母さんたちが入れ替わり、夕方にはお母さんたちと副業のサラリーマンが入れ替わる、といったことも、実現は不可能ではなさそうだ。サラリーマンの副業としても、突発的に本業が長引いてもその日は出なければよいということになるので、柔軟な働き方が可能になる。なにより出勤日時が決まっていることによる精神的な負担が非常に軽くて済むことになる点は、大きなメリットだと思う。

私自身も、実は会社をやめてから、自分の経営する会社の仕事をやりつつ時給ベースの「バイト・パート仕事」を取り入れて活用している。その目的は、1)自堕落な生活時間にならないようにする規律のツールとしてだったり、2)単純作業に手を動かしつつ構想を練ったり発想のひらめきを待つ時間をとるためだったり、あるいは3)自分が知らない世界を体感的に知るためだったりする。そこで得られる賃金はありがたいものだが、それが主目的ではない。

こうした「バイト・パート仕事」の活用をしている人は、多いとは言わないが案外少なくもないらしく、そうした記事を読んだこともあるし、私の友人がひょんなことから知り合った人も同様の活用をしているということだった。そういった人にとっても、こうした職場は、とてもありがたい存在になりうる。1)の目的には、出勤時間が自由であることはちょっとハンデになりうるのだけれど、たとえばアイディアや企画案を出すことに煮詰まったりしたときに2)の目的で別な仕事をしながらひらめきを得る、ということは私の場合とても有効だし、独立して不安定な立場なので、時間が空いた時に稼げることは、その金額以上に精神的な安定も得られるし、あわせて3)のような経験を得られるという意味でも、大きな価値がある。

そして、このエビ工場で各自が仕事の好き嫌いに〇×をつけるように、自分はどのような仕事が好きか、いくらでも続けられるかということが分かってくれば、そのような仕事を選んでいくことで、さらに「バイト・パート仕事」の(金銭以外の)価値があがり、生活の重要なアクセントとなっていくのだ。

ただし、一般的な曜日や時間が決められたシフトの中に入ることは、私のような仕事の場合とてもむつかしい。出張がはいって1週間丸ごと不在といったことが珍しくないからだ。自分の場合は、雇い主の社長さんや経営者など、裁量権があり、また私の仕事の特質・形態を理解してくれる方々とひょんなことから知り合ったことがきっかけで、そうした「わがままな」働き方が実現しているのだけれど、これは少なくても現時点では普通のことではない。こうした働き方は、まさにこの本に書かれている「(経営者の)親族の働き方」だからだ。こうした「親族の働き方」を広く一般にひろげようというのがこのエビ工場のチャレンジなのだ。

仕事というのは実に様々だし、それを様々な個性や特性のある個人がやっていくことで、モザイクのように一つの社会に織り込まれて、全体が機能している。本にも書かれている通り、人間の「好き嫌いは多様で重ならない」のであり、特に、人生の後半戦においては、他人の目はどうあれ、自分が好きなことを活かせる仕事をしていけばいい。自分が知らなかった仕事もまだまだ世の中には存在していて、そういう仕事がなければ成り立たないことがあるのだけれど、それに気が付いていなかった自分の甘さを痛感したりもする、そういう発見をすることが出来るかもしれない(現に、私の場合はそうだ)。

そして、この本の一番好きなパートは「発想の転換こそが鍵」のところ(196ページ)。まさに、会社も、働く人も、いまの日本の全体が求められていることが、マインドセットのチェンジ・リセット、発想の転換なのだと、常々思っているので、とても共感した。そして、

なによりこうした発想の転換を起こすためには、まずやってみることです。

という一文に集約されている、試行錯誤の精神。だめだったら戻せばいい、というルール作りのスタンスにも表れているけれど、まずやってみる、とりあえずトライしてみる、ということが大切なのだけれど、それが出来なくなっている人・組織が多い。そこが、今の閉そく感の根源にあると感じている。

最後に余談になるけれど、このエビ工場は、もともと石巻にあって東日本大震災で被災したために大阪に移ったものであることは、震災後に少し石巻に関わり復興支援のお手伝いをさせてもらった身には、とても親近感を感じた、というか、どう形容していいかわからないけれど、親近感と喪失感とやるせなさとが入り混じったような気持ちが胸の中でつっかえている。

そして、著者の武藤さん自身が、かつては現場を軽視した管理者であったと告白していることにも親近感をおぼえたし、経営者であるのに「工場長」と名乗っている理由も軽く気になっていたのだけれど、この本を読んでその理由がわかった気がする(はっきりとは書かれていないけれど)。

このエビ工場、近くにあったら自分も働いてみたくて仕方がないのだけれど、大阪ではちょっと遠い。ただ、見学は受け付けているということなので、チャンスがあれば行ってぜひ直接話を聞いてみたいと思う。そこには、会社として働く場をどう提供するべきか、ということとともに、働き手としてどう働くべきなのか、ということのヒントがたくさんあるように思うのだ。

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