見出し画像

品川暁子評 ゴーティエ・バティステッラ『シェフ』(田中裕子訳、東京創元社)

評者◆品川暁子
格付けの代償――フランス最高級料理業界で頂点を極めた三つ星シェフの突然の死。いったい何があったのか?
シェフ
ゴーティエ・バティステッラ 著、田中裕子 訳
東京創元社
No.3625 ・ 2024年02月03日

■フランス東部アヌシー湖畔に建つホテルの二階にあるレストラン〈レ・プロメス〉は、三年連続で世界最優秀に選ばれた三つ星レストランだ。シェフを務めるのは、ポール・ルノワール、六十二歳。ネットフリックスの撮影隊が三か月前から入り、その日もポールを密着取材することになっていた。
 しかし、ポールは撮影現場に現れない。ポールは自宅で猟銃自殺していた。
 死後に残されたのは一〇〇時間の撮影済みフィルム。
 頂点を極めた三つ星シェフにいったい何があったのだろうか。
 ゴーティエ・バティステッラの『シェフ』には、フランスの最高級料理業界(オート・ガストロノミー)における成功と挫折が描き出される。構成も凝っていて、ポールの幼少期から死の直前までが一人称で語られる奇数章と、ポールの死後、残されたブリガード(調理スタッフ)たちの焦燥や、格付けガイド『ル・ギッド』(ミシュランガイド)の大胆な改革などを三人称で描いた偶数章からなる。
 奇数章では、ポールの祖母イヴォンヌが相続した農場でレストランを開くところから始まる。レストランの評判は次第に広がり、村外からも客が来るようになる。ある日、ふらりと店に立ち寄ったのは、ウジェニー・ブラジエ(ミシュランの三つ星を初めて獲得した実在の女性シェフ)だった。それがきっかけで、十一歳のポールは、ポール・ボギューズで働くようになる。その後、〈マキシム〉や〈ムーラン・ルージュ〉といった有名店でキャリアを積み、やがて〈ラ・ガルゴット〉という自分のレストランをもつ。そして、最初の妻となったベティと出会い、息子マティアスが生まれた。
 いっぽう、実家のレストランは父親が経営していたが、うまくいかず廃業し、人の手に渡っていた。その後、ポールは土地とレストランを買い戻すと、祖母イヴォンヌのレストランがあった場所で〈ポール・ルノワール〉をオープンさせた。
 〈ポール・ルノワール〉は二つ星を獲得し、順調だったかのように見えたが、女性シェフへの暴行事件をきっかけに、劣悪な労働環境を暴露する記事が掲載され、星をはく奪されてしまう。
 閉業を余儀なくされ、意気消沈するポールだったが、息子マティアスからの誘いでふたたびレストランをオープンする。その後、息子の恋人だったナタリアと結婚し、ナタリアの勧めでアヌシー湖畔に〈レ・プロメス〉をオープンさせる。
 シェフとしての人生は順調というわけではない。兵役で調理場を離れることもあれば、二つ星をはく奪され、世間からバッシングを受けることもあった。それでも不死鳥のようによみがえり、ふたたび成功する。ポールには何が何でも三つ星を獲得したいという強い意志があった。
 〈レ・プロメス〉が三つ星を獲得すると、人生でもっとも輝かしい時期がスタートしたように思えた。だが、ポールは失敗することを恐れ、料理の評価に神経質になり、眠れぬ日々を送るようになる。ポールの意向を聞かずに仕事を入れるナタリアとは険悪になり、ついに心身ともに不調をきたし部屋に閉じこもってしまう。六十二歳の誕生日、気分転換にとナタリアから猟銃を贈られた……。
 ポール・ボギューズやムーラン・ルージュなど、実在の人物やレストランが数多く登場し、ポールも実在する人物ではないかと思わせるようなリアリティが本作の素晴らしさだ。また、趣向を凝らした数々のフランス料理が紹介され、一度は食べてみたいと思うごちそうが並ぶ。一つ星シェフとなったイヴォンヌがポールを連れてはじめてパリに行き、〈ラ・トゥール・ジャルダン〉でフルコースを食す場面は特に印象的だ。
 ポールの死後を描いた偶数章では、副料理人クリストフなどのブリガードやポールの家族に焦点があたる。それぞれ思惑は異なるが、店を残したいという気持ちはみな同じだ。
 クリストフはエグゼクティブシェフとなり、個性的なメンバーの統率に苦労しながらも、地元の食材だけを提供する地球にやさしいレストランへの転換を考える。また、ナタリアはレストランを継続させるためにプライドを捨て、『ル・ギッド』に星をはく奪しないよう訴える。ポールと犬猿の仲だった息子マティアスも、〈レ・プロメス〉を救済したいと考えていた。
 『ル・ギッド』でも新しい動きがあった。これまでにポールを含めて三人のシェフが猟銃自殺を図っていた。星を維持するために、シェフはあらゆる犠牲を払う。多額の借金をし、すべてのエネルギーを料理に注ぎ込む。また、フランス料理の画一化を問題視する声もあった。格付けを見直す段階にきていた。
 格付けは消費者にとってわかりやすい指標であり、またレストラン側にとっても銀行からの信用を得やすく、地域経済に貢献できるという利点もある。しかし、払う代償は大きい。著者はミシュランガイドの編集部員として働いていたこともあり、その内情に詳しかっただろう。バティステッラはフランス美食業界のリアルを見事に描き切った。
 『シェフ』はバティステッラが作家に転身した後の三作目であり、カゼス文学賞、海辺の文学賞を受賞した。
(英語講師/ライター/オンライン英会話A&A ENGLISH経営)

「図書新聞」No.3625・ 2024年02月03日に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?