見出し画像

暴力と詩と校庭10周❗️

【エッセイでスシ】🍣
東京マラソンは関係ありません


今日は書く事が浮かばなかった。

じゃあ書くなよ🔔(ぷんぷん)

って思うで生姜、思い出の生姜❗️
……つまんねぇよ、○ね。
あのさ、いくら食欲がなくても、取り敢えず胃にモノを詰めなきゃ辛いでしょ?
それと一緒です。

私はこんなもんだ……そうだな、あの日を思い出す。
ほわほわ〜ミチィィイイ‼️☁️💭



あの日っつっても正確な日付なんて知らないが、とにかく小学校5年生ぐらいだ。
授業で詩を書く命令をされた。4年生までは暴力教師が幅を利かせていたが、5年生からは温厚な担任に変わったのでワーイでした。

記憶が正しければアレが最古の【詩】
おおかたこんなカンジ。

詩がおもいつかない 詩がおもいつかない

いつまでたってもおもいつかない
どれだけたってもおもいつかない

いつのまにか詩になっていた

私はこの頃から変わってないのかもしれない。
しかし、拍手を送りたい。
気持ちを率直に書いているからだ。もしあの日、ウケ狙いみたいな下らない詩を書いていたら、運命の歯車は腐食していたかもしれない。 ←ウケ狙いの例ね

暴力教師の話でもするか。
私はとにかくヤツが嫌いだった。なぜなら❗️
……スグ暴力だもん。

てな次第で反抗として、1年間一度たりとも宿題をやってやらなかった。あっかんべー👅ですよ。
罰として私は殴られ、ペナルティとして校庭の外周を10周させられていた――もちろん毎日。

権力者に逆らってナントカする❗️
みたいなのはドラマに任せとけ。私は一貫して

『誰がてめぇなんぞに
    従うか! アホくそ野朗❗️』

                だったのでし。

代償としてペナルティは付きまとう。けど、それがどうした? ヤツに屈服して宿題をするなんて選択はハナっからない。
私は当然のように殴られ、流れるように校庭へ向かう。美しい光景だ。あと体力ついた。

PTA的なヤツらが頑張って、めでたく暴力教師が追放されたのは卒業後しばらく後だったが、それを知った私は心の中で中指をおっ立てた。ザマーみやがれ❗️

教師が『神聖視』されていた時代が去って久しいが、過去の張り切りティーチャーのツケで現在の教師は弱々しくなってしまった。
まあよくわからん……ってのが、親と生徒と教師の理想のバランスがね。どんなのがいいかな❓

まぁいっか。
教師は待遇悪くてイライラしてるだろうし、親も子を守ろうと必死だ。衝突しないワケがない。



いや〜、今日は焦った。
才能(……才能❓)が枯れ果てたかと思ったもん。
本当に頭が回らなくて、何も浮かばなかった。
それ程書くことがスキってことね。

でも思い出すんだ。
こうやって停滞じみた日を過ごすと、黙々と校庭を走らされていたかつての自分を。

息を切らして教室のドアーを開け、暴力野朗の一瞥を受け着席する時の空気感。

忘れちゃあならんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?