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玉木史惠評 北村紗衣『英語の路地裏――オアシスからクイーン、シェイクスピアまで歩く』(アルク)

評者◆玉木史惠
路地裏の散策から世界への跳躍――英語を本当に理解するには、メインストリートを歩くだけではなく、路地の奥まで入り込んで散策し、文化を知る必要がある
英語の路地裏――オアシスからクイーン、シェイクスピアまで歩く
北村紗衣
アルク
No.3603 ・ 2023年08月12日

■「路地裏」という言葉から何を想像するだろうか。車が行き交うメインストリートから外れた、人とせいぜい自転車が通れる狭い道。植木が置かれ、洗濯物がぶら下がっている。晩ご飯のおかずの匂いがして、テレビからヒット曲が流れる。話題になっているドラマの話をする大人や、ヒーローごっこをする子ども。路地裏にはありのままの生活があり、そこで暮らす人々の文化がある。
 英語学習において、教科書を使った語彙や文法の学習がメインストリートの走行だとすると、裏道や脇道に入り込んで、そこで実際に生活している人々の言葉を学び、文化を知る学習は路地裏の散策だ。本書はコミュニケーションとしての語学には相手の文化的背景の理解が必要だとし、路地裏散策型学習を勧める。メインストリートを案内書通りに歩いてきたはずだが、好きな歌の歌詞がわからない、ネイティヴスピーカーが大笑いするジョークは笑えない、社会的事件の詳細が把握できないという思いをした英語学習者は少なくないだろう。文化的背景を理解することなしに、あらゆる文を正確に読み、映画や歌に心から共感することは難しいのだ。英語を本当に理解するには、メインストリートを歩くだけではなく、路地の奥まで入り込んで散策し、文化を知る必要がある。本書は、そんな学習方法と楽しみ方を教えてくれる。
 散策には五つのルートが用意されている。日常表現の小道、ジョークの隘路、英文法の筋道、英文法の坂道、シェイクスピアの横道ルートだ。それぞれのルートに、映画、音楽、テレビ番組、スポーツ、文学、戯曲、さらにはSNSの投稿やYouTubeなどから生きた英語の例が挙げられている。映画やドラマのセリフであれ、歌詞であれ、生きた英語は日常表現や英文法、文化を学ぶかっこうの教材であることに読者は気づくだろう。チョーサーの『カンタベリー物語』でもカニエ・ウェストの歌詞でも日本人学習者が苦手な二重否定(ダブルネガティヴ)に触れることができるし、アガサ・クリスティのミステリーで仮定法の使い方が学べる。登場人物の意識の流れを描写する自由間接話法(描出話法)を理解するには、実際に小説でどのように使われているかを見なければならない。英語運用能力がかなり高い学習者でも文化的な背景知識がないと英米人のジョークは理解できない。例えば、ミルトン・ジョーンズの次のジョークは笑えるだろうか。
 What's driving Brexit? From here it looks like it's probably the Duke of Edinburgh.(Brexitを動かしてるのって何なわけ? ここから見ると、たぶんエディンバラ公みたいに見えるけど)(五十九ページ)
イギリスのEU離脱はまるで予測不能な経緯をたどっているが、二〇一九年一月に当時九十七歳のエディンバラ公フィリップ殿下が交通事故を起こして運転免許証を返納したことを知らないとまず笑えないだろう。「本当にしっかりと言葉を理解したいのであれば、自分がその言語のターゲット層や、共通する文化圏に入る必要がある」(六十一ページ)と、読者は痛感するだろう。
 英語の路地裏を散策していると、路地にある家に上がり込んで、お茶を飲んだり、テレビを観たりしたくなるかもしれない。そういう人たちのために、そこで長居ができる参考サイトのURLや、参考文献が掲載されている。掲載サイトから別のリンクに入れば、路地からさらに細い脇道に入って探検しているような気持になるだろう。寄り道をしながら五つのルートを歩き終えると、路地裏の散策で身に付けた知識を活用できる「広場」に出る。「文化的な文章を読んである程度楽しめる学力」(二一二ページ)を測定する大学入試問題に取り組むのだ。
 広場まで続く英語の路地裏はどこまでも広がっている。歩きたい道を自由に進み、立ち止まり、自分で教材を発見しよう。Apple TV+の広告や映画『DUNE/デューン 砂の惑星』でティモシー・シャラメ(四十三ページ)が好きになったら、彼をもっと知りたくなるだろう。そんな時は迷わずTimothee Chalametを検索すればいい。検索したテキストに知らない単語や表現があったら、辞書や文法書に当たろう。英語の路地裏は英語学習者の最高のトレーニングスペースであり、そこから大きな広場に出て、さらに広い世界へと飛び出せる。
(英語学習アドバイザー/翻訳者)

「図書新聞」No.3603・ 2023年8月12日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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