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田籠由美評 黒坂真由子『発達障害大全――「脳の個性」について知りたいことすべて』(日経BPマーケティング)

評者◆田籠由美
個性豊かな発達障害の人々――大全といっても決して堅苦しいものではなく、発達障害の問題に真摯に取り組んできた人々や当事者のリアルな声にあふれている
発達障害大全――「脳の個性」について知りたいことすべて
黒坂真由子
日経BP:発行/日経BPマーケティング:発売
No.3626 ・ 2024年02月03日

■業務効率化が叫ばれる現在、空気を読む文化がはびこる日本で、発達障害の人々は多数派に合わせるためにどれほど苦労していることだろうか。
 本書は、著者の黒坂氏が発達障害について十三人の専門家や当事者に二年にわたって話を聞いて書き上げた六百ページ近い大作である。発達障害の息子をもつ著者は、精神科医、小児科医、支援学校校長、研究者、当事者といったさまざまな人々と語り合うことで発達障害についての考察を深め、理解のためのキーワード、問題点、対応策をわかりやすくまとめた。大全といっても決して堅苦しいものではなく、この問題に真摯に取り組んできた人々や当事者のリアルな声にあふれている。
 本書によると、発達障害は大きく次の四つに分かれる。注意・集中力の欠如と多動・衝動性が見られる〈注意欠如多動症ADHD〉、対人関係・コミュニケーションの困難とこだわりの強さが見られる〈自閉症スペクトラム症ASD〉、「読む」「書く」「計算する」など学習に関連する特定の能力に困難がある〈限局性学習症LD(学習障害)〉、そして「不器用」「運動が苦手」といわれることが多い〈発達性協調運動症DCD〉である。各症状には「重なり」があり、「濃淡」もある。こうした発達障害的な個性をもつ人は社会の至る所にいると思われる。発達障害は「脳の個性」で(一部のADHDに処方される薬をのぞき)治療できるものではなく、大切なのは本人が社会生活を営む上で困難を感じたときの対応策であるという。
 発達障害の人々は、小学校入学と就職の直後に困難にぶつかることが多いようだ。明文化されていないルールを察知しにくいので、「空気を読めない」と言われて団体のなかで浮きやすい。ゆえに、情報伝達の責任が受信側ではなく発信側にある米国のような国のほうが暮らしやすかったりする。また彼らにとっては職探しが重要で、自営業のような個人プレーに向く人が多く、養老孟司氏は「畑では(ADHDも)障害にならない」と語っている。漫画家として成功している沖田×華氏は、忘れん坊で失敗ばかりの子ども時代に自分のことをまるで人間の子に化けたタヌキの子のように感じていた。頑張って看護師になっても、人の顔が覚えられずうまくいかなかった。ほかの人たちと同じように振る舞おうと懸命に努力した。それでもやっと人並みで、誰にもほめてもらえないのが辛かった。こうした場合の最善の対応策として、環境を変えることが提案されている。ほめられず叱られてばかりの環境に居続けると自己肯定感が下がり、うつ病などの二次障害を生みかねない。心を守り、楽しいと感じる環境にいられるようにすることが重要なのである。
 また著者は、発達障害の人と一緒に働くための知恵を十個にまとめている。たとえば、「暗黙のルールを言葉にして書き出す」「口頭だけじゃなく文字で残す」「指示に優先順位をつける」「曖昧な言葉を避ける」「同じ注意を繰り返す」、そのほか、簡単にできることばかりだ。これらの知恵は仕事場だけでなく家庭や学校でも有効だろう。
 インタビューのなかでASD/ADHD当事者である文学博士の横道誠氏はぼやく。自由きままで媚びないで協調性の低い点など、ASDは猫そのものなのに、なぜ猫は愛され、自分たちは迷惑がられるのかと。それは発達障害者の問題ではなく周囲の人間の問題だろう。家族、クラスメイト、教師、同僚、上司などの心に、レアな個性を面白がる余裕がもう少しあれば、発達障害の人たちにとってこの社会はいまより生きやすい場所になるはずだ。
 最後にインタビューに答えるのは家具販売のニトリ・ホールディングスの創業者、似鳥昭雄氏だ。氏にとって人生でいちばん大きな転機は、見合い結婚した妻が氏の苦手とする接客を担当してくれて、商売が軌道に乗ったことだった。似鳥氏は少年時代から勉強ができず、口下手な少年で苦難の連続だった。しかし、就職、大学受験、起業など、何度失敗してもまた挑戦する不思議な勇気があった。七十歳で発達障害の診断を受けたとき、似鳥氏は「自分がなぜ人ができることができなくて人がやらないことをやるのか理由がわかり、ほっとした」と語る。氏の話は、現在発達障害で苦労している人たちに、適切なサポートがあれば自由に生きていける証しとして希望になるだろう。
 本書は、発達障害の全体像をつかむために当事者とその家族や関係者が読んでおきたい頼もしいガイドブックだ。そして多数派と呼ばれる人々にとっては、不器用なタヌキ人間さんや自由きままな猫人間さんたちへの寛容さを身につけ、彼らの見えない努力に敬意を払う助けになるにちがいない。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3626・ 2024年02月03日に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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