おみゅりこ。傷心する꒰ᐡ•̥ •̥ᐡ꒱

するワケねーだろ⭐️

私は文字によりイメージを浮かべるのが得意だ。これは不可逆的で、イメージを絵とか文字にするのは苦手だ。
たとえば空に小鳥が飛んでるイメージをする。
それを文字として表現する……

『あー、なんか黒っぽい小鳥が、羽根をバタバタさせながら左から右へ飛びました。ちなみにくすんだ青空っぽいです。カメラワークはなんか下から上! って感じで(。-∀-)』

な? クソみてーだろ? こんな小説を買ってしまったらスマホごと買い替えるね。はい、新規契約で。はい……はい。えっ⁉️ あぁ、ハイ(なげぇよ)。

逆の事をします。

『ゴマみたいな鳥が出刃包丁を持った貴婦人の八百屋に追われている』

……おお、素晴らしい光景だ。夕焼けから伸びた影、精肉店のコロッケの油の匂いすら伝わる。ガキのランドセルがぴょんぴょんして中の教科書が音を立てる様子も浮かぶぞ。
じゃあ絵にしてみろって? ははっ。トンチ坊主を縄で縛って連れて来るか?

(-∀-)『もうちょい俯いてもらってもいいですか?』

―傷心と葛藤―

引き続きイメージの話しをします。哲学を持ち出すと、人間はアホなので『物自体』を見れません。様々をどうしても重ねてしまうのです。だからイメージは人間とは切り離せない。ただの『石ころ』を、ただの『石ころ』として見るのは不可能です。パソコンのいらんアプリみたいなモンだ(しかも消せない)。

『傷心』という文字を見ると、部屋の隅で膝を抱えて項垂れている女の子が浮かびます。えっと、そうだな。私の観念? が、『傷心』というファイルをクリックするんだ。そしたら展開し、更に複数のファイルが現れる。マインドマップという思考方法があるが、アレに近いかもしれない。
次に私は問います。あるいは問診?

『なぜ、そんなに項垂れているんだ?』

最初は教えてくれません。でもしつこくしていると、次第にポツポツ喋ってくれます。それを『傷心』の関連データとして格納し、思考を進めます。仮でもいいから結論を出したいからです。

『傷心は生命活動にとっては無意味だ』

結論が出ました。なんて冷たい人間なんだ。
理由としては、前を向いていないからです。傷心を引き起こすに至った出来事を反芻したり、『何か』を正当化して自身や他者を守ったり、ただ感情に押しつぶされたり。
態度や考え方は冷たいと思われるかもしれませんが、結論を起点に、シンプルに『励まして』いるのです。

無意味→なので→やめよう→その為には

みたいに。しかし社会的には、寄り添ったり温かい言葉をかけるのが正解なのでしょう。けれど私は、この思考の展開に気を取られ、それが疎かになります。自分の嫌いな所です。


『葛藤』は、また別の状態です。
選択肢があるという状態です。あるにはあるが、その結果がどうなるかは予想できません。試着室の無い服屋で服を選ぶようなものです。
勿論私は服を『着る』か『着ない』かで葛藤したこともあります。全裸はすごいです。ちなみに着ました。

この『葛藤』の状態を、私は最低限として定めています。つまり『傷心』や『悩む』は、さっさと切り上げたいのです。これは辛い経験から抜け出した時、その時間が無意味に思えたからです。

逆に言えば、『傷心』の人を見かけたら、人として温かい言葉をかけ、次に『選択肢』を与えます。人はゴールも無しに突っ走れないからです。

が、しかし。『同調』や『共感』も重要だと考えています。厳密にシンクロするように『共感』するのはどだい無理な話とは思いますが、大体の一致を見せるのは可能だとします。


それにしても『悩み』ます。葛藤状態の人に、ひとつの答えとしての道を示してあげたとして、これは無責任ではなかろうかと思うのです。
元気になってくれるのは結構ですが、道の先に更なる苦難が待ち受けているかもしれない。それを追求でもされたら『傷心』します。

やはり人は、自分の道は自分で決めるべきです。その侮蔑の言葉をいつでも自己の内部に向けられるように準備をしておきます。これなら傷つくのは私だけで済みます。世界は今日も問題なく回るでしょう。

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