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田畑智久評 マリア・センプル『バーナデットをさがせ!』(北村みちよ訳、彩流社)

評者◆田畑智久
シアトル発、ママを探しに南極へ――母娘をつなぐ愛の物語
バーナデットをさがせ!
マリア・センプル 著、北村みちよ 訳
彩流社
No.3582 ・ 2023年03月11日

■ある日、あなたの家族が突然姿を消してしまったらどうするか。そして、行方として考えられるのが南極だったとしたら――。『バーナデットをさがせ!』は、突然失踪した母と、母を捜索する娘の物語である。
 バーナデット・フォックスは、娘のビーと夫のエルジー・ブランチの三人でシアトルに暮らしている。ビーは寄宿学校への進学を控える八年生(日本で言うところの中学二年生)で、成績はどの科目も「きわめて優秀」、なおかつ下級生を手厚く面倒見る心優しい少女である。またエルジーはマイクロソフトのエリート社員だ。同社の目玉プロジェクトである「サマンサ2」のリーダーを務めており、彼のTEDトークは史上四位の視聴率を誇る。絵に描いたような順風満帆な家庭で、南極旅行に行きたいと娘ビーがせがむと、バーナデットは渋々承諾する。だが船酔いと他人との接触を恐れるあまり、インド人のバーチャル秘書に旅行準備を全て任せる始末である。
 そもそもバーナデットは旅行の準備に限らず、普段の買い物から病院の予約まで、ほとんどすべての用事を秘書に一任し、外界との接触を避けながら生活しているようだ。なぜなのか。それは彼女が周囲の人物と良好な人間関係を築くことができなかった過去の出来事に起因する。
 実はバーナデットはかつて新進気鋭の建築家だった。独身時代には独創的なアイディアでロサンゼルスの建築界隈に名を轟かせていた。ところが自らの建築物を隣接する土地の所有者に取り壊されてしまった。バーナデットは失意のあまり建築業界から姿をくらまし、エルジーとシアトルに移住したのだ。
 慣れない土地で結婚と出産を経るも、バーナデットはなかなか周囲の環境に馴染むことができない。自宅は丘の上に立つ「ゲートハウス」と呼ばれるかつての女子感化院で、史跡に指定されているがゆえに厳しい建築制限がかかり、自らの創造性を発揮する場所にはなりえない。ビーの同級生の母親たち、いわゆる「ママ友」には、バーナデットがボランティアに参加しないという理由で毛嫌いされていて、彼女自身も「ママ友」を「ブヨ軍団」と揶揄している。たとえば、「軍団」の一人であるオードリー・グリフィンには、自動車で足を轢かれたと虚偽の叱責を受けた。また、ゲートハウスのブラックベリーを除去するようオードリーに依頼されると、バーナデットはその依頼に応じる。しかし、それが原因で大規模な土砂崩れが生じると、バーナデットはその罪を擦り付けられてしまう。このようにバーナデットはこの軍団に多大な迷惑を被っている。このような状況にもかかわらず、エルジーは仕事にかかりっきりで妻や娘を顧みないため、バーナデットは日頃の苦悩を夫に話すこともできない。彼女はかつての建築家としての夢を諦め、他人との接触を極力控えるために自宅に籠りきりなのだ。
 夫の言うところの「創造するのをやめた芸術家」であるバーナデットは、次第に突飛で奇怪な行動を取るようになる。するとようやくエルジーは、バーナデットの精神障害の兆候に気づく。エルジーは医師にバーナデットが適応障害だと診断させ、彼女の意に反して精神病院に入院させようと仕向けるものの、強制入院の直前でバーナデットは家族の前から忽然と姿を消す。
 本書の独創的な点として、物語が様々なテクストの連続体として書かれている点が挙げられる。手紙、記事、医療診断書、FBIの報告書など、非常に多様なテクストが語り手のビーによって示される。「その書類のすべては真実だったけど、真実の一部にすぎなかった」とあるとおり、個別のテクストはある出来事の部分的な記録にすぎない。だが、異なるテクスト同士が物語として紡がれ、さまざまな角度から出来事を描出することで、事の真相が徐々に審らかになってゆく。
 では、このテクスト群が明らかにするものは何か。それはブランチ一家の個別の内情のみならず、現代社会に普く山積した数多の問題である。バーナデットの半生は、男性優位の社会でキャリアを諦めざるを得ない女性という立場の脆弱さの一例であるし、夫がキャリアを優先するが故の、妻や娘との間に生じる家庭不和もありありと描き出す。社会が抱える普遍的な問題が、シアトルを舞台にした一家庭の物語から立ち現れるのだ。
 しかし、本書に終始悲愴感が漂っているかと言われれば、決してそうではない。なぜなら、物語全体が家族同士の愛情、とりわけバーナデットとビーの親子愛によって貫かれているからだ。
「うまくいかないことがあるとき、ママ以上に味方につけて心強い人はいない」とビーは言う。娘の苦境において、母は最大限の手助けをする。一方、娘は母の長年の苦しみをついに理解し、母の気持ちに寄り添うことで報いようとする。愛情に満ちた親子関係が、物語に一貫して見られるのだ。
 母と娘の関係に心打たれた父のエルジーは、ようやく家族を省みるようになり、最終的にビーとともにバーナデットの行方を追って南極へ向かう。果たしてバーナデットとの再会は叶うのか。ぜひ一読されたい。
(埼玉県立浦和高等学校教諭)

「図書新聞」No.3582 ・ 2023年03月11日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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